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japanese.china.org.cn |09. 03. 2026

「中国式現代化」を考える・序論

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人民中国  |  2026-03-09

文=ジャーナリスト・木村知義

今号では、いま、中国を理解する上で欠かせない重要なキーワードとなっている「中国式現代化」について考えます。3月5日から開催の第14期全国人民代表大会(全人代)第4回会議は、これからの中国の発展の道を描く「国民経済・社会発展第15次五カ年計画」が審議、採択されるということで例年にも増して世界が注目する「全人代」となりますが、本稿執筆時点は全人代の開催前なので、「15次五カ年計画」についての精読は先の機会に譲ります。

読者の皆さんもご存じの通り、全人代に提案される「国民経済・社会発展第15次五カ年計画の策定に関する中共中央の建議」(以下、「建議」)は昨年秋に開催された中国共産党第20期中央委員会第4回全体会議(四中全会)で採択されました。その後、各級、各界からさらに意見を募り、議論を重ねて、全人代に提案される運びとなっています。

 

「建議」は「第15次五カ年計画期は、社会主義現代化を基本的に実現する肝心な時期である」と始まっています。「社会主義現代化」はまさに「中国式現代化」の核心をなすものだと言えるでしょう。いま、中国を理解するためには、この「中国式現代化」への認識を深めることが必要にして不可欠だと考えます。しかし「現代化」という言葉は、日本の私たちにとってはそれほどなじみのある言葉ではありませんでした。むしろ「近代化」という言葉が一般的です。では、中国では、なぜ、「現代化」なのでしょう。「中国式現代化」を考える際には、この「問い」から始まります。

なぜ「現代化」なのか 

中国では、なぜ、「近代化」ではなく「現代化」という言葉を採っているのか。これは、アジアにおける、とりわけ日本の「近代化」というものへの批判的考察が背景にあるということではないでしょうか。つまり、日本における「近代化」は例外なく「欧化」を意味したということになりますから、中国はそうした道を歩むものではないという意思を明確に示す意味から「近代化」を採らないということではないかと思うのです。すなわち、日本はアジアにおいていち早く「近代化」した、そして中国はじめアジアの国々に対して、「先進」の日本と「遅れた」アジアという考え方、態度で対してきた歴史があります。「脱亜入欧」という言葉に象徴される思考です。

言うまでもなく、この「欧化」イコール近代化、そしてそれを「先進」とする考え方に対しては、厳しい批判が重ねられてきました。日本がいち早く「欧化」することによって「近代化」したとする思考には、その後の中国、アジアへの植民地支配と侵略の根深い思想的淵源があるという捉え方です。これは現在の日本の中国・アジアとの向き合い方にまでつながる重要な問題として横たわっていると言えます。このような歴史的な省察を踏まえて「近代化」といういわば手垢にまみれた言葉ではなく、「現代化」という言葉で中国の進む道を語っていると理解すると「現代化」の意味がよく分かるというわけです。

もう一つ大事な視点を忘れてはならないと考えます。少し複雑な言い回しになるのですが、日本の「脱亜」的近代主義に対する批判から、「欧化」を超える「非欧化」的なものを生み出している中国という捉え方をしてしまうことに潜む「落とし穴」とでもいう問題です。

中国への向き合い方において、深く本質的な触発を得てきた溝口雄三氏(元東京大学教授)は、例えば「大同」あるいは「大同思想」という視角から中国の歴史に分け入って、「もともと中国の近代はヨーロッパを超えてもいなければ、取り残されてもたちおくれてもいない。それはヨーロッパとも日本とも異なる歴史的に独自の道を、最初からたどったのであるし、今でもそうなのである」と、1989年に上梓した『方法としての中国』の第1章「〈中国の近代〉をみる視点」で述べています。日本における「欧化主義」への省察から、中国の近代を「非ヨーロッパ」として価値を見いだそうとする見方もまた、ヨーロッパを基準としているという意味で、根は同じだというのです。そうではなくて、中国の「前近代」の胎内に近代を準備するものを見る、つまり中国自身の内在的な論理、道筋を見ることが何よりも重要だというわけです。とても大事な触発だと感じたものです。

