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呉勝利司令員:共和国とともに成長する人民海軍 |
発信時間: 2009-04-22 | チャイナネット |
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1955年1月18日、人民海軍の148隻の艦、艇、船からなる上陸運送大隊4隊や護衛艦46隻、砲艦と護衛艦からなる戦闘艦艇編隊がその他の部隊の協力のもとで、一江山島を一挙に攻め落とした。 これは中国軍の史上初の三軍協同作戦であり、中国軍の戦略・戦術の宝庫に三軍協同作戦の模範事例を書き加えた。 これと同時に、若い海軍航空兵は国土防空戦でもしばしば軍功を立てた。 1953年3月、創設してわずか9カ月の海軍航空兵は、強敵を恐れず、敵機を13機撃墜し、鴨緑江大橋の防空戦を円満に成し遂げた。 1954年から1955年まで進められた一江山島の解放戦役で、海軍航空兵は飛行機を延べ289機出動させ、制空権奪取の任務をりっぱに成し遂げた。 1965年から1968年まで、海軍航空兵は海南島上空に侵入した敵機を7機撃墜し、1機に損傷を与え、「8対0」という好成績を創出した。 人民海軍は一江山島を解放した後、また枯れ枝や腐った木をへし折るような勢いで、台湾、澎湖、金門、馬祖および東沙と南沙の一部島嶼以外の中国領海内の島嶼すべてを一挙に解放した。
海軍の五大部隊装備、自主開発に海外からの導入も 呉勝利司令員によると、人民海軍が設立された初期の兵器装備は、主に国民党海軍から接収した各種の艦艇であった。解放戦争の情勢の発展にともなって、国民党海軍の軍艦が蜂起や降伏の戦利品として獲得されたり、敗走時に遺棄されたりして人民海軍が接収した各種の艦艇は183隻あった。 新中国成立後の「第一次5カ年計画期」(1953~1957年)、人民海軍は外国から大量の戦艦、戦闘機、沿岸大砲装備を購入した。これらの装備には最初の駆逐艦部隊の駆逐艦「鞍山」と「撫順」、最初の潜水艦部隊の「新中国11号」などの潜水艦や最初の魚雷快速艇部隊である数隻の魚雷快速艇が含まれていた。 新時期に入って以来、人民海軍の兵器装備は自主的イノベーションに力を入れるとともに、外国の先進的な技術装備の導入を重んじている。大量の新型駆逐艦、潜水艦、飛行機が人民海軍に組み入れられ、海軍の兵器装備の発展のテンポを速めた。 60年間に渡る整備と発展を経て、海軍の5大部隊は半機械化から機械化への転換を実現し、情報化へと転換しつつある。 |
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