チベットの科学・技術

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前書き

チベットは「世界の屋根」と称されており、人々の心の中では古くて非常に神秘的なところである。平均標高は4000メートル以上で、面積120余万平方キロ(全国総面積のおよそ八分の一を占める)の土地の上に232万の人口があり、チベット族を主体とする中華人民共和国の少数民族自治地区である。

社会の発展の歴史のながい流れの中で、中華民族の構成部分としてのチベット人民はかつてさん然と輝く古代文化と悠久な歴史を創り上げた。しかし、旧中国では、チベットの科学・技術は非常に立ち後れていた。1949年の中華人民共和国成立以後、中央人民政府はチベットの科学・技術事業の発展を非常に重視し、各方面から配慮し、支持を与えた。40数年来、チベットの各民族人民は伝統的な技術と芸術を受け継ぎ、発展させるとともに、近代の科学・技術事業を興し、発展させ、育種、栽培、養殖、医薬、環境保全、エネルギー、交通、気象および新技術、新製品の開発などの各科学研究分野でいずれも実り豊かな成果をあげた。統計によると、1995年末までに、チベットの科学者、技術者たちは科学研究課題を合わせて2368件完成し、511件は自治区クラスの科学・技術賞を受賞し、その中の11件は国家科学・技術進歩賞を受賞した。高原地帯としての特色をもついくつかの科学研究プロジェクトはすでに世界先進レベルに達し、多くの科学研究の成果は市場に投入されて、生産実践の中で普及、応用され、建設と社会の発展のために貢献をした。

1952年7月1日のチベットで最初の科学研究機構――ラサ「七一農業科学・技術実験場」の設立から今まで、チベットはすでにいくつかの科学研究、技術普及と科学・技術管理機構を逐次設立し、教学、科学研究、科学・技術管理を含むより完備した科学・技術陣を形成するに至った。現在、全自治区には科学研究機構が合わせて21あり、そのうち、自治区直属の机構は17で、地区所属は4である。これら研究機構の研究活動は農業、牧畜業・獣医学、林業、交通、高原生物、生態、太陽光エネルギー、地熱エネルギー、チベットの医薬および天文・暦法など多くの分野にわたるものであり、ながい歴史をもつこのチベットの土地の上で近代科学・技術の種を播いた。1994年末現在、全自治区には専門の科学研究者が831人もおり、そのうち、チベット族を主体とする科学者、技師は287人で、同時に新しい科学者、技術者のたえまない成長に伴って、科学・技術の力は逐次強まっている。

1995年末に開かれた全自治区科学・技術大会において、自治区主席のギャンツンロプ(江村羅布)氏は、「科学・教育によるチベットの振興を実施し、科学・技術の進歩を速め、第二段階の戦略的目標を実現するために奮闘しよう」という重要な演説を行い、この演説は大会で「科学・教育によるチベットの振興を実施して科学・技術の進歩を速めることに関する中国共産党チベット自治区委員会、自治区人民政府の決定」という形になった。科学・技術に頼ってチベットを振興することはすでにチベット各民族人民のゆるぎない信念となっている。

一、 農業・牧畜業の科学・技術

農業はチベットで着実に発展をとげている分野で、科学・技術による農業振興はチベットの農業の着実な発展にとって頼りになる保証である。チベットには現在22万5000ヘクタールの耕地がある。農業の近代科学・技術の発展につれて、伝統的で立ち後れた原始的耕作方法はすでに放棄された。それに取って代わったのは優良品種の育成と導入、土壌の改良、水利施設の建設、河川の治水工事、入念な耕作、化学肥料と農薬の合理的な使用などの近代的な耕作方法である。以前のような畑に虫が生じるとラマ僧を呼んできて読経させるようなことはすでに過去の物語になった。

1990年に自治区はギャンズェ(江孜)、シガズェ(日喀則)、リュンズフ(林周)、ゴンガ(貢ガ)という四つの科学・技術モデル県(市)プロジェクトを実施し、穀物の作付け面積は全自治区の穀物作付け総面積の16.1%を占める3万ヘクタール余りに達し、穀物の収量は全自治区の穀物総収量の27.5%を占める1億5270万キロに達し、前年より24.6%増の3000万キロの増産となり、その上ギャンズェ、シガズェの2県(市)は5000万キロの大台を突破した。これはチベットの農業生産史においても空前の急成長であり、科学・技術による農業振興方針の勝利である。1995年の全自治区の穀物の総収量は7億キロに達した。これらすべての成果は耕地をより多く増やさない条件の下で収めたものであり、科学・技術面の投入がなければこのような成果をあげることは不可能であった。

