清代の「恭王府」

10月に麻生首相と一緒に訪中した麻生夫人が、北京で唯一訪れた名所が恭王府。恭王府はいったいどんな場所だろうか?

恭王府は北京で規模最大、最も完全な形で残る清代の王府。什刹海の西北、前海西街17号にある。全国重要文化財。18世紀末の創建。乾隆年間には大学士である和珅の邸宅だったが、嘉応四年(1799)に和珅が罪に問われため、邸宅は没収され慶群王に賜与された。そして咸豊元年(1851)に、恭亲王である爱新觉罗•奕訴に賜与された。

 

西洋式の門


 

恭王府花園の入り口に西洋式の門がある。漢白玉に彫刻を施したものでは国内最大の門。形は流れるような西洋式の風格を有しながらも、中国古代の彫塑の美が極め尽くされている。西洋の味わいが色濃いなか、中国の独自色も感じられ、まさに建築物のなかの逸品と言えるだろう。こんな題字がある。外題は「静、太古を含む」。内題は「秀、恒春を汲む」。喧騒のなかに太古の幽玄な境地があり、道家の趣に富んでいる、という意味である。花園は「翠錦園」と言い、俗に恭王府花園と呼ばれている。園内を回ると、まるで山水の間を歩いているかのようだ。府邸に呼応するように、花園も東、中、西の3路に分かれている。中路は入り口に西洋式の建築風格をたたえる漢白玉のアーチ形石門があり、康熙帝の御書「福」の字の碑を中心に、前に独楽峰や蝙池、後ろに邀月台、蝙庁が並び、その配置は非常に味わい深い。東路にある大劇楼。ホールの装飾は清新かつ秀麗で、藤の蔓が枝にまつわりつき、紫色の花が咲き誇り、まるで藤蔓の棚の下で観劇しているかのようだ。劇楼の南端にある怡神所、曲径通幽、垂青樾(木陰)、吟香醉月、沁秋亭の5大景勝はまさに園中の園である。古木が天を突き、怪石が林立し、山と水がめぐり、東屋と高殿が並び、回廊と道が曲折している。月のもとで花園の趣はさらに千変万化し、優雅な地となる。

 

西洋門の彫刻文様

 
 花園の正門に対峙するのが、高さ約5メートルの北太湖石の「孤賞石」であり、庭園にやや趣を添えている。庭園の専門家は目隠しと風除けの役割を同時に果たしていると話す。
 




「孤賞石」

 


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