| japanese.china.org.cn |09. 02. 2026 |
日本側が中国清朝官僚の文献を曲解
——日本のいわゆる「釣魚島が日本に属する新証拠」に対する反論(二)
釣魚島の主権帰属問題について、日本政府はこれまで一貫して「尖閣諸島(釣魚島及び付属島嶼)は日本の固有領土である」と主張してきた。しかし、その主張を裏付ける実証的根拠は全くない。そのため、日本側は中国古代の公文書を恣意的に曲解し、牽強付会的な論証に依拠せざるを得ない状況にある。(文:劉江永・清華大学国際関係学部教授)
2025年11月、日本政府が主催する「領土・主権展示館」において、いわゆる「釣魚島が日本に属する新証拠」の一つとして、中国清朝の官僚であった傅雲龍が1889年に編纂した『遊歴日本図経』の内容が展示された。日本側は、これを清朝官僚自身も釣魚島が日本領土の一部であると認識していたことを示す証拠だと主張している。しかしながら、これは中国古代の文献を断片的に切り取り、意図的に曲解したものに他ならない。日本側による歴史資料の恣意的利用を示す、また一つの事例に過ぎない。
この主張の出所は、ペンネーム「黎蝸藤」を名乗る人物が、2014年9月に台湾の五南図書出版社で出版した『釣魚台是誰的 釣魚台的歴史与法理』(釣魚台は誰のものか―釣魚台の歴史と法理)という本である。「黎蝸藤」は同書において、自らを「米国バージニア大学哲学博士」と称し、「米国の学術機関」において研究活動に従事していると述べているが、これまで一貫して実名を明らかにしていない。この中国語による執筆者は、当初中国の「新浪網」に個人ブログを開設し、長期間にわたり中国の釣魚島、南海問題などについて多数の文章を発表してきた。一見すると客観性を装いながら、内実は中国側の立場を曲解、誹謗し、世論をミスリードする内容ばかりであった。これらの誤った議論については、すでに中国の研究者によって学術的かつ厳正な批判が加えられている。しかし、今日になって「黎蝸藤」によるこれらの誤った論調が、いわゆる「新証拠」として日本政府主催の「領土・主権展示館」の展示パネルに採用されている。ここからも伺えるように、「黎蝸藤」は日本による対中世論戦の「御用工作員」である可能性がかなり高いと言える。
「黎蝸藤」は、傅雲龍の『遊歴日本図経』に添付された地図および島名表について、次のように主張している。「傅雲龍が釣魚台を日本領土の一部だと認識していたと信じる理由がある……『州南諸島』(琉球列島等を指す)部分において、釣魚台列嶼のすべての島嶼が列挙されており、地図と照合すると、『尖閣群(島)』は釣魚島、南小島、北小島を指し、『低牙吾蘇』は黄尾嶼を指す。この島名表は、地図以上に『釣魚台が日本に属する』ことを示す説得力がある」と論じている。このように、地図と図表を証拠に、清朝の特派官員であった傅雲龍が公式の著作の中で、完全に釣魚台が日本の領土であることを肯定していたことを十分に証明している」と結論づけている。
これらの「黎蝸藤」の誤謬に対して、筆者はすでに10年前の2015年1月15日付の『環球時報』に発表された拙文において反論していた。すなわち、所謂「清朝官僚が釣魚島は日本に帰属すると考えていた」という主張は、完全に曲解である。その史料は実際には日本側の主張を反証する強力な証拠の一つとなりうることを指摘した。
しかし、現在日本側は再びこの誤った主張を蒸し返し、傅雲龍の『遊歴日本図経』の原文の記述を曲解することで、事実を混乱させ、日本国民を欺こうとしている。これは日本側が釣魚島の帰属問題において常套的に使用する手法にすぎない。それについて、再度その誤りを暴露させ、正す必要があると思う。
傅雲龍は、かつて清朝政府の特命を受けて日本を含む各国を視察する重責を担っていた。光緒十三年(1887年)、47歳の傅雲龍は総理衙門が実施した海外視察官員選抜試験で首位を取り、命を受けて出国した。彼は2年間にわたる外国視察の中で、特に日本を重点的に考察した。その背景には、当時の清朝総理衙門が国外の状況を詳細に把握し、国の変革と強化を図るため、外国事情を調査する専門の使節を派遣したことにある。
傅雲龍は清朝の海外視察特使として、1887年から1889年にかけて、太平洋を往来し、26ヶ月の間に日本、アメリカ、カナダ、キューバ、ペルー、ブラジルの6カ国を考察したほか、パナマ、エクアドル、チリなどの5カ国をも経由した。彼は使命を果たすため、広範に資料を収集し、各国の状況を詳細に考察し、膨大な筆記を行い、100巻以上に及ぶ諸国の国情を紹介する『遊歴図経』を執筆した。その中には、約1年をかけて視察・執筆し、1889年に刊行された『遊歴日本図経』も含まれている。
日本側が傅雲龍の著作を断章取義し、曲解したものは証拠として成立しない。『遊歴日本図経』における日本の自然地理や経費予算などに関する記述は、主に日本の関連文献と地図を引用し、若干の説明を付加したものである。同書に添付された『日本国計里総図』及び『日本地理六』の島名表は、いずれも日本が認定した島名を転記したものであり、その中に釣魚島やいわゆる「尖閣諸島」の名称は一切記載されていない。なぜなら、いわゆる「尖閣諸島」という名称は、日本による台湾植民地統治時代の1900年から正式に使い始めたものだからである。
