1997年

1月6日から7日にかけて、国家体育運動委員会競技・トレーニング第二司、中国スポーツ科学学会共催のボールゲーム種目の体力トレーニングシンポジウムが北京体育師範学院で開催され、45人のスポーツ学者、コーチたちが出席して討論し、42篇の論文を提出し、ボールゲーム種目の体力トレーニングの理論研究と実際のトレーニングのレベルを集中に提示し、これは中国で初めてのボールゲーム種目の体力トレーニングについての系統的な討議となった。

1月8日、第五陣の全国スポーツ先進県の命名・表彰大会が北京で開催され、80の県(市、区)が第五陣の全国スポーツ先進県と命名された。中国共産党中央政治局委員、国務院副総理の姜春雲氏と国務委員の李鉄映氏が出席し、授賞した。

1月13日から15日にかけて、「スポーツ法制整備を強化する」というテーマの全国体育運動委員会主任会議が北京市の懐柔県で開催され、各省、自治区、直轄市、計画単列市(国の計画に単独で組み入れられた都市)、中国人民解放軍総参謀部軍事訓練部、中国人民解放軍総政治部文化部およびさまざまな業種のスポーツ協会、国家体育運動委員会の各庁、司、局、その直属機構の指導者ら200余人が出席した。この会議において、スポーツ事業の発展に寄与した機構と個人が受賞した。

1月16日、中華全国体育総会第六回全国代表大会が北京で開催され、代表たちは前期委員会の活動報告、中華全国体育総会の新しい定款、新たな委員会の指導者、指導部について表決し、国家体育運動委員会の伍紹祖主任が中華全国体育総会の主席に選ばれた。

1月21日、中国農民スポーツ協会第三回全国代表大会・中国農民スポーツ協会十周年祝賀大会が北京で開催され、全国の30省、自治区、直轄市、中国人民解放軍総参謀部から200人の代表たちが出席した。姜春雲国務院副総理が同協会の名誉主席に選ばれた。肖鵬氏が再び同協会の主席に選ばれた。この会合では、代表たちはこの十年以来の活動を総括し、「中国農民スポーツ協会の規則」を改正し、李・バトル氏、馬友泉氏ら農民スポーツ事業に寄与した先進個人を表彰した。

1月22日、国家体育運動委員会が「スポーツ法制建設を強化する決定」を下達した。

1月24日、中華スポーツ精神を盛んにする座談会が北京で開催され、スポーツ界と理論研究界の200人の代表が出席した。国家体育運動委員会主任、スポーツ・哲学発展研究会の伍紹祖名誉会長、マルクス主義哲学史学会の荘福齢会長、宋慶齢基金会の劉啓林副主席、著名な教育家の韓作黎氏が座談会に出席し、発言した。

1月25日、全国アンチ・ドーピング会議が天津市で開催され、各省、自治区、直轄市、計画単列市、中国人民解放軍総参謀部・軍事訓練部、中国人民解放軍総政治部・文化部及びさまざまな業種のスポーツ協会、直属の諸スポーツ学院からの60人のアンチ・ドーピング担当者が出席した。国家体育運動委員会の副主任、中国オリンピック委員会傘下のアンチ・ドーピング委員会の袁偉民主任が会議の席で、「アンチ・ドーピングは社会主義中国の名誉、中国スポーツ界、中国のスポーツ選手のイメージに直接に関わるもので、単なる技術問題であるばかりか、非常に重要な政治問題でもある」と強調した。

2月19日、国家体育運動委員会が「国民全体の健康のためのプラン・第一プロジェクトの第二段階活動案」を下達した。

3月6日から7日にかけて、全国サッカー宣伝活動会議が北京で開催され、全国50余社のメディアの百人の記者、担当者たちがサッカーの宣伝・報道をどのように繰り広げるかということについて討議した。国家体育運動委員会宣伝司の何慧嫻司長は「サッカーの宣伝報道は政治性を重んじ、大局観をもって、正確な輿論の方向をつかみとらなければならない」ということを強調した。

3月22日、一年間に及ぶ「CCTVカップ・卓球競技公開試合」が閉幕し、丁松選手と鄧亜萍選手がそれぞれ男子と女子のチャンピオンとなった。

3月24日から28日にかけて、全国社会科学企画会議が北京で開催され、スポーツ学の学科グループに初めて学科企画評議・審議グループに組み入れられた。

4月1日から3日にかけて、中国成年体質観測会議が福建省の厦門(アモイ)市で開催され、国家体育運動委員会の伍紹祖主任が出席し、スピーチを行った。

4月2日、国家体育運動委員会、国家教育委員会、中国民政部、建設部、文化部は「都市部コミュニティにおけるスポーツ活動を繰り広げることについての意見」を共同で下達した。

