政府間往来の主要年表
1972年
8月、 中国銀行と東京銀行が、元・円の決済制度新設に関する合意書に調印。
周恩来総理が日中文化交流協会代表団一行と会見。
 
9月、 田中角栄日本国首相が中国を訪問。周恩来総理と田中角栄首相は中日両国間の国交正常化問題について会談。毛沢東主席が田中角栄首相と会見。29日、中日両国政府の共同声明が北京で調印され、戦争状態の終結を宣言し、中日国交正常化を実現。
 
10月、 周恩来総理、姫鵬飛外交部長が来訪の藤山愛一郎議員と会見。
中日友好集会、北京で開催。中国側300人、日本側420人が参加。
 

1973年
1月、 周恩来総理、木村武雄自民党衆院議員と会見。
林佑一駐中国臨時代理大使が北京に到着、日本国大使館開設。
米国鈞駐日臨時代理大使ら11人が東京に到着。
 
3月、 陳楚駐日大使が東京に赴任。
小川平四郎初代駐中国大使が北京に着任。
 
4月、 中日友好協会代表団(団長=廖承志同協会会長)一行55人が、日中友好協会正統本部など22団体の招きで訪日。田中角栄首相、大平正芳外相とそれぞれ会見。
日中友好議員連盟成立(自民、社会、公明、民社、第二院クラブ、無所属国会議員ら400名で結成。会長は藤山愛一郎氏)。
 
6月、 中国の天津市と日本の神戸市が国交正常化以後初の中日友好都市関係を締結。
 
10月、 陳楚大使が中華人民共和国国慶節祝賀レセプションを主催、日本の政、財界の2000人が出席。
 

1974年
1月、 中日貿易協定調印。
両国常駐記者交換に関する覚書調印。
ケ小平副総理が木村武雄議員と会見。席上、平和友好条約の早期締結を待望すると発言。
 
4月、 中日航空協定、北京で調印。
 
7月、 中華人民共和国展覧会、大阪で開幕。8月11日までの入場者延べ260万人。
 
8月、 廖承志中日友好協会会長が日中友好議員連盟訪中代表団を歓迎。双方は実務協定と並行して中日平和友好条約の予備会談を行うことで意見が一致。
 
9月、 中華人民共和国展覧会、東京で開催。
中日間定期航空路開設。中国友好訪問団(団長=王震氏)、日中航空路開設友好訪中団(団長=小坂善太郎氏)が一番機で相互訪問。
30日、社会、公明、民社3党、日中友好国民連絡会議など20団体が「中華人民共和国成立25周年祝賀、日中平和友好条約締結促進中央集会」を東京で開催。
 
11月、 中日海運協定、東京で調印。
 

1975年
6月、 周恩来総理が藤山愛一郎国際貿易促進協会会長と会見。
 
8月、 中日政府間漁業協定、東京で調印。
 
9月、 日本国総領事館、上海に開設。
日中協会、東京で発足。
 
11月、 日本工業・技術展覧会が北京で開催。
 

1976年
1月、 周恩来総理の逝去に三木首相が談話を発表し、中国大使館に赴き弔問。
 
2月、 東京日比谷会堂で周恩来総理国民追悼集会が開催。日中友好諸団体・個人3000名が参列。
 
3月、 中国総領事館が大阪で開設。
 
9月、 毛沢東主席の逝去に三木首相が談話を発表し、中国大使館に赴き弔問。
 
10月、 東京で毛沢東主席国民追悼集会が開催。三木首相のほか各界人士3000名が参列。
喬冠華外交部長と小坂外相がニューヨークで会談。中日平和友好条約の早期締結に合意。
中日海底ケーブル開通(上海=熊本県苓北町 約850`) 。
 

