チベット文化の保護と発展

前書き


中国は統一した多民族国家であり、チベットは中国の分割することのできない一部分であり、チベット族は中華民族という大家庭の重要な一員である。チベット族には長い歴史と輝かしい文化がある。チベット文化は中華文化のさん然と輝く真珠であり、世界文化の貴重な財産でもある。

チベット族は代々青海・チベット高原で生活を営み、独特の自然状況と厳しい生存環境のなかで、強い生命力とすばらしい生活へのたゆまぬ追求を表してきた。チベット族の人たちは自然、社会、みずからに対する認識、適応、改造、発展に努める長い歴史の過程で、漢族などその他の中国の民族や南アジア、西アジアの民族との文化交流や融合により、豊かな、特色のある、多様な文化を創り出してきた。中でも言語・文字、哲学・宗教、チベット医薬、天文・暦算、音楽・舞踊、演劇・演芸、建築美学、彫塑・絵画、工芸美術などがよく知られている。チベット文化はチベット民族をはぐくみ育ててきた精神的な支柱であり、また主として漢族文化など他の文化と影響し合い、融合しあう中で発展してきたものである。

チベットは20世紀中葉に至るまで、中世ヨーロッパよりさらに暗黒な政教合一の封建農奴制社会であった。1959年まで、14世ダライ・ラマはチベット仏教の首領とチベット地方政府のトップとして、政教両面の権力を握っていた。総人口の5%足らずの農奴主がチベットのすべての生産手段と文化・教育資源を占有し、チベットの物質的、精神的な財産を独占し、総人口の95%以上の農奴と奴隷は生産手段と人身の自由を奪われ、きわめて残酷な抑圧と搾取を受け、生活に困窮し、教育を受ける権利などまったくなかった。長期にわたる政教合一の封建農奴制の下で、チベット社会は生気と活力を失い、チベット文化は徐々に衰退の一途をたどることになった。

中華人民共和国の成立はチベット文化の保護と発展に希望をもたらした。チベットは1951年に平和解放を実現し、帝国主義の侵略と束縛から抜け出し、長期間の閉鎖と停滞を打ち破り、チベット文化は全国とともに進歩・繁栄・発展するための基本的前提が作り出された。平和解放の後、中央人民政府はチベットの伝統文化の保護と発掘に積極的に協力し、現代教育と衛生事業を発展させ、チベット文化の発展に新たな道を切り開いた。1959年にチベットは民主改革を実施し、政教合一の封建農奴制を徹底的に廃止し、少数の封建貴族の上層部と僧侶が文化教育を独占する歴史に終止符を打った。広範な農奴と奴隷は政治や経済、精神面で解放されて立ち上がり、チベット文化を保護し、発展させ、享受する真の主人公となった。それにより、チベット文化は人民の文化となり、明るい前途が開かれるようになった。

半世紀来、特に改革開放以来、中国政府はチベット文化の保護と発展を高度に重視し、『中華人民共和国憲法』と『民族区域自治法』の規定に基づき、大きな熱意と責任感のある態度をもって大量の人力や物質、財力を投じて、チベットのすぐれた伝統文化の保護と発揚に努め、それと同時に現代的科学教育文化事業の発展に取り組んできた。それにより、チベット文化はかつてなく保護され、発展するようになった。

国際社会がチベット文化の保護と発展の状況をよりよく知ることができるように、事実によってダライ集団のでっち上げた「チベット文化絶滅」のデマを暴き、ダライ集団のいわゆる「チベット文化自治」の本質を暴き出し、さらにチベット文化の保護と発展を促すために、ここに本白書を発表する。