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japanese.china.org.cn | 31. 10. 2016

雲南省の老兵、王相巨さんが抗戦を振り返る

タグ: 王相巨 雲南

雲南省保山市隆陽区板橋鎮小永村で、1915年6月12日生まれの雲南省西部抗戦老兵の王相巨さんが、抗戦の歌を堂々と歌い上げた。王さんははっきりした口調で、過去を振り返った。「日本軍が中国で犯した血の仇を、絶対に忘れることはできない」

1935年、当時20歳だった王さんは保山を離れ、昆明陸軍軍官学校に入学した。国民党軍は1938年6月、武漢会戦の軍事力を強化するため、雲南省の6個軍団と国防部常備訓練団体を集め第58軍を発足した。23歳の王さんは同年、軍官学校を卒業し、第58軍西南戦区第2団と共に雲南省を出て、湖北省・湖南省・江西省などでの抗戦の生涯を開始した。

長沙防衛戦で、王さんは4日5晩連続で戦った。連団全体で25人が戦死したが、撤退命令が出るまで戦い続けた。王さんはその後、常徳大会戦に参戦し、日本軍を狙撃する過酷な戦闘で足を負傷した。「幸い骨には当たらず、野戦病院で治療できた」

日本軍は1942年にミャンマーを攻め落とし、雲南省西部を攻撃し、重慶を脅かそうともくろんでいた。王さんは保山に戻り雲南省西部の抗戦に加わり、義壮大隊を発足した、抗日戦争が終わると、王さんは故郷の教員になった。

100歳を超える王さん一家は計5世代で、1954年生まれの息子の王洪明さんたちと同居している。王洪明さんの祖母、母、姉が1968年頃に相次いでなくなり、父の王相巨さんと寄り添う生活を始めた。

王洪明さんはトラクターを運転し、レンガを焼き、コンクリートを売った。現在は山でクルミや松の種を集め、保山の市街地で販売している。重労働のため、大病を3回も患った。48歳の時には椎間板が突き出て、坐骨神経が麻痺しそうになった。52歳の時には糖尿病にかかり、現地のペー族の民間医師から無料で治療を受けた。その後さらに直腸がんになり、あともう少しで命を落とすところだった。「12万元で手術を受けさせてくれた。腸を42センチ切断した。70代の女性医師が昆明から保山に駆け付け、自ら執刀してくれた」

王相巨さんは、息子は自分と同じように、運に恵まれていると話した。王洪明さんは笑い、「家族はみな福耳だ」と語った。回復した王洪明さんは痩せたが、忙しく働いた。王洪明さんは61歳になった昨年、運転免許を取得した。「父を連れ新しくなった保山をドライブする夢がある」

現地の統一戦線部門の最新の統計データによると、保山の存命中の抗戦老兵は2016年10月時点で100人。平均年齢は92歳で、最年少は85歳。最年長は101歳の王相巨さんだ。

「中国網日本語版(チャイナネット)」2016年10月31日

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