1950年 |
7月1日 雑誌「新体育」が創刊。 毛沢東主席は「新体育」の雑誌名を書いた。 朱徳副主席は「新体育」のため、「国民の体育事業を提唱する」という題辞をしたためた。 7月15日から30日にかけて、中華全国体育総会は北京で「全国スポーツ専従者の夏休み研修会議」を催し、271人のスポーツ専従者がこれに参加した。 8月14日から9月11日にかけて、中国のバスケットボールとバレーボールの学生選手たちは呉功俊氏の引率のもと、8月14日から23日にかけてチェコ・スロバキアのプラハで開催された「第二回ユニバシアード」に参加。大会終了後、代表団一行はチェコでの訪問を続け、8月27日から9月11日まで梁畊氏の引率のもと、ルーマニアを訪問した。 8月28日から11月28日にかけて、中国体育代表団は団長の余超英氏の引率のもと、ソ連を訪問した。 11月18日、中華全国体育総会は「冬の体育種目の展開」についての指示を行った。 12月24日から1951年の2月1日まで、ソ連スポーツ代表団(バスケットボール・チームを含め)が団長のロマノーフ氏の引率のもと、中国を訪問した。 この年のうちに、中華全国体育総会は中国の東北、中南、西北などの行政区および一部分の省・直轄市に分会を次々と創設した。 北京市「什刹海」水泳センターが落成した。 「チャイナネット」 2005年9月 |
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