1982年

1月、「中国大百科全書・スポーツ巻」の編集が完了。これは中国初のスポーツ分野の百科全書となった。

3月13日、全国政治協商会議スポーツ・グループが成立し、第一回会議を開いた。栄高棠氏がトップに任命された。

3月30日、IOCのサマランチ会長が中国を訪問し、鄧小平氏が同会長と会見した。鄧小平氏は関係部門の責任者に「スポーツは社会主義精神文明の重要な構成部分であるので、スポーツについての研究に力を入れ、方針を確立し、企画を作成するよう」要求した。

5月4日、国務院の常務会議は任命・免職の関連事項を批准し、李夢華氏を国家体育運動委員会の主任に任命した。

5月8日、中国バドミントン代表チームはイギリスで開催された第12回国際バドミントン男子団体選手権大会(トーマス・カップ)に参加し、一位に入賞した。

6月21日から30日にかけて、国家体育運動委員会は北京で省、直轄市、自治区の体育運動委員会の主任報告会議を主催し、「スポーツチームはさらに高い目標をめざす同時に、精神文明の建設を強化しなければならない」と強調した。

7月20日、国家体育運動委員会、中華全国体育総会、中国体育科学学会所属のスポーツ科学理論学会が山東省煙台市で「スポーツと社会主義精神文明の建設シンポジウム」、「スポーツ科学理論シンポジウム」を開催した。

7月25日から8月1日にかけて、体育科学理論学会は山東省煙台市で「スポーツという概念、スポーツ科学の性格とメカニズムについてのシンポジウム」を開催した。

8月10日、第一回全国大学生運動会が北京で開催された。

8月20日から24日にかけて、中国体育科学学会所属の体位研究会は山東省泰安市で「体位学術シンポジウム」を主催し、その中心テーマは「わが国の青少年・児童の体位に関する全面的な評価」であった。

8月27日、国務院の批准を経て、国家体育運動委員会は「国家スポーツ・トレーニング基準」を実施し、それと同時に「新たな(基準の)測定規則と測定成績採点基準」を下達した。

9月1日、全国の少数民族の伝統的スポーツ種目の競技大会が内蒙古自治区のフホホトで開催された。

10月22日、中国の李寧選手(体操)はユーゴスラビアで開催された第6回体操ワールドカップで金メダル6個を手にした。

11月1日、中国身障者スポーツ選手代表団が香港で開催された第三回極東・南太平洋身障者スポーツ大会に参加し、一位6、二位12と三位7の成績に輝き、李成剛選手は身障者の水泳世界記録を更新した。

11月10日から16日にかけて、国家体育運動委員会、中国文化部、青年団中央は福建省竜海県で全国農村スポーツ活動会議を主催した。国務院は今回の会議で採択された文書を批准し、それと各地に下達し、「リーダーシップを強化し、実際の状況に基づいて措置を講じ、積極的かつ一歩一歩と農村における文化・スポーツ活動を繰り広げることにつとめる」よう各クラス人民政府に要求した。

11月19日から12月4日、中国スポーツ代表団一行114人はインドのニューデリーで開催されたアジア競技大会に参加した。参加した18種目の中で、中国選手は金メダル81、銀メダル51、銅メダル41を獲得し、金メダルと総合成績で一位となった。走り高跳びの朱建華選手はこの大会の「最優秀選手」に選ばれた。

11月23日、国家体育運動委員会は体育・文化・歴史委員会を設置した。

12月5日、第1回全国武術会議が北京で開催され、全国各地から400余人の代表が出席した。

「チャイナネット」 2005年9月

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