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japanese.china.org.cn |09. 06. 2021

千年の時を越え、茶葉の天の道を歩む

タグ: チベット 茶農家 栽培 茶畑

 夜の帳が下り、西蔵(チベット)自治区東部の昌都市の茶葉広場が、イルミネーションで輝いた。魅力的なチベットの民謡が山と谷に響いた。四川省や雲南省などの茶葉は歴史上、茶馬古道を通じ途切れることなくチベットに入った。昌都は茶馬古道の滇蔵道(雲南〜チベット)と川蔵道(四川〜チベット)の合流点だ。

 

 茶葉のチベット輸送には悠久な歴史がある。ガリ地区噶爾県の故如甲木考古調査では、1800年前の内陸部の茶葉などの実物が見つかった。チベットでも、文成公主がチベットに茶をもたらし、小鳥が茶をくわえチベット王の病を治したという言い伝えがある。

 

 標高の高い寒冷地で暮らすチベット族人民は、牛肉や羊肉などの高タンパク質・高カロリーの食品をよく食べる。消化を促進し油を流す茶が徐々に必需品になった。四川省や雲南省などは茶葉の主要産地だ。一方が茶を生産し、一方が茶を必要とする。茶馬貿易は徐々に漢族とチベット族の重大事になった。


 西藏健康茶展示販売センターで、ヒマラヤ聖茶、藏地茶、墨脱茶などの西藏の茶葉がひときわ目を引いている。西藏茶文化協会の辜甲紅会長は、西藏の茶葉を生産しない歴史は終わり、西藏産の高原茶は本土に販売されていると話した。

 

 「易貢」は西藏語で「美しい場所」を意味する。曲がりくねった山道を進み易貢茶畑に入ると、川のせせらぎが聞こえ、緑の茶畑と雪山が目に入る。

 

 1963年に西藏で最初に開拓された茶畑は50年以上で発展し、易貢茶畑は西藏最大の茶畑になっている。西藏の才程副責任者によると、茶畑は最初、50ムーに試験的に茶の木をを植え、辺銷茶を生産していた。1990年代に辺銷茶と緑茶の大規模生産を開始し、2010年に紅茶の生産を開始した。ここ2年、ECサイトにネットショップを開設し、ネット販売が売上高に占める割合は20%に達している。

 

 近年、易貢茶畑は発展の黄金時期を迎えている。広東の西藏支援作業チームが生産販売一体化チームを結成し、西藏支援技術者がお茶農家に科学的な栽培を指導し、細茶と辺銷茶の生産量は2018年の2850キログラムと3万キログラムから2020年に1万500キログラムと7万5000キログラムに増加した。現在、茶畑が生産する茶葉の品種は3種26品種に達し、雲霧茶は全国茶葉博覧会で金賞を獲得した。

 

 「世界の屋根」のきれいな環境、独特な機構は茶葉の栽培に非常に適している。西藏の墨脱県や察隅県などの地域は茶畑が縦横に並び、お茶産業は西藏発展のグリーン産業になり、国内のお茶業界で注目されている。

 

 西藏の茶葉の消費構造も密かに変化している。西藏商務庁の統計によると、辺銷茶が西藏の茶葉消費に占める割合は98%を超えていたが、2000年以降、紅茶、緑茶、花茶などが流行し、自治区の茶葉販売量の15%以上を占めている。鉄観音、大紅袍、雲南プーアルなどの銘茶も高原市場に入っている。

 

 お茶は飲み物だが、それだけではなく、西藏と外の地域の交流、中央の西藏人民に対する配慮、西藏人民の生活の巨大な変化も見届けてきた。

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