農業科学研究の面では、チベットは優良品種の育成、耕作制度の改革、農業資源の調査、土壌の全面的調査、土地利用状況の調査、パターン化した栽培、中低収穫農地の改造、畑作農業技術の普及などを繰り広げた。そのうち、冬小麦栽培の普及はチベットの歴史における重要な農業技術の変革である。在来の慣習的耕作制度を改革し、優良品種を普及し、穀物生産を発展させる面で、新しい道を切り開き、チベットの農業生産に大きな変化をもたらしたばかりでなく、同時にチベットの穀物の連年の豊作のために確固とした基礎を打ち固めた。1977年の全自治区の穀物総収量は5億キロの大台を突破した。同時に、科学者、研究者はまた生物による土壌の肥沃度を高めるやり方、化学肥料の施肥技術と病虫害・草害の総合的対策の技術などを模索するとともに、大きな進展が見られた。「チベットの農業の病虫害・草害およびその天敵資源に関する調査研究」、「チベットの農作物の品種資源の収集」などの研究成果はそれぞれ国と自治区の科学・技術進歩賞を受賞した。「チベット自治区土地資源の総合調査と利用の研究」はチベット高原の土地資源研究の空白を埋め、初めて高山土壌要綱を確立し、高原全区域の末端分類単元から高級単元に至る土壌システムの分類は世界の他の国および地域をリードするレベルに達し、1993年に自治区科学・技術進歩賞の特等賞、1995年には国家科学・技術進歩賞の二等賞を受賞した。「チベットの麦類作物のパターン化豊作栽培技術の研究」は、「一江三河」(ヤルツアンポ江中流のサンナン〔山南〕区間、ラサ川、ニャンチュ〔年楚〕川、ニヤン〔尼洋〕川)の流域でモデルケースの研究を行い、地域化栽培とパターン化の管理を拠り所として、統一的に実験の設計を行い、統一的に方法を分析し、研究、モデルケースと普及を結び付け、各種実用技術を組み合わせてセット化させ、しかも毎年計画、検査と総括を行い、科学研究資料の系統性の確立を保証した。3年間にわたる研究を通じて、パターン化栽培面積7万7200ヘクタール余りを実行に移し、1ヘクタールあたりの一毛作平均穀物収量は5500キロで、食糧を累計1億167万4300キロ増産し、あわせて純収益を6051万3700元増やし、特に冬ハダカムギと春ハダカムギのパターン化栽培技術の研究は国内の他の地域をリードするレベルに達し、その経済、社会、生態効果は著しいものがある。

今世紀の最後の10年間に、チベットは雄大なプロジェクト――「一江二河」中流流域の総合的開発プロジェクトを実施している。現在、国が10億元を特別投下する予定のこのプロジェクトはすでにその序幕が切って落とされた。1991年から1995年6月までに、国は累計5億750万元の資金を投下し、5年間に累計80件のプロジェクトを完成し、さらに開発、建設をすすめるためのすばらしい基礎を固めた。10年間の総合的開発を通じて、同流域はチベットの商品食糧、軽工業・紡織工業・手工業、畜産品、野菜・副食品と科学・技術のモデルの提示、普及の四つの基地になり、経済的効果と生態面の効果もより高い水準に達することになった。この計画は現在までのところ、チベットで歴史が最も長く、規模が最も大きいプロジェクトであり、チベットの経済と社会の発展に深遠な影響をもたらすものになるだろう。

今や、チベットの農業生産はすでに初歩的に機械化の道へと向かっており、全自治区の農業用機械の総出力は50万KW余りに達し、農民1人当たり約0.6KWで、内陸部の他の地域の農村の平均水準に近づいている。機械による耕作、播種の面積はそれぞれ25%と65%に達し、内陸部の農村の平均水準とほぼ同じである。今のチベットはすでに昔のような立ち後れた、ひいては焼き畑耕作の方法による原始農業に別れを告げ、科学・技術による農業振興の道を歩むようになった。近代的な科学・技術で装備され始めた高原地帯の農業がすでにチベットで初歩的に形成された。

全国の五大牧畜業地区の1つとしてのチベット高原は、8207万ヘクタールの草原を持ち、そのうち、7077万ヘクタールは利用できる草地で、さまざまな家畜2280万頭を飼育している。牧畜業はチベットの経済の基礎と民族経済の重要な支柱で、チベット族の人たちが世々代々生業として営んでくるとともに生存と発展のよりどころとしての基本産業である。畜産品は民族手工業、加工業の重要な原料と外貨獲得の重要な輸出物資である。40数年来、政府は全自治区の牧畜業の発展を非常に重視している。多くの科学者、研究者は牧畜業の突出した問題をめぐって、家畜品種の選択と育成、牧畜・獣医、牧草地帯建設などの科学研究を繰り広げ、多くの重要な科学研究の成果をあげた。

