チベット民主改革50年

前書き


チベットは古来より中国の分割することのできない一部分である。チベットを平和的に解放し、帝国主義の侵略勢力をチベットから追い出し、民主改革を行い、チベットの政教合一の封建農奴制を廃止したことは、近代以来の中国人民の帝国主義と封建主義に反対する民族民主革命の重要な一部分であり、中華人民共和国成立後に中国政府が直面した重大な歴史的任務でもあった。

1959年以前のチベットは、中世ヨーロッパよりさらに暗黒で立ち後れた政教合一の封建農奴制社会であった。14世ダライ・ラマはチベット仏教ゲルク派の首領でありまたチベット地方政府のトップとして、政教両面の権力を一手に握り、チベットの封建農奴主階級の総代表であった。チベット総人口の5%足らずの農奴主がチベットの圧倒的多くの生産手段を占有し、チベットの物質的、精神的な財産を独占していた。一方、総人口の95%以上の農奴と奴隷は生産手段と人身の自由を奪われ、残酷極まりない抑圧と搾取を受け、きわめて貧窮した悲惨な状態の中であえぎ、人間としての権利などまったくなかった。長期にわたる政教合一の封建農奴制に支配され、チベット社会は生気と活力を失い、徐々に衰退の一途をたどることになった。

1951年に中央人民政府とチベット地方政府は『チベット平和解放に関する協定』(『17ヵ条協定』と略)を締結し、それをもってチベットは帝国主義の侵略勢力の束縛から抜け出し、平和解放を実現し、チベットと全国がともに進歩と発展をとげるための基本的な前提がつくり出された。

『17ヵ条協定』はチベットの社会制度を改革する必要性を肯定し、「チベット地方政府は進んで改革を行うべきである」と強調しているが、チベットの特殊な状況を考慮し、中央人民政府は改革に非常に慎重な姿勢をとり、相当な辛抱強さ、寛容さ、誠意をもって、チベット地方の上層支配グループが改革を自覚して行うよう説得しそれを待っていた。しかし、帝国主義勢力の策動と支援の下で、チベット上層支配グループの一部のものは、人民の日増しに盛り上がる民主改革の要求に直面するや、根本から改革に反対し、「長期間改革せず、永遠に改革しない」ことを頑固に堅持し、政教合一の封建農奴制をいつまでも保持しようと企て、1959年3月10日『17ヵ条協定』を公然と破棄し、強引に全面的な武装反乱を引き起こした。こうした情勢の下で、国の統一とチベット人民の根本的利益を守るため、中央人民政府はチベット人民とともに武装反乱を平定した。これと同時に、チベットではすさまじい勢いで大衆的な民主改革運動が巻き起こり、政教合一の封建農奴制を廃止し、百万にのぼる農奴と奴隷が解放され、チベット人民が主人公となる新しい時代が切り開かれることになった。これはチベット発展史上に最も幅広い、最も重大な、最も偉大な社会変革であり、チベットの社会発展と人権進歩にとって画期的な、重要な歴史事件であり、同時に人類文明の発展史と世界の人権史でも大きな進歩であり、重要な意義をもつものである。

半世紀以来、解放されたチベットの各民族人民は中央人民政府の関心と全国人民の支援の下で、主人公の姿勢をもって、新しい社会を建設し、新しい生活をつくる偉大なプロセスにかつてないほどの情熱を傾け、チベット史上未曾有の奇跡をつぎつぎと起こした。チベットの社会制度は飛躍的な発展をとげ、現代化建設は日進月歩の勢いで急速に発展し、社会の様相は天地がひっくり返るほどの歴史的変化を見せ、人権事業は世界の注目を集める大きな進展をとげた。

今年はチベット民主改革50周年にあたる。チベット民主改革の波瀾に富んだ壮大な歴史の進行過程、チベットに起こった広く深い歴史的変化を振り返って、チベット社会の発展法則を明らかにし、事実によってダライ・ラマ集団が「チベット問題」についてばらまいたさまざまなデマや14世ダライ・ラマの正体をあばき、これによって、歴史の是非がただされ、世界の人びとが本当のチベット、発展、変化したチベットをよりよく理解できるようにしたい。

「チャイナネット」資料 2009年3月