4月10日、国家体育運動委員会が「国家体育運動委員会・スポーツ科学、ソフト科学の研究項目の管理規則」を下達した。同日、全国高齢者スポーツ会議が福建省の漳州市で閉幕し、中国の高齢者スポーツの指導方針、つまり「都市部の基盤を打ち固め、農村部における活動を繰り広げ、末端における活動に目を向け、高齢者全体に向けてスポーツを普及する」ということが可決された。

4月30日、国家体育運動委員会は「中年・青年の専門技術人材の育成についての意見」を下達した。

5月7日から9日にかけて、第一回全国の健康のための気功管理会議が北京で開催され、29の省、自治区、直轄市及び一部の計画単列市の体育運動委員会、体育総局の指導者が出席した。国家体育運動委員会の伍紹祖主任が会議の席で、中国の人体科学研究の展望および健康のための気功のスポーツ事業における位置付けについて説明し、「気功に対する管理の中で科学、法制、団結、文明の旗じるしをかかげよう」と強調した。

5月14日、「国家成年体位観測センター」が国家体育運動委員会の科学・研究所で発足した。これによって、中国の成年体質観測のネットワークが始動した。

5月30日、中国オリンピック委員会の魏紀中秘書長は「祖国復帰後、国際スポーツ機構において香港は引き続き独立的地位を保つことになる」という原則を重ねて明らかにした。

6月1日、香港の「アジアのフライングマン」といわれた柯受良(ブラッキー・コー)氏が自動車を運転し、幅50メートルの黄河の滝を飛び越えることに成功した。

6月9日、「国民全体の健康のためのプラン」発表二周年、毛沢東主席の「スポーツ運動の発展を促し、人民の体位を向上させよう」という題辞発表45周年、毛沢東主席の「体育の研究」発表80周年を記念するため、国家体育運動委員会、中華全国体育総会が北京で座談会を共催し、国務院の一部機構、大衆団体、中国人民解放軍、北京市など14の機構の指導者及びスポーツ理論界の代表たちが出席し、発言をした。

6月13日、中国武術段位制度全国試験・審査委員会の第一回会議が北京で開催され、この会議で、「中国武術界において段位制を実施すること」が明らかにされた。

6月27日、国家体育運動委員会が中国スポーツ博物館で「愛国主義の教育基地」の命名式を催し、国家体育運動委員会の劉吉副主任が中国共産党国家体育運動委員会グループの「中国スポーツ博物館を愛国主義の教育基地に命名する」決定を発表した。

6月30日、サマランチIOC会長が香港で、「祖国復帰後、国際スポーツ機構において香港は引き続き独立的地位を保つことになる」という原則を重ねて明らかにした。

7月1日、中国伝書バト協会は全国の30万人のメンバーから1万羽の伝書バトを徴集した。同日、中国海洋帆船ラリー大会が開催され、香港の祖国復帰後、大陸部と香港の選手がともに参加する初めてのスポーツ競技となった。今回のラリー大会は大連港から出発し、青島、上海、アモイ、珠海を経由して香港に到着するものであった。航海距離は全長2200カイリであった。

7月2日、国務院の李鵬総理が中南海紫光閣でサマランチIOC会長一行と会見した。李鵬総理は「中国のスポーツ事業の基本的な目標は、スポーツ活動の発展を促し、国民全体の体位を向上させることである」と強調した。

7月3日、IOC、香港アマチュアスポーツ協会・香港オリンピック委員会が香港で、「今後、中華人民共和国香港特別行政区のスポーツ選手がオリンピック大会やその他の国際的な試合に参加する」ことについて合意に達した。サマランチIOC会長と香港アマチュアスポーツ協会・香港オリンピック委員会のサーリシ会長が代表として取り決めに調印した。

7月6日、香港武術連合会など5つのスポーツ機構が3000人の武術エキシビションを共催。これは香港の武術史上最大規模のエキシビションとなった。

7月11日、国家体育運動委員会、国家統計局、国家教育委員会、中華全国総工会、中国農業部共催の第四回全国スポーツ用地全面調査統計データが発表された。統計データによると、1995年末における全国総人口で計算すれば、1万人当たりのスポーツ施設が5ヵ所、一人当たりのスポーツ用地面積は0.65平方メートルとなった。