ヤクは高原の宝物ともいわれており、多くのチベット族の人たちはそれに対しきわめて深い感情を持っている。青海・チベット高原の先人たちはヤクを飼い慣らしたが、ヤクもチベット人民を養ってくれている。ヤクは高原牧畜業のシンボルであるとともに、人々に「高原の舟」とも称されている。ヤクのチベットの人びとの暮らしと密接にして分けることのできない重要な役割にかんがみて、ヤクはチベット族の人たちにとってはトーテムのようなものだと見ている人もいる。しかし、ここ数年来、ヤクはすでに深刻な種の退化の問題に直面しており、ヤクの繁殖頭数と遺伝の質に直接影響を及ぼしている。そのため、ヤクの種を改良し、ヤクの遺伝の質を高めることを主とする「ヤクの冷凍精液開発実験」と「リンズフ(林周)ヤク原種の選別育成の実験と研究」の成果が相前後して応用、普及され、リンズフ県だけでも61万4000元の収益を創出した。著しい経済的効果は、チベットの牧畜業を発展させるうえで重要な意義を持つものである。

ラサの白いニワトリの育成と普及は、高産卵系ニワトリの高原の条件下での繁殖の問題を解決し、高原地区の理想的な産卵用鶏種となり、自治区のタマゴ、トリ肉の供給が需要に追い付かない状況を緩和し、人々の買物かごを豊かにし、人びとの生活を改善した。これは自治区の畜産科学・技術の一大進歩であり、チベットの養鶏業の発展のために重要な貢献をした。
ヤギの肛門部皮膚ガンの病因と8202調合剤による治療に関する研究は学術と生産の上でいずれも突破的進展が見られ、漢方薬を利用して家畜の皮膚ガンを治療する面で新たな道を切り開いた。これは国内で初めての創造的成果である。

牧草栽培を産業とし、牧草産業を先行させるという原則にのっとり、チベットの実状に基づき、大量の実験と対比、牧草の良種と飼料品種の導入を通して、自治区での栽培に適した良種を選び出し、豊富なデータを蓄積し、チベットでの牧草の人工栽培の実施のために確実な根拠を提供するとともに、すでに約1000ヘクタールも普及し、冬と春に家畜の草の不足を解決するために新たな道を切り開いた。

また、チベットではあか牛飼育の面でながい歴史があり、乳、肉、使役などさまざまな用途に供する品種があり、この品種の生育性能を高めるために、1960年からあか牛の改良に取り組み、著しい成果をあげた。現在、あか牛の改良においてはすでに品種の群れを形成するに至り、生育性は明らかに向上し、人々が貧困から脱却して豊かになり、生活が改善されるようにするための、いまひとつの道筋を切り開いた。チベットの毛採取用と肉用を兼ねる半細毛羊の育種においてはすでに横の交雑の定着段階に入り、新品種を形成するための良好な基礎が打ち固められた。配合法による飼料生産もスタートし、魚粉と添加剤の生産はいずれもチベットの飼料科学・技術のブランクを埋めるものとなった。家畜の防疫も基本的に規範化を実現した。

二、 太陽光エネルギーと地熱の利用

標高の高い、広大なチベット高原は地球の上で太陽から最も近いところにある。この一帯の太陽光エネルギー資源は非常に豊富で、当面、チベットにおける優位のあるエネルギーの1つとして、さまざまな分野で広く利用されている。太陽光エネルギーを利用するかまど、太陽光エネルギー・バスルームなどが多くの家庭で利用されるようになった。チベットのほとんどの地域では採光面積2平方メートルの太陽光エネルギーのかまどの出力は2KWの電気炉に相当し、湯沸かしの機能のみならず、ゆでる、蒸す、煮込む、炒めるなどさまざまな機能も持っている。多くの家庭ではまた太陽光エネルギーの湯沸かし器をとりつけ、一年中どの季節でも入浴することができるようになった。このほか、チベットでは土地が広く、人口が少なく、農民と牧畜民が分散して住んでいるため、送電網でカバーしにくいが、絶えず豊かになってきた農民・牧畜民はスー油灯とろうそくで明かりをとる歴史に終止符を打ちたいと切に願い、電灯を使い、ラジオを聞き、テレビを見ることができるようになることを願ってきたが、太陽光エネルギー電池の普及と応用は彼らの夢を現実に変えた。

