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japanese.china.org.cn | 15. 02. 2015

毛沢東主席の警備員「人のために力を尽くしたい」

タグ: 毛沢東 警備員 李連慶

毛沢東主席の警備員「人のために力を尽くしたい」

牛とともに生活している李連慶さんは、63年前に祖国のために軍で任務を行い、毛沢東主席のそばで19年間警備員をしていた。毛主席の死後、彼は葉剣英元帥の衛兵長官を10年間務めた。

2008年の春節、李連慶さんの幼馴染は北京を訪れ昔話をした。ふるさとの悪化と賭博の日常化を耳にし、離職して長年が経った李連慶さんは快適に暮らしていた北京を離れて実家に帰ることを決意した。

村の97世帯、100人弱の人口は老人、高齢者、子供ばかりで、山積みのごみ、汚水が流れる水路、泥だらけの道、今にも崩れそうな祠堂、こけだらけという長年離れていた広東省高要市禄歩鎮荷路村の故郷を目にした李連慶さんは大きな衝撃を受けた。彼はまず祠堂を修繕し、住民が共に取り組むことを決意した。

村民の李偉強さんによると、李連慶さんは貯金を寄付したが、工事が終盤に入った頃に5万元足りず、人から金を借りることが嫌いな李さんは仕方なく数人の昔からの戦友に頭を下げて金を借りた。工事のとき、彼は毎晩見回りをし、夜10時に懐中電灯や護身用の木の棒を持って村を歩く姿もたびたび目撃された。

2009年夏、祠堂の工事が完了した。爆竹が鳴り響き、獅子舞が踊る中で、一部の村民は、最高額から50元まで寄付した200人以上の村民の名前が祠堂の入口の石に刻まれているのに気がついた。しかし、発起人の李連慶さんの寄付金は最も多かったというのに金額は刻まれていなかった。

李偉強さんの取り組みにより、荷路村は変化していった。バスケットボールコートが整備され、小さな公園が作られ、村民の憩いの場ができた。村内の道が固められ、汚染物質とごみが集められ、道路はでこぼこではなくなった。祠堂の入口には「達道書屋」の看板がかけられ、村から1人目の大学生が生まれた。また、李連慶さんは人徳がある数人の村民と共に村の規則を作り、賭博を禁止し、その効果はすぐに現れた。かつて乱雑で汚かった荷路村は「広東省衛生村」、「広東省文明村」になった。

生まれ変わった村を見た李連慶さんは、現代的な養牛場を作ろうと思い立った。

養牛場の規模が大きくなり、彼は養牛場に住み1年の10カ月を牛と共に過ごすことにした。娘の李艶さんが農場の父親のもとを訪れた際、10平方メートルもない物にあふれた部屋を見て、「北京の大きな家に住まず、何のためにここで苦労しているのか」と涙を流した。

「人の一生 、草木の一秋。1日1日をただ過ごすだけでは意味がない。人のために力を尽くしたい」と、83歳の李連慶さんは話した。

部屋から明かりが透き通り、毛筆で壁に書かれた「為人民服務」の字が赤く輝いている。

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