お茶の飲み方
 

  中国ではお茶を飲む歴史は最も長い。陸羽の『茶経』には「茶を飲むことは神農氏から始まり、魯の周公より世に知られる」と書かれている。早くも神農の時期に茶とその薬用の価値が発見され、しかもその薬用が次第に発展して日常生活の飲物に変わったのである。中国は昔から茶の選定、水の採用、茶具の準備、茶入れ、茶を捧げる及びお茶の賞味などを重んじてきたため、だんだん豊富多彩で誰もが楽しめるお茶を飲む習俗と賞味の技芸が形成されるようになった。
  ここではお茶の飲み方と習俗の発展と変化について簡単に説明しよう。その発展と変化は大体次の幾つかの段階に分けられる。春秋時代(前770〜前476年)の前から茶は初めは薬用として注目されるようになった。昔の人たちは直接茶木の新鮮な葉を噛み、その汁を飲むと、香ばしくて口の中がさっぱりした感じになり、楽しい気持ちになるような気がし、日が立つにつれて、茶の葉を噛むことは人々の好みとなった。この段階は茶を飲物とする前触れである。人類の生活の進化につれて、茶の葉を生で噛む習慣は次第に煮て飲むようになり、つまり、新鮮な茶の葉を水で洗い、陶の壷に入れ、水を加えて煮、できたら葉っぱと湯をともに飲むということになった。煮てできたお茶は苦くて渋いが、味わいが濃くて風味と効率はいずれも上々であった。こうして茶の葉を煮て飲む習慣が定着し、このとき初めて茶は飲料とみなされることになった。だが、茶は薬用から日常の飲料の段階へと発展する途中には食用という移行の段階があった。即ち、茶を調理するようによく煮た茶のあつものを飲むようになったのだ。また、よく火を通してからご飯とおかずと一緒に食べることになった。この時の茶を使う目的は栄養を増すことと食べ物の解毒のためであった。『晏子春秋』には「晏子相景公、脱粟の飯を食う、自分に三弋五卵の銘茶を炙る」とある。また、『爾雅』では「苦荼」について「葉を炙って羹を飲む」という解釈がある。『桐君録』などの古書には茶に肉桂と一部の香料を入れて煮て食用に供するという記載がある。こんな段階まで進んだ茶の利用方法は当時の料理技術を生かして、茶汁の味わいというものに気がつくようになった。
  秦・漢の時期になると、茶葉の簡単な加工がおこなわれるようになった。新鮮な葉っぱを棒でつぶし平らで厚さのある茶の塊を造り、さらに干すか炙るかをして保存しておく。飲むときに茶塊を砕いて急須に入れ、さらにネギ、ショウガ、ミカンをいれて熱湯を注ぐ。こんな時の茶の葉は日常生活用の解毒の薬品ではなくなり、お客をもてなす食品となったのである。また、秦代の全国統一により、一番早く流行っていた四川省あたりの茶の飲み方の知識と風俗が東の方へ広がることが促された。前漢の時、お茶を飲むことはすでに宮廷や役人の家庭の高雅な気晴らしとなり、王褒の『童約』の中で「武陽、茶を買う」という記載がある。三国期に茶を崇める風気がさらに発展し、茶を調理することや煮る方法に気を付き「茶を以って酒に代わる」(『三国志・呉志』により)習俗が現れ、これは華中地区ではお茶を飲む習慣はとても普遍的なことになったことを物語っている。西晋・東晋と南北朝になると、茶は貴重な贅沢品から次第に普通の飲物となった。隋・唐の時代に茶の葉はほとんど塊に加工され、飲むときは調味料を入れて煮て飲んだ。茶業の隆盛と貢ぎ茶が現われることによって茶の栽培と加工技術の発展も加速され、多くの銘茶が現われ、茶を飲む方法も大いに改善された。特に唐代になると、茶を飲むことが急に盛んになって一つの風潮となり、飲む方式も大いに進んだ。この頃、お茶の苦みと渋みを改善するため、はっか、塩、ナツメを入れて調味することになった。その他、専門の器具でお茶をいれるようになり、茶を論じる著作も現れた。陸羽の『茶経』三編には茶事について詳しく書かれ、茶を飲むことと煮ることについて詳しく述べられている。また、茶と水を選択するようになり、お茶をつくる方法、飲む環境、茶の質をますます重視し、しだいに茶道が生じるようになる。唐代以前の「銘茶の御粥を食べる」ことから唐代の人が茶を「衆を越えて独りで高い」ものと喩えるまでの発展は中国の茶文化の飛躍である。