もしチベットの人たちの今の暮らしぶりを知りたいならば、彼らの食事、着物、装身具、家の飾り物に少し留意し、彼らの広くて明るい住宅および彼らのたのしい笑顔を見さえすれば、言わなくても分かるはずである。チベット高原では、自然環境が非常に厳しく、空気が希薄で、気温が低く、酸欠状態であり、園芸作物の生長が難しく、特に季節性のある青果などはトラックや飛行機で運び込んでこなければならなかったため、新鮮な野菜と青果を食べることは難しかった。太陽光エネルギーの開発により、日光を利用した温室技術の応用が普及し、一年中青果の香りが漂い、人びとの買物かごを大いに豊かにした。今や、チベットの人たちの食卓は豊かになり、新鮮な肉、タマゴ、野菜などはいつでも買うことができる。人々はすでにお腹いっぱい食べるのを重んじることから食事の質を重んじ、栄養もあれば保健の役割も持つ食品を好むようになっている。改革開放と新しい科学・技術の革命の波はチベットの人たちの暮らしをますます豊かなものにしている。

1979年以来、チベット自治区太陽光エネルギー研究所は太陽光エネルギーかまど、太陽光エネルギー・オーブン、太陽光エネルギー湯沸かし器具、太陽光エネルギー集熱装置、太陽光エネルギー温室と太陽光エネルギー暖房を採用する家屋の研究と開発を相前後して行い、太陽光エネルギー電池を導入し、実験、モデル提示と普及を行った。1995年末現在、全自治区では太陽光エネルギーかまどが累計6万台、太陽光エネルギー暖房を採用する家屋が14万平方メートルに達し、湯沸かし器5万5000平方メートルを普及し、各種温室150万平方メートルをつくり、太陽光エネルギー光発電施設700KWを普及し、太陽光エネルギー発電所を2カ所建設し、太陽光エネルギー・プールを一つ作り、衛星地上受信ステーションの太陽光電源システム4500セット余りを普及した。上述の施設は毎年12万トン標準炭相当のエネルギーを節約し、全自治区の太陽光エネルギー総合利用の年間経済効果は9600万元以上に達した。現在、チベットでは「サンシャイン計画」の実施が加速されている。

夜のとばりが降りると、市街では灯がともされ、家々の明かりがともされ、山村でもその明かりが無数の星のように光り、チベット全体が人間にやさしく、調和のとれた雰囲気につつまれるようになった。これらすべては地熱と水エネルギーの開発と切り離すことのできない密接な関係がある。

1977年7月にチベットで初の地熱発電所――ヤンバジェン(羊八井)発電所がチベット北部の美しい大草原で完成するとともに、その年の10月に発電を始めた。現在までのところ、国はすでに相前後して2億元余りの資金を投下し、これを全国最大の地熱実験基地に築き上げた。この発電所の設備容量はすでに2万5000KWに達し、世界で10番目にランクされている。ヤンバジェンの地熱田の開発と発電所建設は模索と実験の性格のものであり、ラサの給電とかかわりがあるばかりか、チベットの豊富な地熱ひいては全国の地熱資源の開発にとっても重要な影響力を持つものである。

三、 野生動植物、森林、鉱物についての科学研究

チベットの自然環境は人間にとって非常に厳しいものであるが、一部の野生動物にとっては、ここは天国である。チベットには数多くの特有稀少動植物、例えばオグロヅル、野生ヤク、チベットガゼル、白唇ジカ、雪蓮の花と冬虫夏草などがある。これらの特有稀少動植物と生態環境をより良く保護するため、自治区の学者たちはチベットのチャムタン(羌唐)高原の稀少哺乳動物の研究に取り組み、チャムタン高原で独特な生態系を持つ自然保護区を設立するために重要な科学的根拠を提供した。

自治区は衛星リモート・センシング、航空リモート・センシング、地上実測サンプリングなどの先進的な科学・技術を採用し、自治区森林資源の継続調査体系をみごとに確立し、中国森林資源のマクロ・モニタリング体系の空白を埋め、貴重な高原森林資源の合理的な利用および林業生産指導のための科学的な根拠を提供した。

自治区生物研究所は1987年からサフラン導入の栽培実験を繰り広げ、それに成功するとともに、普及の可能性も見えてきた。それと同時に、同研究所はまた赤いベンケイソウの化学成分の測定、分析を行い、開発・利用のために科学的な根拠を提供した。開発、生産したノーディ・カプセルはすでに国家衛生機構の生産許可証を取得している。これは自治区で初めて国から生産許可を取得した薬品である。このほか、また雪蓮の花、紅豆杉、トリカブトなどの植物の基礎研究がすすめられ、いくつかの新しい研究成果をあげ、《チベットの植物目録》、《チベットの経済的植物》などの著作が編纂された。

