世界の文殊菩薩信仰の中心地としての五台山

発信時間: 2009-06-26 | チャイナネット

千百年らい、文殊菩薩に対する信仰は1種の文化としてインドから伝わってきた後、五台山を中心としてずっと尊びあがめられ、長期間衰えることなく、信者も多く、中国文化と外国文化、多民族の文化の融合を経て、中国の宗教文化の重要な構成部分となっている。こうした文化はたくみに自然の地形と仏教の文化を一体に融け合わせ、典型的に仏陀に対する崇敬と信仰を自然の山に対する崇拝に凝集させ、中国の「天人合一」という哲学思想を完ぺきに具現しており、約2000年続いてきた1種の独特で生命力に富んだ総合的な文化景観となっている。早くも後漢の永平11年(西暦68年)に、仏教は五台山に伝わるとともに、大孚霊鷲寺(顕通寺の前身)が築造され、中国の最も早期の2つの寺院の1つである。北魏(西暦386-534)の孝文帝、隋(581-618)の煬帝、宋(960-1279)の太宗皇帝、元(1206-1368)の英宗皇帝、清(1616-1911)の聖祖皇帝、高宗皇帝らはいずれも五台山を巡幸したことがあり、各王朝、各時代の皇帝、皇后が大臣を派遣して五台山に親書つきの贈り物を届けたことは、北魏から清王朝までずっと中断したことはなかった。

仏教界では、五台山は文殊菩薩の法会を行う場所で、それに文殊菩薩がまた釈迦牟尼の菩薩の中で最高位を占めるので、顕教と密教の各流派に崇敬・信仰されていると見られているので、五台山は中国唯一の漢族の仏教とラマ教の法会を行う場所となり、漢族の仏教とチベット族のラマ教が並立し、各流派がそのすばらしさを競い合い、灰色の寺と黄色の寺、子孫廟と十方廟が共存し、中国でも最も早い時期から漢族・チベット族仏教の聖地となり、漢族、チベット族、蒙古族、満州族など各民族の仏教信者たちにこのうえなく尊びあがめられている。

五台仏陀国(五台山の別称)にはまた数多くの高僧と名高い僧侶が現れ、唐(618-907)の全盛期に、ここは海外の信者が留学して仏教の経典を学ぶ高等仏教学院の所在地となり、インド、日本、モンゴル、朝鮮、ネパール、スリランカなどの国の信者たちはいずれも五台山に来て、聖地を巡礼し、仏の教えを求め、一部の人はひいては五台山に残って一生修行した。そのため、五台山はその名に恥じることなく中国の四大仏教の名山のトップの地位にあり、世界の五大仏教聖地の1つとなっている。現在、五台山にはあわせて宗教行事の場所が44カ所もあり、僧侶と尼僧が5600数人もいる。疑いなく、中国で最も早く、地位が最も高く、教派が最もそろい、規模が最も大きな仏教の聖地としての五台山は、宗教の角度から人類文明の発展を提示した。

 

「チャイナネット」 2009年6月26日