日本側は、傅雲龍が引用した『日本地理六』の島名表に「低牙吾蘇」「尖閣郡」といった名称が記載されていることを根拠に、彼がこれらの島嶼が日本に属することを認めたと主張している。しかし、実は「低牙吾蘇」と「尖閣郡」は誤って記載された島名であり、1845年のイギリス軍艦「サマラン号」の海図で中国の閩南(福建南部)方言に基づいて標註された中国の島名に由来する。
具体的には、花瓶嶼は「Hoa-pin-su」と表記され、釣魚島に誤用された。また、釣魚嶼は「Ti-a-u-su」と表記され、音訳した日本漢字で「低牙吾蘇」と記され、黄尾嶼に誤用された。さらに、赤尾嶼は「Raleigh Rock」と表記され、日本漢字で「刺例字島」または「尔勒里岩」と記された。このほか、1877年のイギリスの『中国東海沿海香港至遼東湾図』においては、南小島、北小島などの島礁は「Pinnacle Is」として記載されていたことで、後の日本海軍省の海図などでは、これらの島名は「尖頭諸岐」(「岐」は中国漢字である「屿」の誤写)などと翻訳された。
日本地図に上記のような混乱や誤りが生じたことは不思議ではない。その原因に、19世紀の日本の一部の地図製作者は、これらの中国の無人島について十分な認識がなかったと考えられる。そして、最も根本的な原因は、日本が意図的に中国の既存の島名を使用することを避け、釣魚島問題において混乱を招き、漁夫の利を得ようとしたことにあるとも考えられる。
釣魚島は中国固有の領土であり、琉球列島の一部であったことは一度もない。しかし、以上のように、当時釣魚島および付属島嶼の名称が日本の地図製作者によって大きく改ざんされたため、傅雲龍はその誤りを見抜けなかった可能性はある。しかし、それが彼がこれらの島嶼が日本に属すると考えていたことにはならない。視点を変えて見れば、仮に『日本地理六』に基づいて1889年に日本が釣魚島を日本領土に組み込んでいたとしたら、その後1895年に釣魚島を窃取する際に主張した「無主地」の根拠が論理的に成り立たなくなり、自己矛盾に陥ることになる。
一方で、傅雲龍は日本の領土に沖縄或いは琉球群島が含まれないことを認識していた。日本の明治政府が1879年に琉球を強制併合し、沖縄県として改称したにもかかわらず、中国の清朝政府はこれを認めなかった。1889年に傅雲龍が執筆した『遊歴日本図経』では、琉球は日本の領土外にあり、「它国」に属すると明確に記述されている。同書にある日本地図にも沖縄県は示されておらず、この観点からも釣魚島が日本に属することを否定していることがわかる。
傅雲龍の『遊歴日本図経』には日本各県の地図が含まれているが、唯一琉球または沖縄県の地図が省かれており、日本の領土は鹿児島県の「与論島」までとなっている。傅雲龍は書中で、日本の領土が本州、四国、九州、北海道を含み、琉球は含まないことを繰り返し指摘している。さらに『日本国計里総図』において、「所謂四大島者、一九州、二四国、三中土、四北海道。中土云者日本島也、一名本洲(本州の誤りか)島」(日本の四大島として、一に九州、二に四国、三に本州、四に北海道がある。中土は日本本島を指し、本州島とも呼ばれる)と説明し、日本の四大島のほか、「它国外者又有豆南諸島嶼、州南諸島嶼、千島列島」(他国に属する諸島として豆南諸嶼、州南諸嶼、千島列島)があるとわざわざ注記している。
ここで挙げている「州南諸島」とは琉球列島を指し、清朝政府が琉球の日本帰属を承認していない立場を示している。したがって、傅雲龍が日本による琉球強制併合さえも認めていない以上、どうして琉球を飛び越えて釣魚島などの無人島が日本の領土であると認める理由があるのだろうか。全く筋の通らない話である。
上述からわかるように、たとえ傅雲龍が当時引用した日本の島名表に所謂「低牙吾蘇」など、改ざんされた釣魚島の名称が記載されていたとしても、それは傅雲龍が釣魚島が日本に属すると考えていたことの証拠にはならない。実際、傅雲龍が『遊歴日本図経』を編纂したのは1889年のことであり、即ち日本が力を以て一方的に琉球国を強制併合し、沖縄県を設置してから10年後においても、清朝政府の官僚は依然として沖縄県が日本に帰属することを認めていなかったことを十分に証明している。
したがって、日本側が傅雲龍とその著作『遊歴日本図経』の権威性を強調すればするほど、釣魚島及び付属島嶼が「沖縄県の管轄下にある」という主張がウソであることが証明されることになる。皮之存らざれば、毛将ぞ焉に附かん(皮が無ければ、毛はどこに付くことができるか)。
日本側が中国の清朝官僚の文献を断章取義し、曲解することで、釣魚島が日本に属すると証明しようとしたが、それはまさに裏目に出たといえる。もし日本側が誤読を続け、『遊歴日本図経』を法理的証拠として強調するのであれば、それは沖縄が日本に属さず、独立した琉球国であると自ら宣言するに等しいのではないか。果たして、日本政府は日本国民と国際社会に対して、どのようにこの主張に論理的整合性を持たせるつもりであろうか。
「人民網日本語版」2026年2月9日
