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japanese.china.org.cn |19. 04. 2019

60年のテスト飛行、中国の天に通じる道を築く

タグ: テスト 飛行 パイロット 試験 空軍

 

滑俊氏(左から3人目)と科学研究者、テスト飛行で得られたデータを共に分析(資料写真)。

 

 滑俊氏は30歳に満たずして全軍で有名なパイロット、空軍駐連雲港某部隊の主任パイロットになった。そのころ彼は命令を受け、西安市の中心部から東に60キロ離れた町、閻良に転勤した。

 

 「閻良は寂しい町だった」命令を受けてから3日内に、滑氏は設立されてから1年余りの飛行研究院に到着した。路線バスを降りて目に入ったのは農村風景だった。研究院の入口前は畑で、町には東西に一本の道しかなく、住民もあまりいなかった。

 

 滑氏と各地から集まった5人のパイロットが1960年8月、中国第一世代のテストパイロットになった。彼らと前後して飛行研究院に入ったのは、全国各地の航空技術者、労働者、大卒者だった。

 

 この平均年齢30歳未満の若者たちは、荒れ果てた大地で中国のテスト飛行事業を開始した。1959年4月15日に設立された飛行研究院(現在は「航空工業テスト飛行センター」)により、中国は米ソ英仏に続き5番目に設計・製造・テスト飛行という整った航空産業チェーンを持つ国になった。

 

 中国のテスト飛行事業は2000年から現在まで、機種の「ゼロ」からの突破を実現した。J-15がテスト飛行に成功し、陸上テスト飛行から艦載機テスト飛行への飛躍を実現した。無人機のテスト飛行が飛行試験の新たな分野になった。民間機は全面的かつ整った、系統的なテスト飛行を実現した。

 

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