1954年

1月1日、人民体育出版社が北京で創立。

1月8日、中国共産党中央委員会は中央人民政府体育委員会党グループの「大衆的なスポーツの展開についての報告」を批准し、各地に転送した。主な内容は次のとおり。

「人民の健康状況を改善し、人民の体位を強化することは中国共産党にとって重要的な任務のひとつである。当面、我が国は計画的な経済成長期という新たな歴史的時機に入っているため、大衆の健康な体位が一層重要になる。にもかかわらず、当面、人民の健康状況は仕事の要求に比べればかなり大きなギャップがある。この状況を変えるために、衛生、勉強および仕事の条件を次第に改善する以外、スポーツを繰り広げることも積極的かつ効力のある方法であり、人民の勇敢さや毅然とした品性および集団主義をはぐくみ育て、勤労者たちに共産主義の教育を行う重要な手段でもある。全国人民が過渡期の総路線、総任務の指導の下で奮闘しているこの時期においては、スポーツ事業がより一層重要な意義をもつようになる。」

「新中国の成立4年以来、大衆的なスポーツ活動の初歩的な展開に伴い、いくらか成果を収めたが、基盤施設の不足や条件の制約により、数多くの人々がスポーツの重要な意義をまだ理解していないため、スポーツの発展は現実の需要よりはるかに遅れている。大衆的なスポーツ活動は国にとっては新たな事業でもあり、各クラスの党グループはそれを重視し、指導を強化しなければならない。また、政府の関係部門と提携し、必要な幹部を配置し、各クラスの体育運動委員会を設立・充実させることも必要である。中央体育運動委員会党グループが提出した方針や任務に基づき、地元の実情と結びつけ、関係部門とともに努力して、大衆的なスポーツ活動を工場、鉱山、軍隊、学校および政府機関で展開する。各クラス党委員会はスポーツに関する仕事を宣伝部門の業務の一つとすべきである。青年団はスポーツを仕事の重点とし、その中で中堅としての役割を果たすべきである。労働組合は工場、鉱山、企業のスポーツの仕事を指導し、正しく発展させる。軍事委員会総政治部は軍全体の中で大衆的なスポーツ活動の展開に意を配るべきである。」

1月16日から21日にかけて、中央人民政府体育運動委員会第一回全体委員会議が北京で開催され、全国の六大行政区(東北、西北、華北、中南、華東、西南)の体育運動委員会の責任者、各軍区の政治部主任および中央関係部門の代表が出席。中央人民政府の朱徳副主席、政務院の郭沫若副総理が指示を行った。賀竜主任は「社会主義建設の総路線の光機のもとで、大衆的なスポーツ活動を繰り広げることにつとめる」をテーマとする報告を行った。同会議は中国の過渡期における総路線の原則に則り、1953年の仕事を総括し、1954年の方針や任務を提出した。

1月26日、中国全国総工会が「工場・鉱山で大衆的なスポーツ活動を繰り広げる」ことについての指示を行った。

2月11日、中央人民政府政務院の第205回会議では、中央人民政府体育運動委員会の賀竜主任が中央人民政府体育運動委員会第一回全体委員会議の席で行った「総路線の光輝のもとで、大衆的なスポーツを繰り広げることにつとめる」をテーマとした報告が可決された。

2月12日から3月13日にかけて、ハンガリー・サッカーチーム(男女混合)が団長ア・ヨーゼフの引率のもと、中国を訪問した。

3月1日、中央人民政府政務院が「政府機関でラジオ体操およびその他のスポーツ活動を繰り広げる」ことについての通達を出した。同通達は、「午前・午後にそれぞれ10分間のラジオ体操をする」と正式に規定し、朝の体操や球技など様々のスポーツを提唱した。

3月6日、国際自転車連盟はフランスのパリで代表大会を開き、中華全国体育総会がもとの「中華全国体育協力促進会」にとって代わり、同連盟の正式メンバーとして認めた。

3月10日、西南体育学院が成都で創立(1956年に成都体育学院に改名)。

4月21日から5月18日にかけて、モンゴル自転車遠足隊一行13人が隊長タンビ氏の引率のもと、中国を訪問した。

5月4日、中央人民政府体育運動委員会は「祖国を守り・労働するために備える」スポーツ制度の暫定条例および基準を発布。

中央人民政府体育委員会、中国高等教育部、中国教育部、中国衛生部、青年団中央、全国学生連合会などの六機関は中等・高等学校で大衆的なスポーツ活動を繰り広げることについて共同で指示を行った。

中国人民解放軍「八・一」男子バスケットボールチームは団長王克氏の引率のもと、5月9日から6月1日にかけてハンガリー、6月3日から22日にかけてポーランド、6月26日から7月26日にかけてブルガリア、7月28日から8月24日にかけてルーマニアを訪問した。

5月14日、中華全国体育総会の中国オリンピック委員会としての合法的な地位がIOCの第49回会議で認められた。

6月11日、高等教育部、中国教育部、中国衛生部、中央人民政府体育委員会は「学校で保健活動を展開する」ことについて共同で指示を行った。

6月16日から26日にかけて、中央人民政府体育委員会は北京で「スポーツ関係の幹部向けの短期トレーニング」を開き、短期トレーニング方針、形態、内容および方法などの問題について討議を行った。

6月21日から22日にかけて、中華全国体育総会代表団一行4人は団長李夢華氏の引率のもと、スイスのベルンでFIFA(国際サッカー連盟)の1954年代表大会に出席。しかし、FIFAは帝国主義分子に操られて、中国代表の抗議を無視し、台湾残存反動グループを会員として受け入れた。