1977年
6月、 中国外交部はいわゆる「日韓大陸だな共同開発協定」につき抗議声明を発表。
 
9月、 李先念副主席が藤山愛一郎、黒田寿男、西園寺公一各氏と会見。
中日商標協定、北京で調印。
 
10月、 黄華外交部長は国連総会一般演説で、日本の北方領土返還要求を支持すると言明。
ケ小平副主席が二階堂進議員と会見。
 


1978年
5月、 上海宝山製鉄所建設に関する中日議定書が北京で調印。
 
8月、 中国の黄華外交部長と日本の園田直外相は両国政府を代表して署名、中日平和友好条約に北京で調印。
 
10月、 ケ小平副総理が訪日、東京での中日平和友好条約批准書の交換儀式に出席。
 

1979年
2月、 ケ小平副総理が訪米後の帰国の途上、日本を2日間訪問し、大平正芳氏と会談。
 
4月、 ケ頴超全人代常務委副委員長が全人代代表団を率いて訪日。
京都嵐山の周恩来詩碑除幕式がケ頴超氏出席の下で挙行。
 
5月、 中国外交部は日本が中国の領土釣魚島にヘリポート建設調査団と測量船を派遣したことについて駐中国日本大使館に遺憾の意を表明。
 
12月、 大平正芳首相が中国を訪問し、中日友好医院建設、対中円借款などを約束。
 

1980年
3月、 日本が広州に総領事館を開設。
 
4月、 日本が中国に特恵関税を提供。日本輸出入銀行、東京銀行が北京に事務所開設。
日本政府の対中円借款供与に関する文書を交換、これに基づき借款協定に調印。
 
5月、 華国鋒総理が訪日。
 
6月、 華国鋒総理が大平首相の逝去に弔電、日本大使館へ弔問。
 
7月、 華国鋒総理が故大平首相の葬儀参列のために訪日。
 
9月、 中国が札幌に総領事館を開設。
 

1981年
5月、 日本海外経済協力基金北京駐在事務所開設
 
7月、 中国外交部は日本の沖縄県が釣魚島で漁業資源調査を行ったことについて日本大使館に抗議。
 
10月、 趙紫陽総理と鈴木善幸首相、メキシコのカンクンで会見。
 

1982年
5月、 趙紫陽総理が訪日。
 
8月、 呉学謙中国外交部副部長が日本大使と会見、文部省検定教科書の中にある日本軍国主義の中国侵略の歴史を改ざんした誤りを正すために必要な措置を講じるよう日本政府に再度要求。
 
9月、 鈴木善幸首相が訪中、(北京政協礼堂で)日中国交正常化10周年記念講演。
中日国交正常化10周年祝賀中国訪日代表団が訪日。
 
10月、 第1回中日民間人会議が東京で開催。中国側より王震前副総理、王炳南対外友好協会会長らが出席。
 

1983年
2月、 中曾根康弘首相が衆議院予算委員会で、対中戦争を「侵略戦争」と認め、今後の戒めとすると発表。
 
11月、 胡耀邦総書記が訪日。中曾根首相と会談、中日友好21世紀委員会設置で合意、NHKホールで講演、来秋に日本青年3000人を中国へ招待と発言。
 

1984年
1月、 胡耀邦総書記、日本国民へ新年のメッセージ。
 
3月、 中曾根康弘首相が訪中。ケ小平中央顧問委員会主任、胡耀邦総書記、趙紫陽総理と会談。北京大学で講演、内外記者と会見。7年間に4700億円の対中円借款供与と「中日友好21世紀委員会」の発足で双方合意。
 
