北京の伝統的な雰囲気が濃厚な「南鑼鼓巷」 外国人に人気上昇中


■高貴な帽児胡同

1、可園:清代末の大学士・文煜の住宅と庭園。清代末期の北京の個人庭園の中では最も芸術的価値があるとされる。

路北7-15号(奇数号)は、もともと大規模な建築群であり、清代末期の大学士・文煜の住宅と庭園だった。5つの住宅が連なり、敷地面積は1万1000平方メートル。潤沢な財産を蓄え、丹精込めて住宅と庭園を築造した。庭園は1861年に完成、「可園」と名づけられた。敷地面積は約0.27ヘクタール。規模は大きくないが、その整然さから、清代末期の北京の個人庭園の中で芸術的価値は最も高いとされている。

国の「重点文物保護単位」に指定されているが、まだ一般公開されていない。

 

婉容旧居

 

 

2、35号、37号住宅は末代皇后・婉容の実家

さらに西に行く。北35号、37号は末代皇帝宣統の皇后、婉容の実家である。宣統が結婚したのは中華民国11年だが、民国初年に公布された清代皇室の優遇策が履行されたことで、「皇后邸」に多くの経費が費やされ、大規模な修復が行われた。

 

 

 

 

 

■内外に名を馳せる菊児胡同

 

菊児胡同は南鑼鼓巷の一番北、その東側にある胡同。その名が内外に馳せることになったのは、建築の大御所・呉良鏞教授が設計を担当した「危険家屋改修プロジェクト」が92年、アジア建築協会の「アジア建築金賞」を受賞したのに続き、93年に「世界居住賞」を授与されたからだ。

胡同のなかほど、その北側に2-3層の建物がいくつかある。黒瓦に白壁。それらが折り重なって小さな住宅群を形成。江南の民居のような秀麗さ、古い北京四合院の趣もあり、周囲の建築物の風格とも非常にマッチしている。これが改修された菊児胡同の新しい四合院だ。呉良鏞教授は「有機的な更新」という都市計画理論に基づき、「古都の改造に当たっては、歴史的価値のある建築物の保存に努め、すでに傷んでいてもまだ利用できる建築物は改修するほか、危険な家屋を取り壊すなど、時間をかければ、歴史的な雰囲気を留めるだけでなく、有機的な環境が形成される。こうした四合院はマンションのようにプライバシー性が強く、庭園式の住宅という感じが強い、という二重の特徴を兼ね備えており、古い胡同と有機的に統一されることで、古都の風貌は保護される。北京という古都の開発を模索する上で成功したケースだ」と話す。

 

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