7月5日から14日にかけて、中央人民政府体育運動委員会が北京で「祖国を守り、労働するために備える」スポーツ制度についての活動会議を開いた。

7月13日から8月17日にかけて、中国スポーツ代表団は団長賀竜氏の引率のもと、ソ連を訪問し、ソ連の「スポーツフェスティバル」を視察した。

7月23日から8月2日にかけて、中央国防スポーツクラブの張鳴代表らの2人がおぶサーバーとしてブルガリアで開催された「第8回黒海観光活動」に参加。

7月27日、中央人民政府体育運動委員会は第2セットのラジオ体操を公布し、それを広めた。

中国学生スポーツ代表団(男子・女子バスケットボール、バレーボール、水泳、陸上競技、卓球チームを含む)一行128人は団長張之槐氏の引率のもと、7月31日から9月8日にかけて、ハンガリーのブタペストで開催された第12回ユニバシアードに参加。バレーボールチームはこの前後にソ連、8月11日から15日にかけてハンガリーを訪問し、バスケットボールチームは8月17日から9月8日にかけてチェコ・スロバキアを訪問し、卓球チームは8月24日から9月4日にかけてブルガリアを訪問した。

8月8日から9月4日にかけて、ソ連陸上競技代表団が団長アイ・グラマドスキー氏の引率のもと、中国を訪問した。

8月10日から14日にかけて、13都市の中等・高等学校が参加した陸上・体操競技大会が旅順・大連で開催された。

8月14日、中央人民政府体育委員会、中国教育部、衛生部、放送事業局、青年団中央は「全国的範囲で少年ラジオ体操を広める」ことについて共同で指示を行った。

8月20日から9月14日にかけて、ソ連水泳代表団が団長ナ・ナ・ブゴロフ氏の引率のもと、中国を訪問した。

8月24日、スイスのベルンで開催された国際陸上競技連合会代表大会の席で、中華全国体育総会が同連盟の正式メンバーとして一致して認めるられた。。

中央国防スポーツクラブ代表団一行3人は団長任超氏の引率のもと、8月24日から9月29日にかけて、ソ連で開催された航空模型競技大会及び国際オートバイ友好試合、10月3日から8日にかけて、ルーマニアのブカレストで開催された国際射撃競技大会を視察した。

8月26日、中央人民政府体育運動委員会は第1セットの少年ラジオ体操を公布し、それを広めた。

9月1日、東北体育学院が瀋陽(遼寧省)で創立(1956年に瀋陽体育学院に改名)。

9月5日から11月2日にかけて、中国人民解放軍「八・一」サッカーチームが団長戴夫氏の引率のもと、ル-マニアを訪問。

9月8日、国際射撃連合会は中華全国体育総会に、中華全国体育総会を同連合会の正式メンバーとして認めるとの書簡を寄せた。

9月15日から28日にかけて、中華人民共和国第一回人民代表大会が北京で開催された。馬約翰、栄高棠氏らが全国人民代表大会代表として出席した。

9月20日、第一回全国人民代表大会第一回会議で可決された「中華人民共和国憲法」第94条は「国は青少年の体力・知力の発展のためにとくに力を入れる」と規定した。同日、西北体育学院が西安で創立(1956年に西安体育学院に改名)。

9月26日、栄高棠代表は第一回全国人民代表大会第一回会議の席で、「スポーツの発展は社会主義の建設にとって不可欠の要素である」をテーマとして発言をした。

9月28日、第一回全国人民代表大会第一回会議で、国務院の周恩来総理の指名に基づいて、中華人民共和国国務院の諸責任者が可決された。賀竜氏が中華人民共和国体育運動委員会の主任を兼任することになった。

中国青年サッカーチームは団長柯輪氏の引率のもと、9月29日から10月19日にかけてドイツ民主共和国、11月26日から12月13日にかけてチェコ・スロバキアを訪問した。

10月2日から10日にかけて、全国バスケットボール競技大会が開催された。

10月14日から21日にかけて、全国バレーボールリーグ戦が北京で開催された。

10月19日から26日にかけて、全国サッカーリーグ戦が北京で開催された。

10月29日、第一回全国人民代表大会代表、優秀な水泳選手の呉傳玉氏がハンガリーに赴く途中、飛行機事故で死亡した。

中国国家体育委員会は氷上運動を繰り広げることについて指示を行った。

11月1日、中華人民共和国国務院は蔡廷鍇、蔡樹藩、盧漢、黄琪翔、栄高棠の諸氏を中華人民共和国体育運動委員会の副主任として任命した。

11月5日から12日にかけて、全国総工会と国家体育運動委員会は北京で第一回全国職員・労働者スポーツ会議を主催。会議の席で、職員・労働者スポーツ活動について「積極的に指導し、逐次に発展させる」という方針が確定された。

11月15日から17日にかけて、国家体育運動委員会は北京で「第一回全国職員・労働者スポーツ会議」に参加した全国各地の体育委員会の責任者たちを招き、座談会を開いた。席上、出席者たちは大衆的スポーツの展開を巡って意見を交換した。

11月18日から26日にかけて、中央国防スポーツクラブ代表団一行3人は団長李雪氏の引率のもと、ソ連で開催された国際無線電信スポーツ友好競技大会を視察。

12月21日から25日にかけて、中国人民政治協商会議第二回全国委員会の第一回会議が北京で開催され、董守義氏が中国人民政治協商会議の委員として推選され、同会議に出席した。

この年には、観客3万人を収容できる西北人民スタジアム(西安)、福建省アモイ市人民水泳センターが落成した。

「チャイナネット」 2005年9月

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