雑技
早くも2500年前の春秋時代に、中国では雑技(曲技)の芽生えがあった。最初に現れたのは腕力型の雑技である。武勇に富んだ者たちが手で重い車輪を投げたり受けたりし、この人たちは腕の力が抜群であるばかりでなく、一定のテクニックも持っていた。漢代になると、雑技の公演はすでに非常に流行し、上は宮廷の宴会から下は民間の祝事に至るまで常に行われていた。
古い雑技芸術は世々代々伝承され、出し物は極めて豊富多彩である。有名な芸には「輪抜け」、「唐独楽回し」、「綱渡り」、「足芸」、「甕のせ」、「皿回し」、「碗のせ」などがある。1949年の新中国建国後、雑技は政府に重視され、大きな発展をとげた。全国では県クラス以上の雑技公演団体が約100もあり、民間雑技団・グループは1000を数え、膨大なプロとアマチュアの雑技芸術陣が形成された。中国の雑技は国外に進出し、数百の雑技公演団・グループが前後して世界の100余カ国・地域で訪問公演を行った。1981年から1997年まで、中国はフランスの「明日と未来」国際曲芸フェアのグランプリ「共和国大統領賞」などの金賞を累計35回受賞した。中国はさまざまな世界曲技コンクールで金メダルを計85個獲得した。中国雑技の優れたテクニックは各国の人びとに高く賞賛され、中国は「現代第一の雑技大国」と公認されている。
国内の多くの地方では雑技がかなり普及し、例えば山東省聊城、江蘇省塩城、河南省濮陽、湖北省天門、安徽省広徳、天津市武清などは「雑技の里」と称されている。とくに触れなければならないのは河北省呉橋の雑技である。呉橋雑技は歴史が長く、分厚い大衆的基盤があり、国内外の広い範囲に影響を及ぼし、有名な「雑技の里」である。1987年から、「中国呉橋国際雑技芸術祭」が2年ごとに1回行われ、中国と世界各国の雑技団・グループが世界一流の出し物を携えてコンクールに参加し、演技を披露している。
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