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東方の聖地――曲阜

 

 

曲阜市は山東省の南西部に位置し、北側には泰山が聳え立ち、南には鳬山、嶧山が横たわり、東は沂蒙山脈につながり、西は広大な平野が続き、泗水という河が北側にあり、沂河という河が南側にある。曲阜の面積は899平方キロで、人口は62万である。曲阜の名前は、「礼記・爾雅」の中に最初に現われ、5000年余りの歴史がある。漢代の書籍には「魯城の東に阜(土山のこと)があり、くねってまがり七、八里も続く。それゆえに曲阜という名が付けられた」との記載がある。

曲阜は古代の東夷族部落の中心地で、大汶口文化と竜山文化の主要な地域であるほか、周代の東洋における礼楽の邦でもあった。孔子は尼山に生まれ、闕里で育ち、杏壇で講義を行い、魯の都で官職について出世し、泗上に葬られ、曲阜に足跡を数多く残した。

その死後、歴代の人々は曲阜に孔子廟を建てて孔子を祭るだけでなく、その子孫たちのためにも邸宅や執務場所である孔子の邸宅を建てた。孔子とその家族の墓地の至る所にも木を植えた。

孔子廟は曲阜市の中心部にあり、東洋の建築様式の大規模な建築物群で、中国歴代の王朝が孔子を祭る廟であった。孔子が亡くなった翌年(紀元前478年)に着工され、歴代の王朝による修築と拡充によって、現在の孔子廟は皇居に模して造られ、九重に重なるようにつくられた庭があり、三つの大きな主殿が南北の中軸線上に配置され、付属建築物が左右を対称的に分布している。周りは赤レンガの壁で囲まれている。

孔子の邸宅は孔子の直系の子孫が住む住居である。宋の仁宗が孔子の第46代目の孫を「衍聖公」に封じたがゆえに、孔子邸宅は「衍聖公府」と呼ばれるようになった。孔子邸宅は孔子廟の東側にあり、北に位置し南向きで、460余りの部屋があり、封建社会の官庁と住居を結びつけた大規模な建築物群である。

孔子林は曲阜の中心部から北へ1キロ離れた所にあり、孔子およびその子孫の墓地で、中国で最も歴史が長く、最も完全に保存されている最大規模の一族の墓地である。孔子林の中には樹齢千年の木が2万本余り植えられており、また木材として使われる大きな木が10万本余りもあり、石碑が林立している。

孔子廟、孔子邸宅と孔子林(「三孔」)は1994年に国連のユネスコによって『世界の文化遺産』に登録された。「三孔」に保存されている文化財の中には、金・元・清王朝の建築物1300間余り、前漢・後漢の時代いらいの石碑彫刻60,000点余、古木3万本以上、さまざまな公文書10万点以上、明代・清代における孔府の書類約30万点などがある。そのほかに、周公廟、孟母林、顔廟、少昊陵などの古跡もある。

 

「チャイナネット」