チベットは資源の宝庫だと言う人もいる。この言葉に一定の理屈がある。チベット高原は世界で最も高く、最も年代的に新しい高原である。40数年来の科学研究の成果により、チベットは地質的特徴が独特で、鉱物の品種が多く、潜在的鉱物資源が多いばかりか、優位のある鉱産物を擁していることが明らかになっている。例えば、クロム鉄鉱の確認ずみ埋蔵量は全国のトップ、銅埋蔵量は全国2位であり、しかも超大型の斑岩銅鉱床が存在し、工芸品用水晶、鋼玉も全国のトップ、火山灰は全国2位、天然イオウとホウ素は全国4位、ヒ素、黒鉛、陶磁土と装飾用花崗岩なども全国5位である。40年余りにわたる地質調査を経て、1:100万区域地質と鉱物地質調査および一部の区域の航空磁気測定を完成し、鉱山区と国民経済開発区の1:20万区域地質調査と鉱物の化学探査を適時に繰り広げた。この時期には、また銅、クロム、鉄、鉛・亜鉛多金属、アンチモン、すず、石炭、石油、塩湖鉱物、金、ダイヤモンド・玉、地熱資源およびその他の多種類の鉱物の全面的調査、探査を展開した。ヤンバジェンの地熱田の探査、開発の過程では、物理探測が重要な役割を果たし、しかもすばらしい成果をあげた。チベット経済の発展に伴って、鉱業はきっとチベットの重要な支柱産業の1つになるにちがいない。

四、 チベットの医薬

チベットの伝統医学――チベットの医薬にはすでに2000年余りの歴史がある。これは世々代々チベット高原に暮らしてきたチベット族の人たちが長期にわたって大自然および病気と戦ってきた実践の結晶であり、中国の伝統医薬学という偉大な宝庫の中の光り輝く真珠の一つである。それは悠久な歴史を持つだけでなく、独特な理論体系と豊富な臨床経験に裏打ちされ、チベットの各民族の医療・保健事業、特にチベット族の人たちが代々子孫を増やし、発展していくために極めて大きな貢献をした。チベットの医薬学は薬草の生長状況、分類、薬の性質、処方薬剤などについてもフルセットのかなり完ぺきな理論体系を形成した。中央政府はチベットの医薬学の発展を非常に重視し、それに対し継承、発揚、整備、向上の方針をとり、チベットの医学の歴史的名著「チベットの医学典籍」、「四部医典」などの古典を相前後して整理、翻訳、出版し、また「新編チベット生薬・薬草」、「新編チベット医学」など一部のチベット医学・薬学の専門著作も出版した。

貴重な伝統的チベット薬「ラナサンペ(然納桑培)」は国際伝統医薬大会金賞を2回受賞し、チベット薬の「ゾタイ」(坐台)」は国の特許を獲得した。1993年に衛生部はラサで中国チベット薬の基準についてのシンポジウムを開催した。現在までのところ、チベットではすでにチベット生薬11種、製品薬40種の基準制定作業を完成し、チベットの医薬が国内市場に、また国外へ進出するための肝じんな一歩を踏み出した。

医療・衛生の面では、高原医学の研究に重点的に取り組んでいる。現在、チベットの医学界は高原の肺水腫、高原における人事不省などの高原地帯の危険性のある疾病の病理学的研究、生理学の研究、臨床表現などで、いずれも正しい見解を持つようになり、救急措置においてはすでに世界先進レベルに達した。同時に、予防医学などの面でも数々の科学研究を行い、多くの重要な成果をおさめた。

五、 地震と気象の科学研究

チベットでは強震が頻発しており、中国が地震の予測・予報、地震対策・震災救助を研究し、大陸地震の形成原因を模索し、大陸の地質構造の変動エネルギーの所在について研究する場所でもある。自治区の地震関係者は地震観測、監視、予報と考察の面で数多くの仕事をし、同時にチベット高原の地震発生構造帯の特徴についての研究を繰り広げ、「チベットの地震帯(地域)」を画定した。これは地震の予報に対し一定の指導的役割を持つものである。同時にまた「チベット各地区の時間差異表」と「ラサ地震局の典型的地震図集」などの課題の研究を完成し、チベットの地震監視と予報、チベットの地球物理学と地震学など関係分野の研究課題の基礎的データを提供し、チベットの建設に地震学の面からよりどころを明示した。1985年にラサ地震局は国際地球物理百年観測記念の銀メダルを受賞した。全国の地震対策事業の発展につれ、1992年にラサ地震局には当面世界で最も先進的なデジタル地震計が取り付けられた。チベットの地震学研究部門の創設20年来、チベット地区の地震観測目録と観測レポート480号が編纂され、一部の著作と実地調査報告も出版された。そのうち「ザユイチュ(察隅)、ダムション(当雄)大地震」という著書は国家科学・技術進歩三等賞、「チベット地震史資料類纂」は自治区科学進歩二等賞を受賞した。
気象サービスは気象関係仕事の出発点と終着点である。チベットの気象関係者は全国に気象情報を提供し、地元の経済活動のために役立てるという二重の任務を担っている。チベットではさまざまな自然災害が頻発し、農業・牧畜業の生産水準が比較的低く、災害の予防と救助能力が弱いため、農業・牧畜業の生産にサービスを提供することはチベット気象関係者の仕事の重点となっている。気象部門は短期の天気予報サービスのほか、主要な農業区で人手によって局地の天気に影響を与える要因についての実験を繰り広げた。1987年、ラサ市の郊外区だけでも、人工によるヒョウ害天気の解消、人工降雨作業を行い、その結果、年間の農業生産はヒョウ害、干害に見舞われず、穀物の総収量は前年より150万キロ以上増えた。豊作をかちとってからは、人びとは、自治区気象台は「ヒョウ害をなくし、雨を降らせ、人の意志によって大自然に打ち勝ち、農業のために貧困をなくし、豊かにした」とたたえた。気象科学者・技術者たちはまた気象サービスをめぐって、天気予報の中で予報指標を定める方法を採用し、青海・チベット高原の豪雨転換線の特徴に対し個々のケースについての分析を繰り広げた。1981年に設立された天文暦算研究所は、日、月、星の運行、四季の転換などに関する研究を繰り広げ、「第17旋回時輪暦法要点」などの成果を収めた。