このように、「近代化」に関わる深い思考に立って、中国が「近代化」ではなく「現代化」という言葉を用いていると理解すると、「中国式現代化」の歴史的意味がくっきりと見えてくる気がしてくるのです。この論立てはあくまでも筆者の「推論」にすぎませんが、多分、それほど的外れではないと確信します。

こうして、今も抜きがたく私たちの思考に入り込んでいる「先進」と「後進(遅れた)」という概念、構図と決別して、「中国式現代化」を考えていく必要があるという問題意識を、まず提起しておきたいと思います。

「中国式現代化」が目指すもの 

では、「中国式現代化」とは何を目指すものなのでしょうか。

「中国式現代化」を中国共産党第20回全国代表大会(第20回党大会)における報告ではこう語っています。

「中国式現代化の本質的な要請は次の通りである。中国共産党の指導を堅持し、中国の特色ある社会主義を堅持し、質の高い発展を実現し、全過程の人民民主を発展させ、人民の内面世界を充実させ、全人民の共同富裕を実現し、人と自然の調和的共生を促進し、人類運命共同体の構築を推進し、人類文明の新形態を創造する、ということである」

また角度を少し変えて、①人口規模の大きな現代化②全人民の共同富裕を目指す現代化③物質文明と精神文明のバランスが取れた現代化④人と自然との調和・共生を目指す現代化⑤平和的発展の道を歩む現代化の五つの指標で語られることもあります。

これらの一つ一つに分け入って考えていくだけでも優に分厚い単行本1冊になるような課題設定であることは言うまでもありません。大事なことは、歴史、伝統、思想、哲学はじめ中国の内在的な論理を軸にしながら、中国および世界の歴史研究はもちろん他の文明、文化との比較研究、さらに現在の世界の政治、経済など各分野の分析を総合して、全体知として凝縮させて「中国式現代化」が提起されていることです。「人類文明の新形態の創造」という実に壮大な目標に向けて、五つの指標を念頭に、新たな時代の中国の特色ある社会主義建設に取り組んでいくのが「中国式現代化」だという理解になります。よって、どこかに前例のある「発展論」などではなく、人類史における「新たな道」を開くものとして「中国式現代化」があるということです。

そこで気になるのが「中国式現代化」の始まりはどこにあるのかです。

「中国式現代化」はどこに始まる 

中国での「現代化」というと、「四つの現代化」という言葉がすぐに思い浮かびます。工業、農業、国防、科学技術の四つの分野で進歩、発展を目指すということですが、多くの人がすぐに思い起こすのは、多分、鄧小平時代のことだと思います。しかし、歴史はもっとさかのぼることを知っておく必要があります。

1954年9月に開催された第1期全国人民代表大会第1回会議の開会の辞で当時の毛沢東主席は「数回にわたる五カ年計画の中で、現在のように経済および文化面で立ち遅れたわれわれの国家を、工業化し高度な現代文明レベルを備えた偉大な国家に築き上げよう」と呼び掛けました。それを受けて、周恩来総理が「わが国の経済はもとより立ち遅れていた。もし、われわれが強大かつ現代化した工業、現代化した農業、現代化した交通運輸業、現代化した国防の建設に取り組まなければ、没落と貧困から抜け出せず、われわれの革命は目標を達成できない」と述べました。つまり、「四つの現代化」を提起していたのです。こうして、中国の発展戦略が提起され、それから、時には一時的な挫折や曲折も経験しながら、絶えることなくこの目標を追い求めてきたのです。すなわち、「中国式現代化」とは中華人民共和国の成立以来、もっとも大事な発展戦略としてあり続けているという歴史を知っておく必要があるのです。