7月15日、国家体育運動委員会、中国登山協会は人民大会堂で、チベット登山チームが5年間に8000m以上の14の高峰のうち7つの山峰に登頂した成果を祝うため祝賀・表彰会を催した。

8月8日から17日にかけて、第五回世界競技大会がフィンランドの著名なスポーツのメッカ―ラピンラホッティのスポーツセンターで開催された。世界競技大会は非オリンピック種目と大衆的種目からなるスポーツの盛会である。75ヵ国・地域の1900人の選手が参加した。中国代表団は初出場で、金メダル19、銀メダル12、銅メダル7を獲得し、3種目の女子重量挙げ世界記録を更新し、メダル総数で二位に輝いた。

8月16日、中国共産党中央総書記、国家主席の江沢民氏はスポーツ活動のために、「大衆的なスポーツは国にとっても国民全体にとっても役立つものであり、今日の努力は将来の利益をもたらすことになろう」という題辞をしたためた。

8月20日から24日にかけて、バドミントン史上最終回のワールドカップがインドネシアのジョクジャカルタで開催され、中国代表チームは3種目で一位に輝いた。1998年、国際バドミントン連盟は新たな競技方式を実施することになっている、今後、年一回のバドミントンワールドカップは姿を消すことになった。

8月28日、人民大会堂東門外広場で、中国共産党中央総書記、国家主席の江沢民氏が自ら「新世紀に向って進もう」という第八回全国競技大会のトーチに点火した。国務委員、国務院羅幹秘書長はトーチリレーのスタート式典の開幕を宣した。中国共産党中央政治局委員、国務委員の李鉄映氏があいさつを述べた。

9月6日から10月5日にかけて、「光り輝く五年間―中国共産党第14回全国代表大会以来、中国の経済建設と精神文明建設において収めた成果の展示」が北京展覧館で開催され、全国各省、自治区、直轄市、中央の各機構、委員会など計102機構の協賛のもとに、社会各界の観衆120万人を招待した。9月10日、江沢民氏、李鵬氏、劉華清氏、胡錦濤氏ら中国共産党と政府の指導者らが興味津々としてスポーツ界が収めた成果の展示エリアを視察した。

9月10日、第十回飛び込みワールドカップがメキシコで開催され、中国代表チームは金メダル6、銀メダル3、銅メダル5を獲得し、混合団体、男子団体、女子団体種目で一位に輝いた。

9月、中国共産党国家体育運動委員会グループは中国代表チームの選手のために傷害保険制度の試行を決定した。

10月12日、中国共産党中央総書記の江沢民氏は上海で、第八回全国競技大会に参加した大衆スポーツの先進代表と会見した際に、次のように語った。「人民のために、人民の体位の強化のために奉仕することは、中国共産党と政府のスポーツ活動に対する基本的な要求である。スポーツ事業は大衆的な事業であるため、大々的に大衆的なスポーツ活動をくりひろげることを中国のスポーツ活動の重点としている。それと同時、競技スポーツの発展に力を入れなければならない。競技スポーツはわが国に栄光をもたらすだけでなく、大衆的なスポーツの発展のために、それを導き、手本を示す役割をも果たしている。そのため、競技スポーツと大衆的スポーツが互いに促進しあい、ともに進歩する局面を保つようにしなければならない」と語った。

10月12日から24日にかけて、中華人民共和国第八回全国競技大会が上海で開催され、全国各省、自治区、直轄市、香港特別行政区、中国人民解放軍および13業種のスポーツ協会からの46の代表団が参加した。257人の選手からなる香港特別行政区スポーツ代表団も初めて全国競技大会に参加した。7647人の選手が28種目、319競技種目の決勝段階の試合に参加し、合計380の金メダルが生まれた。成績がトップ10のスポーツ代表団は上海、遼寧、山東、広東、中国人民解放軍、江蘇、北京、吉林、湖南、浙江となった。大会の期間、179人の選手が世界記録41を659回更新し、4人の選手が世界記録3を4回樹立し、8人の選手が世界ジュニア記録4を17回更新し、100人と3チームの選手がアジア記録55を367回更新し、88人と6チームの選手が全国記録を142回樹立した。中国共産党中央総書記、国家主席の江沢民氏が、中華人民共和国第八回全国競技大会の開幕を宣した。サマランチIOC会長ら国際スポーツ界の知名の士が開幕式に出席した。中国共産党中央政治局常務委員、国務院総理の李鵬氏が、中華人民共和国第八回全国競技大会の閉幕を宣した。江沢民氏、李鵬氏、喬石氏、李瑞環氏ら中国共産党と政府の指導者が第八回全国競技大会のために題辞をしたためた。