9月、 中日青年友好交歓大会が北京で開催。日本側3000人、中国側15000人参加。
 
10月、 中日友好病院が北京で落成。鈴木前首相がオープンセレモニーに出席。
 

1985年
3月、 胡錦濤中華全国青年連合会主席(中国青年代表団団長)が訪日。
 
4月、 彭真全人代常務委員長が訪日。
 
5月、 長崎と福岡で中国総領事館がそれぞれ開設。
 
7月、 中日原子力協定調印。
 
8月、 日本政府閣僚の多数が靖国神社に参拝し、日本の野党、民間団体がこれに強く反対。中国の世論は日本の閣僚が侵略戦争を美化したものと批判。
 
10月、 趙紫陽総理、中曾根康弘首相とニューヨークで会談。
 

1986年
1月、 日本は瀋陽に総領事館を開設。
 
6月、 中国外交部スポークスマンは、文部省が「日本を守る国民会議」編纂の高校用日本史教科書を認可したことに不満を表明。
 
7月、 中日友好囲碁会館が北京に落成。
 
11月、 中曾根康弘首相が訪中、中日青年交流センターの定礎式に出席。
 

1987年
5月、 ケ小平が宇都宮徳馬参議院議員一行との会見で、光華寮問題の適切な解決を日本政府に要求。
 
6月、 日中両国、外交部と駐中国日本大使館の間で5年間に中国の青年500人を日本に招待することについての覚書を北京で交換。
 
7月、 両国政府、東京で第2次円借款協定に調印。
 
9月、 趙紫陽総理、中曾根康弘首相、国交正常化15周年で祝電を交換。
 

1988年
1月、 日中友好会館が東京に落成。
 
5月、 奥野誠亮国土庁長官が中日関係を傷つける発言で職を解かれる。
 
8月、 竹下登首相が訪中。1990年から6年間に8100億円の対中新円借款供与を発表。
中日投資保護協定、北京で調印。
 
10月、 中日平和友好条約発効10周年で、李鵬総理と竹下登首相が祝電を交換。
 

1989年
1月、 楊尚昆国家主席と李鵬総理が昭和天皇の逝去で竹下登首相あてに弔電。
 
2月、 銭其しん外交部長が昭和天皇の葬儀参列のため訪日。
 
4月、 李鵬総理が訪日、中日投資促進機構の早期発足、中日技術交流会議の創設で合意。
 
9月、 伊藤正義日中友好議員連盟会長一行が訪中。ケ小平は一行と会見した際、「どのようなことが起ころうとも、中日友好を変えることはできない。変わることはありえないのだと語る。
 

1990年
1月、 鄒家華国務委員が訪日。
 
3月、 日中投資促進機構発足。
 
6月、 中日投資促進委員会設立。
 
7月、 日本外務省の小和田恒審議官が訪中、日本政府の第3次対中円借款の再開を伝達。
 
10月、 楊尚昆国家主席が日中友好協会代表団と会見。
 

1991年
5月、 中日青年交流センターがオープン。竹下登元首相が同センターのオープンセレモニーに列席。
 
8月、 海部俊樹首相訪中、江沢民、楊尚昆、李鵬らの指導者と会見し、中日関係の全面的回復を表明。
 
9月、 中国人民対外友好協会が、古井喜実日中友好会館会長・元法相、伊東正義日中友好議員連盟会長・元外相に「人民友好使者」の称号を授与。
 
11月、 中国人民対外友好協会が、宇都宮徳馬日中友好協会会長に「人民友好使者」の称号を授与。
 

1992年
4月、 中日国交正常化20周年を記念するため、江沢民総書記が訪日、宮沢喜一首相と会談、NHKホールで講演。
 
9月、 中日国交正常化20周年を祝い、北京で記念パーティーが行われ、中日両国の4000人が出席。
 
10月、 天皇、皇后両陛下が中国を初めて公式訪問。歓迎晩餐会で「中国国民に多大の苦難を与えた」と発言。
 

1993年
2月、 中国銀行が日本の東京、三菱、住友など38銀行から3億ドルの借款を調達。
 

1994年
1月、 羽田孜副総理兼外相が訪中。
 
2月、 朱鎔基副総理が訪日。日本に対中協力を拡大する「中国ブーム」が出現。
 
3月、 細川護煕首相訪中、中日環境保護協定に調印。
 
11月、 栄毅仁国家副主席が訪日。
 
12月、 日本政府は中国に対して40件のプロジェクトに使用する5800億円の円借款を1996〜98年度の3年間に供与することを決定。
 

1995年
1月、 日本の兵庫県南部に大地震発生、中国政府が300万元の救援物資を提供。
 
5月、 村山富市首相が訪中、蘆溝橋にある中国人民抗日戦争記念館を見学。
 

1996年
4月、 銭其しん副総理兼外交部長が訪日。
 
5月、 北京中日環境保護センターが落成。
 

1997年
8月、 日本の梶山静六内閣官房長官が「日米防衛協力ガイドライン」改定後は中国の台湾海峡地区も日米の防衛協力の範囲に入ると言明。中国の内政に干渉するこの誤った発言に中国とアジア諸国の世論が厳しく非難。
 
9月、 橋本龍太郎首相が訪中、瀋陽の「9・18」記念館を見学。
 
11月、 李鵬総理が訪日、中日漁業協定と資金協力のプロジェクトなどに調印。
 

1998年
2月、 遅浩田中央軍事委員会副主席、国務委員兼国防部長が訪日。日本の久間章生防衛庁長官と中日防衛交流問題について会談。
 
4月、 胡錦濤国家副主席・中国共産党中央政治局常務委員が訪日。
 
5月、 久間章生防衛庁長官が訪中。中日の軍事防衛交流について会談。
日本映画『プライド――生命の瞬間』について、外交部スポークスマンは、東条英機が侵略戦争の元凶であるにもかかわらず、日本国内で侵略を美化し、東条をたたえる映画を製作したことにわれわれは驚き、怒り、こうした行為は日本人民を含む歴史を正視し、平和を愛するすべての人々に非難されるだろう、と表明。
 