「茶は唐から始まり、宋に盛んになる」というように宋代になると、茶をつくる方法が変わり、お茶を飲む方式に深く影響を及ぼすことになった。宋の始め頃、多くは茶の葉を団茶、餠茶の形に造り、飲むときそれを砕き、調味料を加えて煮た。調味料を入れないときもあった。茶の種類の豊富さと茶の賞味についてますます研究が加えられることによりお茶の元の色、香り、味を大切にし、調味料をだんだん減らすようになった。それと同時に蒸す方法では、塊ではなくてばらばらの茶が造られ、しかもそれが絶えず増え、茶の生産も塊からばらばらの茶の葉へと発展する。この時、茶を煮ることと飲むことの手数が少なくなり、伝統的な茶入れと飲む習慣が宋代から明・清時代にかけて大きな変革をとげた。明代以後、製茶工芸の革新で、団茶、餠茶はほとんどばらばらの茶に取って代わられ、茶の入れ方は元々の煮る方法からだんだんお湯を注ぐようになった。お湯を茶の葉に注ぎ、できたお茶をゆっくり啜り、その茶の香りと深みのある及び澄んだ茶湯から茶の天然の色・香・味を楽しむようになった。
  明・清以後、茶類の増加により、茶を飲む方式には次の二つの特徴をもつようになった。一つは茶を賞味する方法が日に日に凝るようになったこと。急須や茶碗を先ずお湯で洗い、乾いた布で水気を取り、茶の屑を捨ててから茶杯に入れる。茶器も「紫砂を上品とし、ふたが香りを奪うことなく、湯気もない」ものとなった。第二は六種類の茶が現われ、飲む方法が茶類によって大きく異なってくる。同時に各地区では風俗により茶類を選ぶようになった。例えば、広西と広東地区は紅茶、福建はウーロン茶、江蘇・浙江あたりは緑茶、北方の人々はジャスミンなどの花の香りのついたお茶や緑茶、辺境の少数民族の多くは黒茶、茶塊を好む。茶を飲む風習は色々あるが、調味料、茶を飲む環境などを基点とすれば、今日の茶を飲む習俗は三種類に分けられる。
  一、すっきりしてあか抜けした習俗。茶の葉にお湯(或いはやや冷めたお湯)を注ぎ、清くて優雅に飲み、お茶の自然の味を求める。境地を重んじ、古代の「心が静かである」伝統的思想とぴったりあい、これはあか抜けした飲み方の特徴である。中国の長江以南の緑茶、北方のジャスミンなどの花の香りのついた茶、西南地区のプーアル茶、福建あたりのウーロン茶、及び日本の蒸青茶はみなこれに属する。
  二、調味料味も求める習俗。その特徴はお茶にいろいろな調味料を入れたことである。辺境地帯の酥油茶、塩茶、ミルクを入れたお茶、ドン族の油茶、トウチャ族の擂茶、さらに欧米のミルクティー、レモンティー、多味茶、香料茶などいずれも調味料の特徴のある味がついている。
  三、多種類の楽しみを求める習俗。即ち、お茶を賞味すると同時に踊り、音楽、書画、戯曲などを鑑賞することである。例えば、北京の「老舎茶館」はこれに属する。その他、生活のリズムが早くなった事によって茶も現代的なものに変わった。インスタント茶、氷り茶、液体茶及び各種のパック入りの茶が現代文化の現実を重んじる真髄を表わすものとなった。茶の賞味とは言えないが、これはお茶の発展の趨勢の一つであることは否定できない。お茶を飲む最初の目的は解毒、食べ物の消化、心を清める思考に有益、睡眠の減少のためだ。その後、陸羽の『茶経』などに書かれているようなますます発展した飲み方、それに少数民族の色々の「変わった飲み方」が現われたが、いずれも以上の目的を離れてはいない。あたかも詩の雅と風の如く、趣味を持つ人にゆっくり賞味させる価値があるのだ。「雅」のためのお茶は今日の茶芸館の隆盛の原因の一つであり、また「道」のためのお茶は「和・敬・清・寂」を強調するものと思うが、見方はまちまちであろう。

 

>> 閉じる

 
 
Copyright 2001 China Internet Information Center. All Rights Reserved
E-mail: webmaster@china.org.cn Tel: 86-10-68996214/15/16