四、蒸青から炒青へ 餅茶と団茶と比べれば、茶の香りは蒸青散茶の場合はよく保たれたが、蒸青の方法には茶の香りを十分に引き出していないという欠点が存在した。すると、湿り気のない熱で茶葉の優れた香りを引き出す炒青技術が現れた。緑茶を炒ることは唐代からすでにあった。唐の劉禹錫の『西山蘭若試茶歌』には、「山僧の部屋の裏の軒下に茶畑あり……これすべからく炒りて満室に香りみちる」と書かれており、また、「摘むことから煎じることに至り、すぐおれる」と言う句がある。この記録から、茶の若い芽は炒ることでその香りが部屋いっぱいに満ち、そして炒るプロセスの時間は長くないことが分かる。これは青緑茶を炒ることについての最初の記載である。唐、宋、元代の発展により、青茶を炒ることが多くなり、明代に至ると、炒る製造法が次第に完ぺきなものとなった。これについては『茶録』『茶疏』『茶解』の中でいずれも詳しく書かれている。その制造法は大体、高温で青を取り除き、揉み、再び炒り、炙って乾燥させるというプロセスであるが、現代の炒青緑茶の製造法と良く似ている。付録にある緑茶の製造技術をご参照されたい。 五、緑茶から他の茶類に発展 茶をつくる過程において茶の香りと味を確保するためにいろいろ模索した結果、発酵せず、半発酵、発酵という一連の異なった発酵工程によって引き起こされる茶質の変化から法則が分かり、茶の葉の若い芽は異なる製造工芸を通して色、香り、味、形などにそれぞれの特徴を持つ緑茶、黄茶、黒茶、白茶、紅茶、青茶という六種類の茶が制作された。 (1)黄茶の誕生 緑茶の基本工芸は青を取り除き、揉み、乾燥することであるが、もしこの製造技術をうまくマスターできなかったら、例えば、青を炒ることと青を取り除く際の温度が低くて時間が長くなれば、或いは青を取り除いた後すぐに乾かさなかったり揉まなかったり、または、揉んでからすぐに炙ったり炒ったりしなければ、葉っぱは黄色になり、黄色の汁も出て来る。これは後に現れた黄茶と似ている。と言うことで、黄茶の誕生は緑茶の製造の不手際から来た可能性がある。明代の許次紓は『茶疏』(一五九七年)にその進展変化を記している。 (2)黒茶の出現 緑茶の青を取り除く時、葉っぱの量が多くて温度が低かったため、葉っぱは黒味を帯びた緑褐色になるか、或いは緑毛茶が多く積もって発酵するため黒くなることによって黒茶が現われた。黒茶の製造は明代の半ばから始まり、明の御史の陳講疏は黒茶の生産(一五二四年)について次のように書いている。「商茶は低くて、黒茶を徴収することになり、産地には限りがあり……」と。
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