チベット民主改革50年

結びの言葉


50年の激動の変化を通じて、チベットは暗黒から光明へ、立ち遅れから進歩へ、貧困から富裕へ、独裁から民主へ、閉鎖から開放へと輝かしい歴程を歩んだ。現在、チベットは経済が発展し、社会が進歩し、文化が繁栄し、民生が改善され、各民族が団結し、政治がうまく行き、人心は安定し、歴史上において最もよい発展の時期にある。

歴史が雄弁に物語るように、120余万平方キロの土地で民主改革を実行し、数世紀も続いた政教合一の封建農奴制を廃止し、百万にのぼる農奴と奴隷を立ち上がらせたことは、中国の人権発展の歴史において非常に重要な1章であるだけでなく、奴隷禁止の世界の歴史においても非常に彩やかな重要な記録を残した。これは明らかに人類が文明に向かって進んでいる歴程において、とこしえに光り輝く偉大な壮挙である。民主改革がなければ、チベット人口の95%を占める広範な労働人民の解放はなく、チベット社会の飛躍的な発展もなく、チベット人権事業の発展と進歩もなく、現在のチベット各民族人民の素晴らしい生活もなかった。

歴史が雄弁に示すように、14世ダライ・ラマおよびその政治集団は旧チベットの政教合一の封建農奴制とごく少数の農奴主階級の総代表であり、旧チベットの政治、経済、文化資源の独占者であり、既得権者であった。彼らとチベット人口のほとんどを占める広範な労働人民との間には根本的な利害衝突が存在し、チベット社会の発展、進歩の要求および人類社会の発展法則との間にも妥協することのできない矛盾が存在した。これがダライ・ラマ集団が民主改革に頑に反対した必然性を決定付け、自ら歴史の舞台から退かないことを決定付け、自分の特権を自ら手放さないことを決定付け、自分の失敗を認めないことを決定付けたのである。50年前、政教合一の封建農奴制やその特権を「永遠に変えない」ことを守るために、ダライ・ラマ集団は祖国を分裂させることもいとわず、武装反乱を起こした。海外に亡命した50年らい、彼らは政教合一の封建農奴制を復活させる企みを一刻も放棄したことはなかった。彼らは海外で14世ダライ・ラマを政教トップとする政教合一のいわゆる「チベット亡命政府」を設立し、維持し、西側の反中国勢力の支持の下で、チベットの発展・安定を破壊し、国を分裂させる活動を片時も止めたことがない。彼らは国際社会で黒を白と言いくるめ、輿論を大いにつくり、自分を「チベット人民」の代弁者と装い、旧チベットの政教合一の封建農奴制社会を天国のような「香格里拉(シャングリラ)」と美化し、民主改革を実行し、チベットの発展と進歩を推し進めることを「文化絶滅」、「宗教絶滅」、
「人権侵害」と非難した。これは、14世ダライ・ラマおよびその政治集団が、いかに政教合一の封建農奴制の滅亡とチベット各民族人民が人民民主の社会主義制度の下で主人公となる地位を実現することを望まず、いかに農奴主階級が特権を喪失しチベット各民族人民が幸福で裕福な生活を送ることを望まず、また歴史のゴミの山に捨てられた政教合一の封建農奴制の復活をいかに願い、自分たちが失った封建農奴主階級の統治する「天国」の復活をいかに願っているかを現わしている。このことはまた、われわれとダライ・ラマ集団との相違や闘争の実質が、断じて自治と不自治の問題ではなく、すべてが進歩と後退、統一と分裂の闘争であることを意味している。

