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山東省の歴史概要

山東省は、金代までは崤山、華山または太行山の東側の黄河流域地区を指した。金代の大定8年(1168年)、山東東、西路統軍司が設けられ、山東は正式に行政区画の名称となった。明代の山東布政司(行省とも呼ばれる)は6府、104県を管轄し、現在の山東省行政区域の範囲がほぼ決まった。清代には明代の山東の範囲を引き継ぎ、山東省と呼ばれるようになった。西周の封邦建国の際、山東内にはかつて斉、魯、曹、滕、衛などの国が存在し、周公旦に魯を領地として与えたため、現在の山東の略称は「魯」となった。

山東省は中華文化の発祥地の一つである。現在発見されている最も古い山東人「沂源人」は、40~50万年前に生存していたとされる。新石器時代の初期・中期の滕県の北辛文化は今から約7000年前のものである。原始社会末期の大汶口文化、龍山文化も山東で最初に発見された。

 「チャイナネット」  2009年7月10日