六、 水文と環境保全

チベットは水資源、水エネルギー資源の最も豊かな省・自治区の1つである。区内には河川が縦横に流れ、湖沼があちこちに分布している。水資源の総量と水エネルギーの理論的蓄積量はいずれも全国各省・自治区のトップで、ヤルツアンポ江の大きな曲がり角の峡谷だけでも、3800万KWの超大型水力発電所を築造することができる。40数年来、水文関係者たちはチベットの水利、水力発電、都市建設、交通などの部門に大量の水文データを提供し、洪水予防の面で主要な参謀の役割を果たし、ヤンゾユム(羊卓雍)湖発電所とジグン(直孔)などの中堅発電所の建設、ラサ川、ニャンチュ川などの重要な河川流域の企画の作成と実施の中で、水文関係者の仕事はしかるべき役割を発揮した。

環境保全の面では、各クラスの政府と科学研究管理部門の正しい導きとチベット族の人たちが聖山霊水を尊ぶ風俗習慣のおかげで、この地の自然環境は今でもよく保護されている。これからの環境保全の仕事の重点は、より科学的かつ合理的な管理方法をとって、この地の生態環境がこれからも破壊をこうむらないようにすることである。
なお、自治区は林業、測量と製図、水利などの面でも大量の科学研究を繰り広げ、多くの成果をあげた。

七、 道路、航空、通信

チベットは土地面積が広く、地質構造が特殊で、気候が複雑かつ悪く、常に変わるので、今でも、中国で鉄道がまだ通じていない唯一の省・自治区である。交通の不便なこと、雪を戴く山峰が立ちふさがっていることにより、チベットが神秘さを持つ地域になったばかりではなく、チベット経済の急速な発展を制約する重要な要素の一つともなっている。

チベット自治区成立30周年の今日、四川=チベット、青海=チベット、新疆=チベット、雲南=チベット、中国=ネパールの五大国道が世界の屋根と内陸部をしっかりと結び付けるようになっている。そしてチベット経済の発展とチベットの各民族の人たちの生活水準の急速な向上のために確固たる保証を提供している。多くの山や川の中につくられた四川=チベット道路、凍土地帯につくられた青海=チベット道路は世界の屋根を越える「世界の屋根の大動脈」、「金色のリボン」だとたたえられている。人民解放軍の将兵たちはこの2本の道路の建設の際に、高原の凍土地帯、土石流、雪害と山地の地滑りなど一連の技術的難問を解決して、ついにこの2本の道路を1954年12月に正式に開通させ、チベットの建設のために最も基本的な条件を作り出した。この2本の道路を築造するため、人民解放軍の将兵と道路築造労働者たちは汗を流しただけでなく、血の代償をも払った。それと同時にこの2本の道路は現代の科学・技術力の大きな結晶でもある。四川=チベット、青海=チベット道路記念碑の碑文の中でこう述べられている。

「世界の屋根、広大な地域で、極めて寒くて酸欠状態にあり、雪の山が立ちはだかり……ここで困難に満ちた五年を過ごした。3000人の人々が勇敢にも命を投げ打ち、一世代の人たちの業績は永遠にその名を青史にとどめる。……このような高原の道路は古今東西未曾有の奇跡であり、四海(全国)に名を馳せ、世界でたたえられている。」

1956年に中国民航は「空の飛行禁止区域」を突き破って、ラサ=北京航空ルートを切り開き、チベットに航空業がなかった歴史に終止符を打った。現在、チベットにはすでに北京、上海、広州、成都、重慶などの10余りの都市に至る5本の航空ルートがあり、そのほかに、ネパールの首都カトマンズに直行する5本の国際線がある。昔のような道が険しく、交通は人が人を背負ったり、家畜を交通手段としたりしたことは永遠に過去となった。