10月13日から17日にかけて、1997年度上海国際スポーツ用品博覧会が上海で開催され、これは中国初の大型スポーツ博覧会の試みと見なされた。アメリカ、ドイツ、スイス、日本の100余社の企業が勢ぞろいし、世界一流のスポーツ設備、スポーツ用品と製造技術が展示されたものとなった。

10月14日、第八回全国競技大会大衆スポーツ先進表彰大会が上海で開催され、中国共産党中央政治局委員、国務委員の李鉄映氏、国家体育運動委員会主任、第八回全国競技大会組織委員会の伍紹祖主任、国務院の李樹文副秘書長らおよび全国各地の大衆スポーツ先進団体、先進個人など500人の代表が出席した。2994の機構が全国大衆的スポーツ先進団体の称号を授与され、1987人が全国大衆スポーツ先進個人の称号を授与された。

11月3日、第四回国際武術連合会代表大会がイタリアのオリンピック委員会会議ホールで開催され、国際武術連合会の伍紹祖会長が司会を主宰した。席上、代表たちは同連合会の規則と競技規則の改正についての提案を可決し、モーリシャス、グルジア、オーストリア、カナダ、アルメニア、ベネズエラなど6ヵ国の武術協会を国際武術連合会のメンバーとして認めた。これにより、同連合会のメンバー協会は77となり、IOC単一項目協会となる加盟協会数に達した。席上、中国武術協会の李傑会長が国際武術連合会の秘書長(代行)を担当する提案が可決された。

11月4日から8日にかけて、第四回世界武術選手権がイタリアのローマで開催され、25の競技種目が設けられ、50の代表チームの800余人の選手が出場した。中国代表チームは11人の選手が出場し、金メダル8、銀メダル2の成績で一位に輝いた。中国香港代表チームは金メダル3、銀メダル4、銅メダル2の成績で2位となった。

11月10日から13日にかけて、1997年中国スポーツ用品博覧会が湖北省の武漢市で開催され、初めて専門的な展覧エリアを設置し、展覧エリアの面積は23000平方メートルを上回った。618社の企業が1412ヵ所の国際標準展示ブースを利用した。アメリカ、日本、オーストラリアの企業が展覧に参加し、中国台湾省のスポーツ用品企業もグループの形で展覧を見学した。国家体育運動委員会の伍紹祖主任、中国共産党湖北省委員会の賈志傑書記、蒋祝平省長、国家体育運動委員会の劉吉副主任、張発強同副主任、王少階湖北省副省長らの指導者が参加し、58社の企業に金賞、68社の企業に優秀賞、25社の企業に最も優れた展示ブース賞を授与した。中国オリンピック委員会・市場開発委員会が李寧(LINING)スポーツ用品公司、広州康威スポーツ用品有限会社、北京国安ニューエアライン服装公司、広州双魚公司、北京格威特経済発展総公司に「際立つ貢献賞」を授与した。

11月18日から20日にかけて、中国スポーツ科学学会主催、北京体育大学協賛の第五回全国体育科学大会が北京で開催された。全国各地(香港特別行政区、台湾省、澳門地区を含む)からの850人のスポーツ科学研究者が参加した。大会のテーマは「回顧と展望、サービスとイノベーション、新しい世紀を迎える」であった。大会の期間に、2068篇の論文が提出され、そのうちの1044篇が収録された。代表たちはスポーツマクロ理論、スポーツ体制の改革、学校におけるスポーツ教育、大衆スポーツの組織と管理、スポーツ市場とスポーツ産業など、18の特定のテーマをめぐって討議した。全国人民政治協商会議の銭正英副主席、国家体育運動委員会の袁偉民副主席、張発強同副主席、中国科学協会書記処書記である張沢氏が開幕式に出席した。国家体育運動委員会の伍紹祖主席、袁偉民同副主席、張発強同副主席が閉幕式に出席した。収録された37篇の論文の作者が第五回全国スポーツ科学大会・「啓康」優秀論文賞に入賞した。

11月22日から12月5日にかけて、全国社会スポーツハイレベル研究コースが北京体育大学に開設された。国内外の10人の専門家が講義し、中国の社会スポーツ関連理論や現実の問題について検討した。