11月、 江沢民は国家主席として初めて訪日。
平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する中日共同宣言、東京で発表。
両国政府は「中日青少年交流協力計画」(略称「協力計画」)に調印。
 
12月、 李鵬委員長、日本青年代表団と会見。
胡錦濤副主席がベトナムのハノイで小渕恵三首相と会談。
 

1999年
1月、 朱鎔基総理、日本の議員代表団と会見。
胡錦濤副主席、日本参議員代表団と会見。
 
4月、 江沢民国家主席、桜内義雄会長を団長とする日本国際貿易促進協会代表団と会見。
朱鎔基総理、篠沢恭助会長が率いる日本海外経済協力基金会一行と会見。
李鵬委員長、斎藤十郎日本参議院議長と会見。
李嵐清副総理、兵庫県知事と会見。
 
5月、 李鵬委員長、佐藤信二元通産相と会見。
李鵬委員長、日中友好議員連盟代表団一行と会見。
李鵬委員長、林義郎日中友好議員連盟会長一行と会見。
孫家正中国文化部長一行が訪日。
 
6月、 中日友好二十一世紀委員会第十三回会合が奈良で開催。
両国総理、中日友好二十一世紀委員会第十三回会合にそれぞれメッセージを送る。
李嵐清副総理、土屋義彦日本全国知事会訪中団団長一行と会見。
 
7月、 小渕恵三首相、東京で中国記者団と会見。
小渕恵三氏が首相として初めて訪中。
宋健全国政治協商会議副主席・中日友好協会会長が高村正彦外相と会見。
唐家せん外交部長がシンガポールで高村正彦外相と会談。
中日両国政府、旧日本軍が遺棄した化学兵器の廃棄処理についての覚書に調印。
 
8月、 日本政府の招きで、北京、上海、、江蘇、浙江、陜西などの地の40校から100名の高校生が訪日。
中日、警務協力に関する会談覚書に調印。
 
9月、 江沢民主席が、ニュージーランドのオークランドで小渕恵三首相と会談。
李鵬委員長、日中経済貿易センター代表団一行と会見。
胡錦濤国家副主席、日本社民党代表団一行と会見。
中国人民対外友好協会、関本忠弘氏に「人民友好使者」の称号を授与。
胡錦濤副主席、後藤田正晴氏と会見。
 
10月、 小渕首相、陳至立中国教育部長と会談。
朱鎔基総理、日中経済協会訪中団一行と会見。
胡錦濤副主席、加藤紘一日本自民党元幹事長と会見。
何魯麗全人代常務委副委員長、東京都議会友好代表団と会見。
中国政府の招きで、日本青年代表団(100人)が中国を友好訪問。
 
11月、 李瑞環全国政治協商会議主席、日本のトヨタ(株)代表団一行と会見。
河野洋平外相、中国のWTO加盟に関する中米合意について談話を発表。
李瑞環全国政治協商会議主席、野中広務日本自民党幹事長代行と会見。
胡錦濤国家副主席、日本公明党訪中団一行と会見。
 
12月、 中華人民共和国建国五十周年を記念して、日中文化交流協会(團伊玖磨会長)の招きで、中国人民対外友好協会代表団、中国作家代表団、中国出版代表団が日本を訪問。
李瑞環氏が全国政協主席として初めて訪日。
李鵬委員長、読売新聞代表団一行と会見。
 

2000年
1月、 中国外交部長、日本の右翼勢力の南京大虐殺否定集会について日本側に中国の厳正な立場を表明。
 
4月、 江沢民主席と朱鎔基総理はそれぞれ森喜朗新首相に祝電を送り、内閣総理大臣就任に祝意を表した。
 
5月、 江沢民主席は日中文化観光交流使節団一行と会見。
中国人民対外友好協会、松下正治氏に「人民友好使者」の称号を授与。
 
7月、 中国の呉儀国務委員が訪日、森喜朗首相、豊田章一郎日中投資促進機構会長及び経済界の人々と会見。
 
8月、 唐家せん外交部長の招きで河野陽平外相が中国を訪問。江沢民主席、朱鎔基総理が外相一行と会見。
 
9月、 江沢民主席、森喜朗首相とニューヨークで会見。
朱鎔基総理、日本自民党の国会対策副委員長を務める逢沢一郎氏を代表とした、日本の衆議院若手議員訪問団一行と会見。
中国政府の招きで、日本青年代表団(100人)が中国を友好訪問。
朱鎔基総理、村山富市元首相と会談。
 
11月、 朱鎔基総理、日本を訪問。