その上で、鄧小平氏が主導した改革開放の段階を経て、いま時代を画して、習近平主席の下、新たな段階へと歩みを進め、発展戦略も経済にとどまらず、より全面化、総合化して進化、そして深化しているということなのです。こうした連続性と段階性の「複眼」で中国の発展の道筋を捉える視点が大事だと考えます。それが、これからの「第15次五カ年計画」の展開を的確に見ていくために、すなわち中国の未来を見つめる上で欠かせない視点だと考えるのです。

これが、「中国式現代化」はどこに始まる、という問いを立てた意味です。

「中国式現代化」の世界的意義 

では、「中国式現代化」は独自の中国モデルということだけに終わるものなのでしょうか。世界にとってどんな意味があるのでしょうか。

この設問について考える上で重要な視点は、前にも述べた、第20回党大会で「中国式現代化」の本質は「人類文明の新形態を創造する」とされたことだと思います。

「人類文明の新形態の創造」とはどんなことを指しているのか、なかなか難しい「問い」となるのですが、少なくとも、日本の私たちや欧米諸国の人々が暮らす社会を超える、新たな社会の在り方だろうと想像できます。さらに、「中国式現代化」の核心は「新時代の中国の特色ある社会主義の現代化」だということを踏まえれば、それは従来の、つまりかつて世界が見たことのある、そして「崩壊」せざるを得なかった旧ソ連・東欧型の社会主義とは異なる、新たな社会主義像として思い描くべき社会の姿だろうと考えます。具体的に、社会の仕組みの何がどう変わっていくのかまでは、資本主義社会、それも、いまや世界で行き詰まりが語られる資本主義に暮らす日本の私たちには、なかなか想像しにくいのですが、「中国式現代化」で語られる五つの指標を思い浮かべるだけでも、新たな社会の片りんが見えてくる気がします。

とりわけ「共同富裕を目指す現代化」は、今私たちが突き当たっている格差と貧困をどう解決していくのかの大きなヒントとなるでしょうし、環境破壊に社会の持続性が危うくなってきている世界にとって「人と自然との調和・共生を目指す現代化」は世界全体の大きな支えとなるでしょう。さらに「物質文明と精神文明のバランスが取れた現代化」は、いま世界で深刻な問題となっている、人間の精神的な行き詰まりや孤立、生きることの息苦しさなどに悩む社会の閉塞状況を打ち破り、人が人として人間らしく生きる社会への脱却への手がかりを示すものになるでしょう。つまり「中国式現代化」とは、ひとり中国に限られた社会の進歩、発展ではなく、21世紀の未来社会への道を開く構想力を備える、世界が共有する意義のあるものだと言えるでしょう。

さらに加えれば、いま存在の重さを増す一方の「グローバルサウス」と言われるかつての「発展途上国」にとっては、「西洋化」あるいは「欧米化」の道をたどらなくても発展の道を歩むことのできる、「もう一つの道」(オルタナティブ)を指し示すことになるものだと言えます。これは必然的に、世界秩序の多極化と価値観の多元化を一層促すことになり、世界の構造の大変革につながることは間違いありません。つまり世界が変わるのです。

まだまだ挙げればきりがないのですが、ここまで考えるだけでも、「人類文明の新形態の創造」が意味するものの輪郭が見えてくる気がします。まさに、米欧中心の秩序から世界の在り方を大きく変えていく原動力となる「中国式現代化」です。「中国式現代化」とはそれほどの訴求力と可能性を内に秘めた、世界的視界で大きな意義を持つものだと言えます。

今回は、「中国式現代化」を考えるとば口に立つ、ほんの「序論」としか言えない稿ですが、さらに機会を捉えて、読者の皆さんと共に、より多角的に考察を深めていこうと考えています。

 

木村知義 (きむら ともよし)   

1948年生。1970年日本放送協会(NHK)入局。アナウンサーとして主にニュース・報道番組を担当し、中国・アジアをテーマにした番組の企画、取材、放送に取り組む。2008年NHK退職後、北東アジア動態研究会主宰。  

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