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japanese.china.org.cn |03. 02. 2021

「感動的な写真」の母親 11年後に再会

タグ: 荷物 春運 貧困 教育

1月22日、イ族の民族衣装を着た巴木玉布木さん


2010年1月30日、大きな荷物を背負い、子供を抱いて南昌駅を急ぎ足で歩く巴木玉布木さん


 2010年1月30日、新華社記者の周科氏は江西南昌駅の広場で写真を撮った。写真には、若い母親が腰を曲げて大きな荷物を背負い、1つの荷物を引きずりながら、右腕で赤ちゃんを抱える心温まる光景が写っていた。歩を進める母親の顔は赤くつやがあり、大きな瞳に力強さを感じる。


 同日、『子よ、お母さんが連れて帰ってあげる」という名の写真は新華社撮影部が編集・発信し、大量の春運写真の中で感動的な写真として数百社のサイトと新聞に掲載された。


 当時は母親の連絡先を聞いていなかったため、記者は長期にわたり探し回った。11年後、記者はネットユーザーと閲覧者が提供した手がかりをもとにこの母親を見つけることができた。彼女は巴木玉布木さん、今年32歳のイ族で、四川省涼山イ族自治州越西県瓦岩郷桃園村で生活している。


 巴木玉布木さんは教育を受けていないため、漢字が読めない。彼女が住む村は土地がやせ、収穫が少ない。一家はかつてぼろぼろの家に住み、夜に雨が降ると暗闇の中でたらいを探して雨漏りを受けていた。生活が苦しかったため、彼女と夫は出稼ぎ労働で生計を立てた。


 当時、彼女は南昌市の煉瓦工場に勤務し、月収は500~600元程度で、1歳にならない2人の次女もいた。南昌駅で見かけた時は次女の病気を見てもらいに帰宅する時だったが、村の医療条件は限られており、生後5ヶ月の子供は他界してしまった。以後、彼女は出稼ぎに行っていない。


 巴木玉布木さんは、「当時、桃園村から外に行くには1本の泥道しかなく、馬車で移動し、医療条件は非常に遅れていた。多くの妊婦が家で出産し、子供が病気になってもすぐに治療を受けることは難しかった」と話した。

 

 2014年、巴木玉布木さん一家は貧困世帯に指定された。桃園村はたばこ栽培を導入し、彼女は夫とともにたばこを栽培するようになった。勉強し、夫妻が栽培するたばこの葉の生産量は倍増し、年収は数千元から数万元にまで増え、栽培面積も当初の6ムーから15ムーに拡大した。


 2019年、巴木玉布木さん一家は新居を建てた。2020年、一家の年収は10万元に達し、貧困を脱却した。


 2013年以降、巴木玉布木さんは3人の子供を授かり、県内の病院で無料で出産した。4人の子供のうち長女の巫其拉布木さんは中学1年生、次女の王雪医さんは小学1年生、息子の巫其布吉くんは幼稚園に通っている。

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