1984年

1月1日、国際体育学・スポーツ教学理事会は中国体育科学学会を同理事会のAクラスメンバーとして認めた。

2月4日、IOCは中国オリンピック委員会の鍾帥統主席に銀製の「オリンピック勲章」を授与した。

3月3日、国家体育運動委員会は中国の民間で流行っている伝統のスポーツ種目の「チェンツ」(羽根つきのものを蹴る種目)を正式競技種目として認めた。それと同時に、「競技・試合のルール(試行草案)」を下達した。

4月22日、中国主催の「第一回国際太極拳(剣術)招待競技大会」が武漢で開催された。

5月1日、閻紅選手と徐永久選手がノルウェーのベルゲンで開催された国際競走招待試合に参加し、それぞれ21'40''3と21'41''の成績で女子5キロメートルの世界記録を更新した。閻紅選手はデンマークのコペンハーゲンスポーツ協会主催の「競走オープン大会」で45'40''の成績で女子10キロメートル競走の世界記録を更新した。

5月7日、中国バドミントン代表チームはマレーシアのクアラルンプールで開催された国際バドミントン団体選手権大会に参加し、初めてユーバーカップの一位に輝いた。

6月10日、中国の朱建華選手はドイツ連邦共和国で開催された「エーベルシュタット国際走高跳び競技大会」で、2.39メートルの成績で世界記録を更新した。これで、同選手は一年間に三回男子走高跳びの世界記録を更新したこととなる。

6月17日、中国身障者選手代表団がアメリカで開催されたパラリンピックに参加した。21人の男女選手が陸上競技、競泳、卓球の競技種目に参加した。

7月18日、中国国務院は「全国青少年競技大会を四年ごとに開催する要求」を批准した。

7月28日から8月12日にかけて、中国スポーツ代表団はアメリカのロサンゼルスで開催された第23回オリンピック大会に参加した。金メダル15、銀メダル8、銅メダル9を獲得した。金メダル総数は四位、メダル総数は六位、総得点は七位となった。ライフル射撃種目の許海峰選手は中国初の「五輪金メダル」を獲得した。

8月1日、国家体育運動委員会は「競技場の気風をさらに整頓することについての通達」を下達した。

8月14日、鄧小平氏は一部の責任者と会談した際に、「スポーツ活動が上手に行われえいるかどうか、その影響が大きいかどうかは国の経済と文明の発展レベルを示すものである。スポーツ活動は数多くの人を励まし、数多くの視聴者をひきつけるので、スポーツ活動の発展を促進しなければならない」と語った。

8月21日から31日にかけて、国家体育運動委員会は北京で「全国スポーツ事業の発展戦略・改革」についての会議を主催した。92人の参加者が「20世紀末までに中国を世界のスポーツ強国に築き上げる」目標について見方と予測を交流した。

10月5日、中国共産党中央は「スポーツ活動をさらにくり広げることについての通達」を下達した。

10月21日から27日にかけて、中華人民共和国成立以来の「第一回全国スポーツ論文発表会」が南京市で開催された。同会議には123篇の論文が寄せられ、その内容・題材は思想研究、人物評価、少数民族スポーツのルーツの探求など、広範な分野に及ぶものであった。

12月3日から12月7日にかけて、第一回全国運動解剖学学術交流会が成都体育学院で開催された。交流会には102篇の論文が寄せられ、スポーツ選手の体の形態・状況、筋肉電図の観察、少数民族の体型の分析、運動解剖学の教学方法・作用図などの分野を含むものであった。

12月31日、国家体育運動委員会は「スポーツ強国としての記録の審査・批准制度」、「スポーツ選手の等級制度」をあらためて改訂して下達、1985年1月1日から実施し始めることとなった。

「チャイナネット」 2005年9月

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