石原慎太郎が数カ月前に巻き起こした東京都の「釣魚島(日本名・尖閣諸島)購入」騒ぎは、すでに日本政府が引き継いで「国有化」の茶番劇に変化した。だが、まさに胡錦濤主席がAPEC期間に野田首相に直接厳しく告げたように、日本側の行為は不法で無効であり、中国政府と中国人民が受け入れることは断じてない。(文:曲星・中国国際問題研究所所長。光明日報掲載)
日本は釣魚島について、1895年に内閣が「清国の統治の痕跡がない」と判断したうえで、沖縄県への編入を決定したとしている。だが実際には中国の明朝永楽年間に刊行された『順風相送』に釣魚島の名称と位置が記載されている。明朝が琉球王国に冊封使として派遣した陳侃が1543年に著した『使琉球録』は釣魚島を琉球管轄区域内に明確に記載している。明朝の剿倭総督、胡宗憲が著した『籌海図編』は釣魚列島を含む中国の海防管轄島嶼を明記している。中国による釣魚島の発見、命名、管轄、防衛はいずれも国際法上の領土主権獲得の基本要件を満たしている。ひるがえって日本を見ると、1605年刊行の『琉球国王中山世鑑』、1785年刊行の『三国通覧図説』、1892年刊行の『大日本府県地図並地名大鑑』など多くの歴史的出版物はいずれも釣魚島が日本の国土に含まれないことを物語っている。したがって釣魚島は「無主の地」との日本の見解にはいかなる歴史的根拠もないのである。
日本は釣魚島は1971年に沖縄県の一部として日本に引き渡されたと言っている。だが実際には日本による釣魚島の不法占拠は日本が甲午侵略戦争(日清戦争)を発動し、清政府に不平等な「馬関条約(下関条約)」締結を余儀なくさせ、中国の台湾省を侵奪・占拠したという大きな背景の下で行われたものだ。したがって日本による釣魚島の不法占拠は侵略の産物なのである。第二次世界大戦後の侵略国家の処理の原則・基礎である「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」は、日本は不法占拠した中国の領土を中国に返還しなければならず、戦後日本の主権は「本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」と明確に規定しており、これに釣魚島は全く含まれていない。日本は上述の決定を無条件で受け入れ、台湾列島を中国に返還した。中国の台湾の附属島嶼である釣魚島も、法律上中国の版図にすでに返還されたのである。1951年のサンフランシスコ講和条約は米国を琉球列島の唯一の信託統治国と定め、米国の信託統治下の琉球政府は1953年に釣魚島を琉球の管轄範囲に組み入れた。だが中国政府はサンフランシスコ講和会議に参加していないし、中国を排除した「サンフランシスコ講和条約」は不法で無効との声明を当時発表した。1971年に米国は釣魚島を沖縄の一部とする施政権を日本に「引き渡した」。当時中国の海峡両岸は共に米国に申し入れと抗議を行った。したがって米国が当時釣魚島を沖縄の一部として占領し、後にその占領権を日本に引き渡したこと自体が不法で無効なのである。ましてや米国も引き渡し時に米国が引き渡すのは主権ではないと明確に表明しているのだ。したがって、日本による釣魚島の占拠にはいかなる法的基礎もないのである。