1964年

1月15日から30日にかけて、中華人民共和国体育体育運動委員会は北京で「全国スポーツ活動会議」を開き、席上、「『普及と向上』という方針を引き続き貫徹し、大衆的なスポーツ運動を真剣に繰り広げ、競技レベルをいち早く引き上げる」ことが求められた。同会議では、1965年に第二回全国スポーツ競技大会を開催することが決まった。

1月30日、全国体育総会第4回代表大会が北京で開催された。同大会は全国体育総会の規約を改正し、同総会の第4回委員会を選出。委員は147人からなり、馬約翰氏が主席として選出された。

2月11日、国家体育運動委員会は第一陣として43人の棋士(囲碁)の段位を公布。

2月27日、国家体育運動委員会は北京で「全国サッカートレーニング活動会議」を開き、「全力でサッカー種目を繰り広げ、競技レベルをいち早く引き上げることについての決定」を可決。

4月5日、賀竜副総理は「体育報」新聞社を視察し、「毛沢東思想を堅持し、中国共産党の路線、方針、政策を引き続き貫徹し、ブルジョア階級の思想を批判し、「表彰と批判」の役割を強化し、『体育報』紙の思想性・戦闘性を向上させる」よう求めた。

4月14日、中華人民共和国体育運動委員会は「全力でサッカー種目を繰り広げ、競技レベルをいち早く引き上げることについての決定」を下達した。

4月24日、中国共産党中央委員会は、国家体育運動委員会党グループの「1964年全国スポーツ活動会議」についての報告を批准し、国家体育運動委員会党グループが提出した「スポーツ界の思想・政治仕事およびトレーニングを全力をあげて強化し、競技レベルを引き上げ、思想と技術のどりらも優れているスポーツ選手陣を育成し、国民経済の状況が好転し始めた情勢に適応して大衆的なスポーツ活動を繰り広げる」ということは適切なことであると認めた。

5月2日、中国登山チームの10人の選手がチベットのシシャパンマ峰(8012m)、世界で最後の標高8000メートル以上の高峰に初登頂。

5月18日、陳鏡開選手が151.5キロの成績でフライ級の世界記録を更新。これまでに、陳鏡開選手は前後9回世界記録を更新した。

6月1日、中国共産主義青年団中央委員会、中華人民共和国教育部、中華人民共和国体育運動委員会は「男性の青少年の間でミニサッカーを繰り広げることについての通達」を共同で下達した。

6月16日、毛沢東主席は北京の大学の学生たちおよび解放軍兵士たちと「十三陵」ダムで水泳をした。毛沢東主席は「水泳は自然と戦うスポーツの一種である。みなさん河や海へ行って泳ぐべきである」と学生や解放軍兵士たちに語り、青少年たちにたいする思いかけと期待を示した。

6月30日、毛沢東主席は「体育報」の紙紙名を書いた。

7月23日、中華人民共和国体育運動委員会は「水泳、射撃、通信、登山などの4種目を繰り広げることについての指示」を下達。

8月19日、中華人民共和国国務院は、中国教育部、体育運動委員会、衛生部によって提出された「中等学校、小学校の生徒の健康状況および学校におけるスポーツ、衛生面の仕事を改善することについての報告」を批准し、各地に下達した。同報告は「党の教育方針を全面に貫徹し実施し、学生たちに対し、生き生きとして、主動的に徳育、知育、体育の教育を強化、発展させ、社会主義の自覚と教養・知識をもった勤労者を育成する」よう各クラスの教育行政部門および学校に求めた。

11月22日から12月1日にかけて、第一回全国スポーツ科学報告会が北京で開催された。出席者は126人。席上、スポーツのトレーニング、体育の教育、運動生理、スポーツ医学などの分野に関する109の論文が発表された。

12月4日、各地では国家体育運動委員会は上海で全国トレーニング現場会を開き、席上、「難しいものを選んで、厳しく要求し、実際試合から出発して、大きな運動量にトレーニング」というトレーニングの原則をむねとすることが求められた。

「チャイナネット」 2005年9月

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