1996年

1月12日、中国の哲学界、スポーツ界の指導者と知名な専門家たちが北京に集い、毛沢東主席の「どのように卓球をプレーするか」という指示の発表31周年記念を盛大に祝うとともに、中国スポーツ哲学発展研究会の発足を祝った。

1月15日、中国サッカー協会は「サッカー選手の移籍についての細則」の関連規定に基づいて、第二陣の移籍するサッカー選手合計34人のリストを発表した。サッカー選手の移籍は永久と臨時の二種類に分けられている。

1月22日、「科学・技術によってスポーツ事業を振興する」をテーマとする全国体育運動委員会主任会議が北京で開催された。

2月4日、第三回アジアウィンタースポーツ競技大会がハルビンで開催され、中国共産党中央総書記、国家主席の江沢民氏、サマランチ・IOC会長の代表、キム・ウンヨンIOC筆頭副会長、アジアオリンピック理事会会長のメハメッド殿下らが開幕式に出席した。17ヵ国・地域からの代表たちが入場式に参加した。同日、江沢民主席はアジアオリンピック理事会会長のメハメッド殿下および執行委員会のメンバーたち、サマランチIOC会長の代表、キム・ウンヨンIOC筆頭副会長、IOCのアジア国籍の委員たちと会見した。同大会で、中国代表団は金メダル15で金メダル総数一位に輝いた。

3月9日、中国中央テレビ局(CCTV) と「紹発」スポーツ技術開発会社共催の「CCTVカップ・卓球オープントーナメント」が北京で開幕した。同日、国務院は1996年度、1997年度のスポーツくじの発行を批准した。

3月14日から17日にかけて、「スポーツ学校、研究所、学院におけるスポーツ専門の院生教育改革についてのシンポジウム」が雲南省の昆明市のスポーツ電子設備研究所で開催され、出席者たちはハイレベルの人材育成の質、学校運営効率アップをめぐって検討を行った。

3月18日、1996年度台湾海峡両岸スポーツ用品展覧会が福建省の厦門(アモイ)市で開催された。これは台湾海峡両岸のスポーツ用品業界の共催による初めてのスポーツ用品展覧、販売のイベントであり、台湾海峡両岸スポーツ用品業界の発展を促す上で現実的意義のあるものである。

3月21日、中国人民解放軍総参謀部、総政治部、国家体育運動委員会が人民大会堂で、賀竜氏の生誕100周年記念座談会を盛大裏に開催した。

3月22日から31日にかけて、「賀竜氏とスポーツ-賀竜氏生誕100周年記念」という展示が中国スポーツ博物館で催された。この展示は約百点の実物、約200点の写真によって、賀竜氏がスポーツの実践の中で歩んできた輝きに満ちた道を提示し、新中国のスポーツ事業に対する同氏の多大な貢献と大きな影響力をしのんだ。スポーツ部門の約2000人の人たちが参観した。

3月27日、国家体育運動委員会、国家教育委員会、中国衛生部、国家民族事務委員会、国家科学・技術委員会は「社会全体は青少年の健康に関与しよう」と共同で呼びかけた。

4月23日から25日にかけて、第一回全国スポーツ法制会議が遼寧省の大連市で開催され、国家体育運動委員会の伍紹祖主任が「スポーツ法制の第二段階の目標を達成するために力を入れよう」というテーマの活動報告を行った。これはスポーツ法制の充実化の上で歴史的な意義をもつ重要な会議となった。

4月30日、第三回労働者競技大会が北京で開催された。テーマは「参加、健康保持、団結、進歩」で、11の競技種目が15の競技区の17都市・末端部でおこなわれ、541チーム、7000人の選手が出場した。江沢民中国共産党中央総書記は第三回労働者競技大会のために、「労働者スポーツ活動の展開のために全力を尽くし、経済の発展と社会の進歩を促そう」という題辞をしたためた。

5月10日、第四回全国身障者競技大会が遼寧省の大連市で開催され、江沢民中国共産党中央総書記が「平等、参加、自ら強きを求め、ともに進歩しよう」という題辞をしたためた。大会の期間に、75人の選手が世界記録41を105回更新した。

