明の十三陵

 

永陵の明楼は、外側の石段から上ることができる。仔細に見ると、その斗拱(梁や棟を支える柱の上の弓形の角材)、垂木、梁などは、いずれも木材を使用せず、石材で構成されており、その工芸技術はきわめて繊細である。のちの定陵の明楼もすべて石造りであるが、工芸技術のレベルは永陵の方が上手であった。永陵の明楼は、古代の工匠たちの叡智と勤労ぶりをじゅうぶんに表している。

 

定陵は、明代の第13代皇帝、神宗・朱翊鈞と、彼の2人の皇后の合葬墓である。十三陵の中では唯一、発掘された陵墓だ。朱翊鈞は、明代における在位期間が最長の皇帝である。48年の長きに及んだが、贅を尽くし財をむさぼった、歴史上に名を残す暗愚の君主であった。万暦12年(1584年)に起工し、6年の歳月をかけて、万暦18年に完工した。その白銀800万両に及ぶ工費は、当時の国家税収2年分に相当した。

 

1956年5月、考古学者らが定陵の試掘をはじめた。1年の歳月をへて、人々は分厚く強固な「金剛壁」(地下に埋没している壁の総称)の中に、墓室の「玄宮」に入るためのアーチ型の門を発見した。

 

定陵の玄宮は、俗に「地下宮殿」と称される。総面積1195平方メートル、前殿、中殿、左配殿、右配殿、後殿の5つの殿堂で組み合わされている。地下宮殿には一本の柱も梁もなく、天井はすべて石をアーチ型に組んだものである。後殿は最も高いところが9・5メートル、ほかの殿堂も高さ7メートルを超えている。その工芸技術は、中国古代建築においても最高レベルにあるだろう。

 

後殿の中央には、神宗皇帝と孝端、孝靖という二人の皇后のひつぎが置かれている。ひつぎの両側には、副葬品を入れた24個の大木箱が置かれている。中殿には、前方から後方に向かって順に、孝靖皇后、孝端皇后、万暦皇帝の漢白玉製の宝座が三つ置かれている。宝座には、鳳凰と竜が彫刻されており、その形は皇帝・皇后が生前使っていた木製の宝座とそっくりである。

 

地下宮殿から出土した多くの文物には、金器、銀器、磁器、玉器、絹織物などがあった。現在、文物の一部は、長陵の 恩殿と定陵の二つの陳列室にそれぞれ展示されている。

 

明の十三陵は2003年7月、明・清の皇室の陵墓の一部として世界文化遺産に指定された。

 

「人民中国」より 2008年11月12日

 

 


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