1951年

1月に、北京は「体育鍛錬基準」を打ち出し、その後、全国で次々と押し広められた。

2月27日から6月25日にかけて、中華全国体育総会代表団一行の9人が団長呉学謙氏の引率のもと、インドを訪問し、第一回アジア競技大会を視察した。

4月11日に、中華全国体育総会は「抗米援朝(アメリカ帝国主義の侵略と戦い、朝鮮民主主義共和国を支援する)」というキャンペンを繰り広げるという通達を発布した。

5月4日から18日にかけて、新中国初のバスケットボールおよびバレーボール全国大会が開催された。この大会を通して、代表選手と候補選手を選出した。そのうち、男子バスケットボール選手は幺(ヨウ)世忠、王琦(キ)、王元琪(キ)、李漢亭、余邦基、唐振声、徐巳、張長禄、黄柏齢、程世春、楊福鹿、趙学元、廬鼎厚、藍文治、楽嘉洲らの15人で、候補選手は劉建華。女子バスケットボール選手には李丹陽、朱錦雲、周勤邦、馬申妹、徐婉秀、黄珍、許敏、彭嘉頤(イ)、鄭于蓮、蔡明霞、薜月華で、候補選手は鮑臨津と楊淑君。男子バレーボールの代表選手は、王祖洪、江振洪、李栄国、李安格、余瑞河、サリムジャン、孫志安、黄亨、黄福彦、銭家祥、廬文タン、韓延春、譚元芳、饒余榕らの14人で、候補選手は孫継貴。女子バレーボールの選手は、冼少梅、花桂卿、馬紉華、陳梅貞、徐平、張履氷、張雷鳴、劉匡生、蕭闌玉、龔(キョウ)雅麗らの10人で、候補選手は李文秀。

6月13日、中華全国体育総会はスポーツ号飛行機の寄贈について通達を発布した。

7月10日、中華全国体育総会は全国各地の分会に「体育専従者およびアマチュアスポーツ幹部向けの夏休み研修コース」についての通達を出した。

7月26日、中華全国学生第十五回代表大会の決議で、「中国の学生たちの主な任務」第3条において、「学校で体育、文化および娯楽を積極的に展開し、全国の学生たちの健康状況を改善する。緊張した勉強ときつい労働に耐えるために、学生たちが強くて健康な体と精神を持つようにすると同時、祖国の国防を強化するため、軍事・スポーツを提唱する」ということが求められた。

7月28日から9月6日にかけて、中国青年男子バスケットボール、バレーボールチームは団長晏福民氏の引率のもと、8月5日から19日にかけてドイツ民主主義共和国のベルリンで開催された「第三回世界青年・学生平和友好交歓フェスティバル」および「第十一回ユニバシアード」に参加した。バレーボールチームは7月28日にソ連を経由の際、ソ連のバレーボールチームと試合を行い、バスケットボールチームは8月31日から9月6日にかけてポーランドを訪問した。

8月4日、中国共産主義青年団中央は「中国共産主義青年団の各クラスの組織が『軍事・スポーツのクラブ』を創立する」ということについての通達を発布。

8月6日、中央人民政府政務院は「学生たちの健康状況を改善するよう」と指示した。

10月3日から8日にかけて、中国人民解放軍の「八・一」サッカーチームは団長李秉彩の引率のもと、チェコ・スロバキアを訪問した。

11月4日、中国共産主義青年団中央は「中国共産主義青年団は1951年のウィンタースポーツの準備に参加する」という指示を行った。

11月20日、中国新民主主義青年団中央委員会第一回常務委員会の中国新民主主義青年団中央委員会第二回全体会議への報告で、「工場、政府機関および学校で、青年団組織は中国共産党の指導の下で、青年大衆を結束させ、文化・娯楽とスポーツを繰り広げ、健康・衛生に注意し、引き続き青年たちの健康状況を改善する」ことを打ち出した。

11月24日、中華全国体育総会は第一セットのラジオ体操を公布し、それを広めた。体育総会、教育部、衛生部、人民革命軍事委員会総政治部、中華全国総工会、中国共産主義青年団中央、全国婦女連合会、全国青年連合会、全国学生連合会などの9部門は「ラジオ体操を普及させる」という通達を共同発布した。

12月1日から9日にかけて、全国サッカー競技大会が天津で開催され、試合を通して、1951年度全国サッカー代表選手を選出。選出されたのは徐福生、高秀清、邢桂福、庄文権、姜傑祥、陳成達、銭允慶、方紉秋、何家統、鄭徳耀、張傑、張邦倫、曹桂明、邵先凱、李朝貴、史万春、年維泗(シ)、王礼賓、郭鴻濱、王政文、王寿先、金秉奎、ソウ安慶、李逢春、崔曾石、金竜湖、孫福成、蕭子文、高保正らの29人。

 「チャイナネット」 2005年9月

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