1953年

2月15日から19日にかけて、全国氷上競技大会がハルビンで開催された。

中国卓球チームは団長晏福民氏の引率のもと、2月19日から3月8日にかけてチェコ・スロバキア、3月8日から15日にかけてハンガリーを訪問した。

2月25日から3月5日から、全国サッカー競技大会、青年サッカー決勝が上海で行われた。

中国卓球チームは団長晏福民氏の引率のもと、3月20日から29日にかけて、ルーマニアのブカレストで開催された第20回世界選手権に参加。中国の卓球選手が世界選手権に参加するのはこれが初めてであり、男子チームがAクラスの十位、女子チームがBクラスの三位の点数となった。中華全国体育総会の晏福民代表氏ら三人は、同じ時期に行われたITTF(国際卓球連盟)の代表大会に出席。同会議の席上、中華全国体育総会がITTFのメンバーとして認められた。4月3日から6日にかけて、中国卓球チームはルーマニアを訪問した。

4月27日から30日にかけて、中央人民政府体育運動委員会は六大行政区(東北、西北、華北、中南、華東、西南)の責任者を招いて北京で会議を開いた。賀竜主任は会議の席で、「今後、スポーツ事業の主要方針は人民大衆を主体とするスポーツの繰り広げることである」と語った。同会議が1953年のスポーツ事業計画を重点として討議した。

5月2日から12日にかけて、全国のバスケットボール、バレーボール、テニス、バドミントンの競技大会が天津で開催された。

5月4日、青島航海クラブ(1957年に中国人民航海クラブに改名)が創立。

5月9日から11日にかけて、全国陸上競技種目のテストが北京で行われた。

6月24日、中国新民主主義青年団の胡耀邦中央書記は中国新民主主義青年団第二回全国代表大会で報告を行った際、「スポーツは青少年の健康状況を改善し、青少年を強くて、勇敢かつ毅然とした祖国の建設者、守り手を育成する積極的な手段である。青年団組織は青年たちを様々なスポーツや競技に参加するよう働きかけ、それを組織し、大衆的なスポーツ活動を繰り広げるようスポーツ関連組織と協力し、をれをサポートしなければならない」と強調した。

6月30日、毛沢東主席は中国新民主主義青年団第二回代表大会の主席団の人たちを接見した際、「体が健康で、勉強にも励み、仕事につとめる」よう青年たちに呼びかけた。

中国新民主主義青年団第二回代表大会の席で採択された「中国新民主主義青年団規約」第一章2条(団員の義務)の第5項目は、「軍事知識を学び、体を鍛え、われわれの偉大な祖国を守ろう」とすべての団員に要求した。

7月5日、中国スポーツ代表団一行2人が団長黄中氏の引率のもと、ブルガリアのソフィアを訪問し、ブルガリアの「全国スポーツフェスティバル」に参加した。

8月2日から16日にかけて、中国スポーツ代表団(男子・女子バスケットボールチーム、バレーボールチーム、陸上競技チーム、水泳チームを含む)の一行80人は団長黄中氏の引率のもと、ルーマニアのブカレストで開催された「第一回国際青年友好運動会」に参加した。8月9日、25歳の呉伝玉選手は1分8秒04の成績で男子100m背泳ぎの種目の優勝を勝ち取った。これは、国際スポーツ競技の試合に参加した中国選手たちが獲得した初の金メダルであった。

8月4日、国際テニス(芝)連盟は中華全国体育連合会に書簡を送り、中華全国体育連合会がもとの「中華全国体育協力促進会」にとって変わり、同連盟の正式メンバーになることを認めた。

9月1日、中南体育学院が南昌で創立(1955年に、中南体育学院は南昌から武漢に移り、1956年に武漢体育学院に改名)。

9月6日から28日にかけて、中国代表団一行4人は団長ト雲竜氏の引率のもと、ポーランドのワルシャワで開催された「人民民主国家競馬競技大会」に参加。

9月14日から10月29日にかけて、ソ連スポーツ代表団(体操チーム)一行30人が団長アイ・グラマドスキ氏の引率のもと、中国を訪問した。訪問の期間、北京、天津、瀋陽、南京、上海、広州、武漢で20回のエキジビションを行った。

9月18日、中央人民政府委員会第28回会議が中央人民政府体育運動委員会委員を任命。任命された委員は于北辰、馬約翰、王紀元、韋■、車向忱、田徳民、劉子久、劉加林、劉裴、蕭華、蕭克、蘇井観、陳沂、朋斯克、呉克堅、呉蘊瑞、楊成武、賀竜、栄高棠、徐英超、曾昭倫、曾震五、黄中、章沢、傅濤、蔡廷鍇、蔡樹藩の諸氏。

10月2日から7日にかけて、全国陸上・体操・自転車競技大会が北京で開催された。

10月14日、中央人民政府体育運動委員会、中国高等教育部、中国教育部は「学校スポーツを正しく展開し、ケガ・事故を防ぐ」ことについて共同で指示を行った。

10月25日、国際レスリング連盟は中華全国体育総会を同連盟の暫定メンバーとして認め、1954年5月20日、日本の東京で開催された同連盟の代表大会の席上、中華全国体育総会を全会一致で正式メンバーとして認めた。

10月、中華全国体育総会はアジア卓球連合会に書簡を送り、同連合会が台湾を会友として受け入れたことについて抗議し、ただちに台湾残存反動グループをアジア卓球連合会から追い払うよう断固として要求した。

11月1日、中央体育学院(1956年に、北京体育学院に改名)が北京で創立。これは中華人民共和国体育運動委員会直属の高等体育大学であり、国家クラスの重点大学でもある。同大学は全国的範囲の中等学校の体育教師やその他の体育人材を育成することを目標としている。学院の総面積は60万平方メートル、そのうち、建設面積は6万平方メートルで、主な建物は教学棟、実験棟、陸上競技や、水泳の施設、二つの球技館および三つの体操トレーニング館など。

11月8日から12日にかけて、全国民間スポーツのエキジビション・競技大会が天津で開催され、これは武術、馬術、重量挙げ、レスリング、アーチェリー、ボクシング、民間スポーツなどの項目からなり、380人の選手が競技とエキジビションに出場。

11月14日から15日にかけて、中華全国体育総会代表団の一行4人が団長黄中氏の引率のもと、フランスのパリで開催されたFIFA(国際サッカー連盟)の暫定代表大会に出席。

11月14日から16日にかけて、中華全国体育総会代表団の一行3人が団長張之槐氏の引率のもと、ルーマニアのブカレストで開催されたFIVB(国際バレーボール連盟)の代表大会に出席。

この年には、観客4万人を収容できる広州市越秀山スタジアム、観客2万人を収容できるフホホト市人民スタジアム、大同市(山西省)スタジアム、1万以上の観客を収容できるハルビン人民スタジアムが落成した。

   「チャイナネット」 2005年9月

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