11月23日、中国体育科学学会・社会スポーツ分会、中国スポーツ発展戦略シンポジウム、北京体育大学共催の「1997年アジアスポーツ科学学術シンポジウム」が北京体育大学で開幕し、「21世紀におけるアジアの社会の発展とスポーツとの関係」をテーマとし、アジアスポーツ社会学の繁栄と発展を促すことを目指すものとなった。1997年にスポーツ・社会学科が国家哲学社会科学一級学科に組み入れられた後の第一回スポーツ社会科学国際会議となった。中国、日本、韓国、オーストラリア、イギリスなどの国・地域からの80人の学者が出席した。

11月24日、国家体育運動委員会が10年以来スポーツ種目管理体制を対象として行われた改革の経験を総括した上で、「簡潔、統一、効率」にのっとって、同委員会に所属する競技種目管理の第一司、第二司、第三司を撤廃し、9つの競技種目管理センターを組み合わせることによって、競技種目の管理体制において「政府と機構の分離、管理と実施の分離」を徹底的に実行し、競技種目の二重の管理という局面に終止符を打った。

11月25日から27日にかけて、全国アマチュアスポーツトレーニングシンポジウムは湖北省の黄石市で開催され、、代表たちは中国共産党第14次全国代表大会以来、アマチュアスポーツトレーニングにおいて収めた成果や経験を総括し、主な問題を分析した。また、アマチュアスポーツトレーニングを強化し、資質の高い優秀なスポーツ予備人材と大衆スポーツの中堅を育成すること、アマチュアトレーニングの新しい局面を切り開くことなども討議の内容となった。

11月25日、全国スポーツ経済会議が広西チワン族自治区の桂林市で開催され、全国の31の省、直轄市、自治区、6つの計画単列市、新疆生産建設兵団および国家体育運動委員会からの121人の代表が出席した。国家財政部、国家計画委員会の代表が招請を受けて出席した。国家体育運動委員会の張発強副主任は席上、スポーツ事業の性格や国の社会と経済におけるスポーツ事業の地位を重点として説明し、スポーツ市場の開発、育成、持続可能な良性の発展などの問題について詳しく説明した。代表たちは「全国的な単一種目の競技の財務管理規則」、「スポーツ事業体の固定資産の管理規則」、「スポーツくじの公益金の管理規則」などの文書について討議した。

11月27日、中国オリンピック委員会は北京で祝賀会を催し、「中国スポーツ」誌の卜凡舟記者の「オリンピックの世紀の旅」から凱旋を祝うこととなった。卜凡舟記者は1996年6月23日から、近代オリンピックの発祥の地であるギリシアのアテネから出発し、自転車で15000キロを完走し、1997年10月29日に2000年オリンピック大会の開催地であるオーストラリアのシドニーに到着した。この旅は1年4ヵ月をわたるものであった。サマランチIOC会長が祝電を寄せ、「オリンピック百年記念のイベントで、特色のある壮挙」と称賛し、卜凡舟記者の非凡の壮挙に敬意を表した。

12月3日から5日にかけて、全国大衆スポーツ会議が広東省の東莞市で開催され、国家体育運動委員会の伍紹祖主任がスピーチし、「スポーツ事業は大衆的な事業であるので、国民が参加するスポーツを繰り広げることはわが国のスポーツの重点である」と強調した。国家体育運動委員会の劉吉副主任は「1997年度全国民の健康のためのスポーツ宣伝週間」というイベントの優秀賞、優秀組織賞、優秀報道賞、先進機構の受賞リストを発表した。

12月4日、「サッカー、バレーボール、バスケットボールの改革を深化することについてのシンポジウム」が「人民日報」社で開催され、国家体育運動委員会の袁偉民副主任、サッカー・バレーボール・バスケットボール管理センターの指導者およびマスコミの代表たちが出席した。

12月11日、国家教育委員会主催の「全国の学校におけるスポーツ・衛生・国防・教育についての会議」が湖北省の武漢市で開催され、国家教育委員会、国家体育委員会、中国衛生部、中国人民解放軍、全国各省、直轄市、自治区の160余人の指導者と代表が出席し、国家体育運動委員会の劉吉副主任がこの会議で、「学校と青少年たちは『国民全体の健康のためのプランの要綱』を実施する重点的対象である」ことを重ねて強調した。

12月24日、国家体育運動委員会スポーツ宣伝・管理活動会議が北京で開催され、代表たちは「国家体育運動委員会・スポーツ宣伝活動の組織・管理実施規則」、「重要な競技活動の報道・組織管理についてのいくつかの規則」、「中国のスポーツ記者の外国での取材に対する管理の暫定規則」をめぐって討議した。

「チャイナネット」 2005年9月

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