ここ数年来、チベットの郵便・電信事業も飛躍的な発展を遂げた。1994年の初め頃までに、チベットでは郵便・電信用通信衛星地上受信ステーションがすでに41カ所設置された。全自治区の半分の県にはすでに直通電話があり、あわせて2万8000回線に達する。ラサの900メガヘルツ・セルラー式移動通信システムもすでに正式に開通した。全自治区の六つの地区(市)は相前後して呼び出しサービスシステム(ポケットベル)を開通させた。

1996年の春節(旧正月)には、チベット族の年老いたおばあさんが衛星通信テレビの前に坐って、はるか彼方の北京にいる娘が自分に親しく祝福の言葉を言っているのを見て、感涙にむせび、「こんなに見事であることは思ってもいなかった、音を耳にすることができるだけでなく、画像も見え、まるで娘がそばにいるようです。これはまったく思いもよらなかったことです」と語った。
チベットの郵便・衛星通信事業の急速な発展に伴って、ラジオ放送・テレビも絶えず進歩を遂げた。現在、ラジオ放送・テレビはすでに全自治区すべての地域をカバーしている。全自治区の各種放送・テレビ衛星受信ステーションは1984年末の1カ所から1994年末の720カ所以上に増え、チベットテレビ局はテレビ番組の中継を実現し、全国ひいては世界じゅうでテレビを通じてチベットをより多く知ってもらえるようになった。今では、ラジオ放送、テレビはすでに多くの一般庶民の家庭に入り、ラサ市ではCATVも開通し、人々の余暇はさらに豊富多彩なものになっている。

八、 科学・技術の対外交流と協力

改革開放に伴って、チベットはその特有の魅力によって世人に開け放された。国内の科学研究部門と協力を広く行っているほか、またアメリカ、日本、ドイツ、オーストリア、ネパールなど20余りの国と科学・技術の交流と協力をすすめている。1987年に自治区軽工業・紡織工業・手工業局はスイスのサンドシ染料有限会社からサンドシ染色技術の調製法を導入するとともに、同社の専門家を招請してチベットで「輸出じゅうたん染色技術養成コース」を開設し、根本からじゅうたんの色あせの難問を解決し、民族手工業の発展に活力を注ぎ込んだ。1992年には、ラサ製革工場はドイツの製革、製靴プラントと技術を導入し、畜産資源をフルに利用するための基礎を固めた。チベットの地熱エネルギーの初歩的な開発は多くの内外の地質、エネルギー専門家を引きつけている。そのうち、国連やイタリアの専門家は視察を通じて、開発の将来性があると見て、相前後して約900万ドルを援助し、ヤンバジェン、ニンゾン(寧中)、ナッチュ(那曲)、ラドガン(拉多崗)などの地区の地熱田建設プロジェクトに投下された。1989年には、国連開発計画(UNDP)とイタリアの無償援助によるチベット第2期地熱プロジェクトがスタートした。双方は地熱の探査、開発、利用技術について交流を幅広く行うとともに、国外への視察、研修、国際地熱会議出席を何度も手配した。1993年には、世界の先進技術と設備を導入して、ナッチュ双循環地熱モデル発電所を建設し、高効率のボーリング・マシーンと掘削機械などを輸入した。日本、アメリカ、デンマーク、アイスランド、メキシコ、オーストラリア、カナダなどの国の地熱専門家もヤンバジェン地熱田の開発に参加することを申し出ている。全国一の地熱資源として、千年の眠りからついに目を目覚まし、チベットの人々に幸せをもたらしている。もしチベットの科学技術事業の発展がその他の省・直轄市・自治区と比べてまだ一定の距離があると言うなら、中央とその他の省・直轄市・自治区および社会各界の人々がチベットを大いに支持、援助しているのは、チベットをサポートして改革の駿馬に乗って、時代の発展の歩みに追い付かせることにある。

中国共産党中央、国務院はチベットに対し一連の特恵、扶助政策を実施し、チベット自治区を経済特別区ではない「経済特別区」にしている。1995年はチベット自治区成立30周年にあたる年であった。チベットの発展を速めるため、中国共産党中央と国務院は1994年7月に第3回チベット工作座談会を開き、チベットの交通、エネルギー、通信、都市建設、農業・牧畜業開発、医療・保健など一連の人々の日常生活と関係があるチベット建設援助プロジェクト62件を実行に移し、投資総額は23億8000万元に達した。中央の確定した全国がチベットを支援する政策の実施に伴って、科学・技術によってチベットを援助する仕事も序幕が切って落とされた。国家科学・技術委員会(当時、現在は科学・技術部)と各省・直轄市科学・技術委員会は次々と実行可能な科学・技術によるチベット援助計画を制定し、科学者、技術者と科学・技術管理要員を派遣したばかりでなく、また大量の資金と設備を援助した。国家科学・技術委員会はまた1996年の下半期にラサで全国の科学・技術によるチベット援助工作会議を招集し、さまざまなチベット援助プロジェクトの実施をいっそう明確にした。これはチベットの科学・技術事業を新たな段階に引き上げることになろう。