6月7日から9日にかけて、全人代教育・科学技術・文化・医療衛生委員会と国家体育運動委員会の共催による「『体育法』の広報、実施座談会」が北京で開催され、これは全人代の行事日程に組み入れられた最初のスポーツ関連の重要な会議であった。この会議上、「『体育法』を全面的に実施するにおいて、最も重要なのは関連法規の策定を急ぎ、法律による監督を強化し、『体育法』の広報に大きな力を入れることである」ことが強調された。15の省、自治区、直轄市、計画単列市(国の計画に組み込まれた都市)、省都である都市の人民代表大会と体育運動委員会の指導者たちが会議に出席し、体育法制充実化の遠大な計画を共同で検討した。

6月14日から15日にかけて、国際竜船(ドラゴンボート)連合会第五回代表大会・執行委員、理事会会議がマレーシアのペナンで開催された。国家体育運動委員会の劉吉副主任は再度同連合会の会長に選ばれた。会議の期間に、「1997年から、国際竜船連合会代表大会は世界竜船選手権と同時に、二年ごとに開催されることにする」ことが可決された。

7月20日、第26回オリンピック大会がアメリカのアトランタで開催され、中国スポーツ代表団は金メダル16、銀メダル22、銅メダル12を獲得し、金メダルの数で四位に輝いた。8月15日、第十回パラリンピックがアメリカのアトランタで開催され、中国代表団は金メダル16、銀メダル13、銅メダル10を獲得し、世界記録11を樹立し、金メダルの数で九位となった。

8月5日、中国共産党中央宣伝部、国家体育運動委員会は「社会における気功習練への管理を強化する通達」を共同で下達した。

8月27日、江沢民中国共産党中央総書記は第五回全国大学生競技大会のために、「学校スポーツ活動を繰り広げ、社会主義の精神文明の建設を促そう」という題辞をしたためた。

8月31日、中国共産党中央宣伝部、国家体育運動委員会、中国衛生部、民政部、公安部、国家漢方薬管理局、国家工商管理局が「社会における気功習練への管理を強化する通達」を共同で下達した。

9月5日から9日にかけて、全国体質研究シンポジウムが青海省のドバ(多巴)高原トレーニング基地で開催され、出席者たちは①国民体質の観測システムの研究についての構想、研究の段取り、施設および監視観測ステーション設立の原則、②成人と学生の体質観測の具体的な指標、方法、監視観測ステーション設立の原則などの内容をめぐって検討を行った。

9月18日、全国哲学社会科学企画・指導グループの批准を経て、体育学は国によって統一的に企画、管理される哲学社会科学の分野に組み入れられ、国の一級学科と見なされるなった。

10月18日から22日にかけて、全国の優秀なスポーツチームの職業教育シンポジウムが天津市で開催され、代表たちは優秀なスポーツチームの職業教育の展開状況を交流し、市場経済の下での優秀なスポーツチームの職業教育の良性循環の運営制度を模索した。

10月30日から11月2日にかけて、国家体育運動委員会、江西省人民政府、中国スポーツ用品連合会が共催する第四回中国スポーツ用品博覧会が江西省の南昌市で開催され、中国共産党中央政治局委員、国務委員の李鉄映氏が博覧会のために「スポーツ事業の発展を積極的に促そう」という題辞をしたためた。

11月3日、第三回全国農民競技大会が上海で開催された。

11月4日から7日にかけて、中国スポーツ事業の発展戦略研究会が北京市の懐柔県で、「全国の体育運動委員会の指導者の論文発表会・2010年におけるスポーツの改革と発展の戦略セミナー」を主催した。この会議で、代表たちは2010年におけるスポーツ事業の発展戦略、スポーツ事業がいかにして二つの根本的な変転(スポーツ経済の伝統的な計画体制から市場経済体制への転換、粗放型から集約型への経済成長パターンへの転換)を達成するかという問題について模索した。

11月19日、国家体育運動委員会は「現行スポーツ選手のコマーシャルなどへの参加についての管理を強化することについての通達」を下達した。

12月30日から1997年1月3日にかけて、国家体育運動委員会武術スポーツセンター主催、河北省体育総会、海南天啓株式会社協賛の「天啓カップ・第一回全国・全人民の健康のための気功養生交流大会」が河北省の石家荘市で開催された。大会の主旨は「健康のための気功を展開し、科学と文明を提唱し、封建的な迷信を打破し、心身の健康を促す」ことであった。全国の30の省、自治区、直轄市及び業種体育協会の気功修練者代表と愛好者など、合わせて1000余人が気功の技と修練の経験を交流し合った。

「チャイナネット」 2005年9月

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