歴史が雄弁に示すように、農奴制を廃止し、農奴と奴隷を解放し、国の統一を守り、民族分裂に反対することは、人権と国の主権を守る進歩と正義の事業である。歴史上、アメリカ政府は南部の分裂主義と奴隷制度に反対し黒人を解放するために、4年間も続く大規模な国内戦争を引き起こし、150余億ドルの戦費を支出し、110余万人の死傷者と計り知れないさまざまな損失をもたらした。この戦争を指導したリンカーン大統領はその戦争によって歴史に名を残し、現在までアメリカ人民に称えられている。ダライ・ラマ集団は政教合一の封建農奴制を守るため、祖国を分裂させる大規模な武装反乱を強硬に引き起こしたが、中国政府は措置をとり反乱を平定し、国の統一を守り、百万にのぼる農奴と奴隷を解放した。これは人類の歴史における進歩の意義があり、アメリカの国内戦争や黒人奴隷解放と比べても遜色のないものである。しかし、西側の一部の反中国勢力は客観的な事実を無視し、是非を顛倒し、政教合一の封建農奴制の総代表、チベットの封建的農奴主の総代表である14世ダライ・ラマを「人権の衛士」、「平和の使者」、「精神的指導者」とおだて上げ、封建農奴制を廃止し、百万にのぼる農奴と奴隷を解放した中国政府を「人権侵害」と非難している。これはまったくでたらめであり、また人を深く考えさせることである。いわゆる「チベット問題」とは、実は最初から帝国主義が中国の分割を企んだ産物であり、近代の帝国主義列強が中国をその植民地、半植民地にしようと企んだ陰謀の一部分なのである。1959年、ダライ・ラマ集団が引き起こした国を分裂させる武装反乱は、実は帝国主義勢力の支持と策動の下で発生したことであった。ダライ・ラマ集団が海外に亡命した後も、西側の反中国勢力はダライ・ラマ集団の「チベット独立」の分裂活動に対する扇動、支持、訓練を片時も止めたことはない。これはまた、いわゆる「チベット問題」が決していわゆる民族問題、宗教問題、人権問題ではなく、西側の反中国勢力が中国を抑え、中国を分裂させ、中国を邪悪なものにしようとした企みであることを説明している。

歴史が雄弁に示すように、復活には活路がなく、分裂には前途がない。時代は前進すべきであり、社会は進歩すべきであり、これは押しとどめることのできない流れである。チベット人民を含む中国の各民族人民の国の統一と主権を守る意志はいささかも動揺することはなく、中国共産党の指導、中国の特色ある社会主義の道、民族区域自治制度を堅持する意志は決して揺るぐことがなく、チベットの現代化の実現を推し進め、団結・民主・富裕・文明の新チベットを建設する意志は少しも揺るがない。ダライ・ラマ集団の「チベット独立」には活路がなく、「高度な自治」の旗を掲げて半独立、形を変えた独立を企てる行為にも活路はない。ダライ・ラマ集団がいくら口実を設けて、チベットの歴史を逆戻りさせ、封建農奴制の支配を復活させようとしても、封建農奴制の苦難をなめ尽くし、新チベットの裕福さを身をもって体験したチベット各民族人民が決して許すものではなく、またそれが失敗することも決っている。14世ダライ・ラマにとって唯一の活路は、「チベット独立」の主張を真に放棄し、旧制度を復活させるいかなる企みも放棄し、チベットが中国の分割することのできない一部分であることを認め、いわゆる「チベット亡命政府」を解散し、国を分裂させるすべての活動を止めることである。14世ダライ・ラマは自分の政治主張と行為を徹底的に反省し根本的に改めなければならない。中央政府は14世ダライ・ラマが愛国の立場に戻ってくる扉を、終始開けてあり、今後も開放していくものである。

注 釈

① エドムンド・キャンドラー(Edmund Candler):『ラサの本当の姿』(『The Unveiling of Lhasa』)(尹建新、蘇平訳、チベット人民出版社、1989年)。

② エドムンド・キャンドラー(Edmund Candler):『ラサの本当の姿』(『The Unveiling of Lhasa』)(尹建新、蘇平訳、チベット人民出版社、1989年)。

 ③ サー・チャールズ・ベル(Sir Charles Bell):『(13世)ダライ・ラマの肖像』(『Portrait of A Dalai Lama: The Life and Times of the Great Thirteenth』)(馮其友など訳、チベット社会科学院出版、1985年)。

④ メルヴィン・C・ゴールドシュタイン(Melvyn C. Goldstein):
『チベット現代史(1913~1951)―ラマ王国の滅亡』、(杜永彬訳、時事出版社、1995年8月第3刷)。

⑤ ゴンボジャブ・チェビコヴィッチ・ツビコフ(Gombojab Tsebekovitch Tsybikoff):『神聖なラサでの仏教の巡礼者』(『A Buddhist Pilgrim at the Holy Places of Tibet』)(王献軍訳、チベット人民出版社、1993年)。

 ⑥ ダヴィッド・マクドナルド(David MacDonald):『チベットの写真』(『The Land of the Lama』)(鄭宝善訳、南京:私刊本、1935年)。

⑦ 阿沛・阿旺晋美:『チベット歴史発展の偉大な転換』、(『中国チベット学』1991年第1期)。

「チャイナネット」資料 2009年3月