1998年

1月12日、全国体育運動委員会主任会議が北京で開催され、「鄧小平氏の理論の偉大な旗じるしを高くかかげ、中国共産党第十五回代表大会の主旨を真剣に学習し、スポーツ事業の体制改革を深化させ、中国の特色のある社会主義スポーツ事業の建設を21世紀に向けて全面的に押し進める」ということは主要な議題となった。

2月1日、IOCは李鉄映氏、徐寅生氏に「銀製のオリンピック勲章」を授与することを決定。これにより、中国ではあわせて19人が「オリンピック勲章」を受賞した。

2月19日、IOCアンチ・ドーピング大会が北京で開催され、「さらに措置をとって、総合的な管理を行い、根源からドーピングの使用を禁止する」ことが可決された。

3月10日、国務院機構改革案によって、国家体育運動委員会が国家体育総局に改組された。

3月24日、新たな国務院の全体会議で、「元国家体育運動委員会を国家体育総局に改組し、国務院直属機構とする」ことが可決された。霍震霆氏が中国香港特別行政区アマチュアスポーツ協会・香港オリンピック委員会の会長に選ばれた。

3月25日、国家体育運動委員会は上海で「全国における健康のための気功の管理会議」を主催し、関連法律にもとづいて全国の健康のための気功に対する規範化管理を行うことを決定した。

4月6日、国家体育総局が発足し、これは新たなスポーツ管理機構の誕生といえるもの。中国オリンピック委員会傘下のアンチ・ドーピング委員会は1997年におけるドーピングテストで処罰対象となった24人の選手の姓名を発表した。

4月21日、北京大学登山チームの唐元新さん、張春柏さん、高永宏さんが8201mの世界で六番目の高峰のチョー・オユー峰登頂に成功し、世界で初めての大学生による8000m峰登頂となった。

5月11日、9月10日、中国共産党中央政治局常務委員、国務院の李嵐清副総理は二度と指示を下達し、国家体育総局が人体科学の研究を系統的に管理するよう要求した。

5月27日、中国女子バドミントン代表チームが四年ぶりにユーバーカップを獲得した。

6月24日、国家体育総局が「1997年度中国成年体位観測結果についての報告」を発表した。これによると、中国の成年が合格の指標に達し、さらにそれを上回る人数が総人数の71.4%を占めることが明らかになった。

7月1日、香港特別行政区政府が祖国復帰以来初めての授賞リストを発表し、スポーツ選手の黄金宝さんと呉小清さんが入選した。

7月21日、体操選手の桑蘭さんがグッドウィルゲームズで大けがをした。スポーツ選手の傷害・身体障害問題が再び社会各界の注目を集めた。

7月18日から8月2日にかけて、「子供にしあわせをもたらす」をテーマとする第四回グッドウィルゲームズはニューヨークで開催され、60ヵ国・地域の1500人の選手が15種目の競技に出場した。中国体操選手の桑蘭さんが試合で大けがをした。スポーツ選手の傷害・身体障害問題が社会各界の注目を集めた。

8月、范志毅選手、孫継海選手、楊晨選手が相次いでヨーロッパのハイレベルのサッカーリーグに移籍した。大連万達サッカークラブは四回目の中国サッカーAリーグ・チャンピオンを獲得した。

8月7日、国家体育総局は一年半間にわたってすすめられた「中国社会スポーツの現状についての調査」を発表した。これは北京体育大学など21の機構によって作成された中国スポーツ界で最初の全国的な社会調査となった。この調査の結果によると、今や、中国でスポーツに参加する人口は総人口の31.4%を占め、発展途上国の平均レベルを上回るものとなった。しかし、この調査によると、1997年において中国の都市部と農村部の住民の中では、65%の人々が「国民全体の健康のためのプラン」を耳にしたことがないことが明らかになり、国家体育総局に注目されることとなった。

8月14日、国家体育総局水上種目管理センターは北京で、「健康のための水泳トレーニング基準」を下達した。同基準は基礎的な普及のための基準であり、「一級(トビウオ)」、「二級(クジラ)」、「三級(イルカ)」、「四級(アザラシ)」などのレベルに分けられており、それぞれの基準に達したものはそのレベルの証明書と表彰メダルを獲得することになっている。

8月20日、国家体育総局自転車・モーターバイク・フェンシング種目管理センターは「1998年において全国の自転車(トラック)競技で血液テストを行うことについての通達」を下達し、これは中国スポーツ界における初めての血液テストとなった。

9月11日、第46回世界軍事関係ペンタスロン選手権大会が北京で開催され、その規模はこれまで最大のものとなった。中国代表チームは四種目で一位に輝き、男子団体、女子団体、女子シングルスの世界記録を更新した。

9月28日、中国人寿保険(生命保険)有限会社、中華全国体育基金会が人民大会堂で、中国代表チームの傷害保険について合意した。それによると、中華全国体育基金会は100万元の基金を投じ、オリンピック種目に出場する1400人の中国代表選手に3000-30万元のスポーツ傷害保険をかけることにした。

10月12日、第33回チェスオリンピック大会で、中国女子チェス代表チームの謝軍選手、諸宸選手、王頻選手、王蕾選手が初めて団体一位に輝いた。

10月15日、天安門広場で、一万人の太極拳愛好者による24式太極拳のエキシビションが初めて衛星を通じて世界に中継され、中国武術史上もっともすばらしい一ページとなった。

10月28日、国家体育総局は国務院の指導者の重要な指示を下達し、「その指示を真剣に学習し、積極的に実施し、各地の人体科学と気功習練を一定の管理システムのもとで協調させるよう」要求した。

11月25日、北京市は中国オリンピック委員会に「2008年オリンピック大会招致」の申請書を提出し、北京の二回目の五輪招致の序幕が切って落とされた。

12月6日から20日にかけて、第13回アジア競技大会がタイのバンコクで開催され、国務院の李嵐清副総理が開幕式に出席した。36種目の377の競技目が設けられた。アジアオリンピック理事会のメンバーである41ヵ国の10629人の選手、コーチ、指導者が378の金メダルを目指して力を競い合った。822人からなる中国スポーツ代表団は24種目の試合に出場し、金メダル129、銀メダル78、銅メダル67を獲得し、金メダル数で一位、メダル総数で一位というの目標を達成した。香港特別行政区スポーツ代表団と台湾省スポーツ代表団はそれぞれ金メダル5、金メダル19を獲得した。

「チャイナネット」 2005年9月

 

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