チベット文化の保護と発展

結びの言葉


事実が示すように、この半世紀来、チベット文化は絶滅していないばかりか、逆に民族の特色を備えた伝統的な文化が合理的に継承され、きちんと保護され、大いに発揚されている。チベットの経済・社会の発展につれ、現代化、未来や世界を志向した現代文化は開放が進む中で急速に全面的に発展している。新しい時代にあって新たな生気と活力にあふれたチベット文化は、その豊富な内容と革新的な形で、チベット人民の生活とチベットの現代化の発展に大きな影響を及ぼし、またそのユニークな魅力により国内外の注目を集め、中華民族の多元的な文化を豊かにし、世界文化に影響を与えている。現在のチベット文化の保護と繁栄、発展状況が、チベットの過去のいかなる歴史的時期にもなかったものであることは、決してオーバーな表現ではなく、事実を尊重する人なら誰でも否定できないものである。

ダライ集団が客観的な事実を無視し、国際社会で「チベット文化絶滅論」を撒き散らしている行為は深く考えさせられる。周知のように、14世ダライ・ラマおよびその政治集団は旧チベットの立ち遅れた封建農奴制の総代表であり、旧チベットの政教合一の神権文化と宗教独裁文化の総代表であり、旧チベットの政治、経済、文化資源の独占者でありまた既得権者であった。チベットの民主改革以来、封建農奴制を覆し、ごく少数の封建農奴主が独占していた不合理な文化占有と分配制度を根本的に変え、政教合一と宗教が社会・政治生活を支配する宗教独裁主義の文化特性を変え、腐りはて、立ち遅れた、社会進歩と発展を妨げる旧チベット文化の残りかすを取り除き、チベット文化の民主化、現代化を実現し、チベット文化の生産力を解放し、チベット文化がチベットのすべての人びとの共通の精神的財産として継承、保護される中で時代とともに前進し、繁栄、発展することを実現した。事実が裏づけているように、ダライ集団は旧チベットの立ち遅れた文化の代表者、擁護者であり、中国中央人民政府とチベット自治区人民政府はチベット文化の真の保護者であり、それを発展させるものである。

海外に逃亡した14世ダライ・ラマおよびその政治集団は半世紀余の間に、チベット文化に対して何の保護、発展の力にもならず、何の貢献もしなかったにもかかわらず、「チベット文化の保護者」をもって自任しているのは、実に荒唐無稽である。ダライ集団が黒を白と言いくるめ、「チベット文化絶滅」をわめき立てている訳は、まぎれもなく、チベット文化の妨げることのできない発展が、彼らがかつてひと手に握っていた文化統治権およびそれを代表する文化制度が挽回できないほど「絶滅」し、彼らの文化特権と既得利益が挽回できないほど「絶滅」したからにほかならない。ダライ集団が「チベット文化の自治」を主張することの実質は、「文化の自治」に名を借りて、チベットと他のチベット族地域に対する神権文化の統治を復活させ、さらに「大チベット地域独立」の政治的なたくらみを実現するためである。歴史を後退させるこのたくらみは絶対に実現するものではない。

時代は前進させなければならず、社会は進歩させなければならず、文化は発展させなければならず、これは逆らうことのできない潮流である。現在、世界はグローバル化、情報化が深く発展している時代である。現代化の潮流は広々として果てしなく、それに従うものは栄え、それに逆らうものは滅びる。どの民族、どの文化も、現代化の潮流に従い、時代とともに前進し、継承の中で革新し、保護の中で発揚し、開放の中で発展することによってのみ、民族の特色と旺盛な生命力を保つことができるのである。ダライ集団と一部の西側の反中国勢力は自分たちは現代文明と文化の成果を享受しながら、「チベット文化保護」の名目で、チベット民族とチベット文化を永遠に中世の状態に止め置き、生きた化石にしようとするものであり、明らかに下心があってのものであり、チベットの人たちを含む中国各民族の人たちはこれを絶対に許すことはない。