1993年にチベット自治区人民政府は広範な科学者、技術者の積極性を引き出すために、特別支出金100万元を出して自治区科学・技術進歩賞基金を設立した。全自治区の各企業、事業部門も次々と積極的に資金を拠出して、チベット自治区科学・技術進歩賞のために100万元の報奨基金を寄付した。

今では、科学を学び、科学を愛し、知識と人材を尊重するという新たな風潮がすでに長い歴史を持つチベット大地の上に現れている。近い将来、より美しく、より豊かで、より繁栄した社会主義の新チベットがきっと人々の眼前に姿を現わすことになるだろう。

写真の索引
1、品種を観察する科学者。
2、ここ数年、チベットでは農業科学・技術と技術の生産高リンク請負を大い
に押し広めたため、全自治区に大面積の多収穫農地が現れた。写真はチベ
ットの豊作間近のハダカムギ。

3、環境保全措置を強化したため、チベット北部の大草原は更に美しくなった。
4、ダムション(当雄)県の草原スプリンクラー灌漑ステーション。
5、ヤルツアンポ江両岸の至る所で見られる機械化刈り取り作業。
6、農業への科学・技術の資金投下を強化してから、ラサ河渓谷地帯の冬小麦は豊作
となった。

7、ヤクの良種の選択を行う科学者。
8、自治区牧畜業科学研究所で育成された白いニワトリの品種群。
9、ラサ郊外区ナッギェム(納金)郷の農民は大型トラクター1台を新たに購
入し、農民たちはトラクターの運転手に吉祥と豊作の象徴である「チェマ
(切瑪)」を献上した。

10、風力エネルギーシステムの電気を使う牧畜民の家庭。
11、ブラン(普蘭)県の雪山の麓にある太陽光エネルギー温室と温室の中のト
ウガラシ。

12、アリ(阿里)地区ギェズェ(改則)の20万KW太陽光エネルギー発電所。
13、太陽光エネルギーかまどで湯を沸かし、ご飯を作るチベット族の人たち。
14、ヤンバジェンの深層部地熱の探査で1993年に大きな突破が見られ、試掘
井戸の深さ2000メートルの所でセ氏329.8度の超高温地熱の流れをとら
えた。

15、かなり高い薬用価値と科学研究価値を持つ高山地帯の雪蓮花。
16、チベット薬開発の重要な原料であるラサのトリカブト。
17、世界の最高標高の地域に生息している貴重なシカ科動物の1種、チベット
東部の高山地帯の林の中の白唇ジカ。

18、外人観光客の診療をするチベット医学の古参医師アワンピンツォ(阿旺平
措)氏。

19、1992年7月30日、ニィモ(尼木)県にマグニチュード6.5の地震が発生
した。写真は直ちに現場に駆けつけて実地調査を行う地震学研究要員たち。

20、かなり高い経済的価値をもつ高山地帯のクヌギ。
21、チベット医学の丸薬を日干しする自治区病院製薬工場の人たち。
22、チョモランマ峰自然保護区の原生林。
23、図形・画像ワークステーションと政府の端末サービスシステムを利用して
各関連部門に適時に気象情報と気象サービスを提供する気象関係のスタッ
フたち。

24、ニャンチュ川流域は広大で肥沃な平野であり、治水を経てチベット自治区
の重要な食糧生産基地となった。

25、ラサ川の洪水を防ぐ堤防。
26、チベット北部にあるアンデルツォ(昂徳爾措)自然保護区のマルガモ群。
27、中国内陸部のチベット支援物資の80%は「世界の屋根の生命線」と称さ
れる青海=チベット道路を通じてチベットに運び込まれている。

28、バション(八宿)=チュムドギャン道路の砂害防止網。
29、ラサのゴンガ空港に着陸したボーイング757航空機。
30、積年の凍土地帯を通り抜ける、曲がりくねった四川=チベット道路。
31、ラサ市の地上衛星受信ステーション。
32、国際ヤンバジェン宇宙放射線観測所で宇宙放射線"r"を測定する中日両
国の専門家たち。

33、チベットで視察を行う国際畑作農業研究センター視察団一行。
34、チョモランマ峰で視察を行う中米両国の専門家たち。