第5次五カ年計画(1976~1980年)

1975年に、中国共産党中央は「1976~1985年の国民経済発展10年計画綱要(草案)」を策定すると同時に、第5次五カ年計画(「五五」計画)を検討した。

「五五」計画は提出後の3年間(1978~1980年)、独自のかなり完璧な工業体系と国民経済体系が確立された。1978年3月には、さらに十年発展綱要を修正し、下記の具体的目標を打ち出した。1985年までに、粗鋼生産量は6000万トン、石油は2.5億トンに達成、大型鉄鋼基地10、非鉄金属基地9、石炭基地8、石油・天然ガスを産出する大型油田10などを含む新規および建設継続の大型プロジェクトは120件達成すると求められた。1978年から1985年にかけての基本建設投資は過去28年の合計に相当する。毎年の投資額は700億元に膨れ上がり、実際の可能性を上回るものとなり、経済発展の法則に反するものとなった。そのため、中国共産党第11期中央委員会第3回会議の閉幕後まもなく、中央は上記の計画を修正した。

「五五」計画の実施状況から見れば、1977年から1978年にかけて、社会総生産、工農業総生産額、国民収入はいずれも2年連続大幅に伸び、主要工業製品・農業生産物の生産高が回復するか、または史上最高の記録を刷新した。1977年に、工農業総生産額は5055億元を達成し、計画の4.4%を上回り、前年に比べ10.4%増えた。1978年に、社会総生産は1977年に比べて、13.1%増で、6846億元となった。1978年、国民総生産(GNP)は3010億元で、1977年、1976年よりそれぞれ12.3%、19.4%増えた。財政収入と支出は2年連続で大幅に増加したが、収入はやや余剰が出た。これにより、1974年から1975年にかけての連続の財政赤字、財政収支悪化の状況は好転した。ただし、このときに、明らかに急進的な傾向が再び台頭し、経済の発展をあまりにも性急に要求することになり、提出された目標も高すぎるものであり、わが国の経済の建設に新たな誤りが現れた。1978年12月に開催された中国共産党第11期中央委員会第3回会議では客観的経済の法則に基づいて事を運ばなければならないことが強調され、調整、改革の任務と措置が打ち出された。これは国民経済の発展がまもなく苦境を脱出し、新たな発展方向を絶えず模索する時期に入ったことを示すものとなった。1979年4月、中国共産党中央工作会議では、「調整、改革、整頓、向上」という方針(新八字方針)が正式に打ち出され、この年から国民経済に対する調整が始まった。

「チャイナネット」資料


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