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五鳳楼――翼を広げて飛ぼうとする土楼



 
 

 

 

五鳳楼は清の道光8年(1828年)に建て始め、道光14年(1834)に築き上げ、王氏の19世代の祖先のために建てたものであり、現在すでに28世代になり、31世帯の120数人が住んでいる。それは明らかな上、中、下の3堂(中央部の建物)が中軸線に沿って奥へ並んでいる三堂構造のものである。下堂は出入り口で、一番先に置かれ、中堂は一家団らんする中心で、中央部にある。上堂は祖先の位牌を祭り、一番後ろにあり、最も奥に隠れる、最も安全で、最も崇高なところである。

建築物の造型もすべてその家庭の中での地位と果たしている役割によって異なる形を採用する。下堂の基本的な役割は内外と出入の境界となることで、必ず便利で、安全でなければならないほか、またそれによってその一族の社会的身分と地位を示す。下堂の中央部の部屋(直接外に出られる部屋)の外側は1部屋、2柱、3階建ての枠組みであり、中央部の主体楼が突き出ており、両側の付属楼は主体楼を守り、角を高くしている反り返った軒先、それに彩色上絵の彫塑を加え、山間の広々とした野原の中で、威風堂々と見える。中堂は一族の集い、結婚・葬儀およびお祝いごと、賓客を応接するところで、「文翼堂」という額もここにかかっている。中堂は高くて大きく、3つの大きな部屋の広さ、正々堂々とし、漆と彩色上絵が施され、レンガ彫り・木彫りであり、華麗で気高い限りである。上堂は後堂とも言われ、4層からなり、土で築き上げた壁、屋根と床は木造で、正面から見て3つの部屋の広さで、中央の部屋は比較的広く、堂屋といわれ、後半部に屏風門(外庭と内庭を仕切る門)が設けられており、屏風の後ろに階段があり、さらにその後ろに2つの横に並んだ小さな部屋がある。その両側の奥行きの方向に3室が並んでおり、全部で4層、4つの中央部屋、32室である。

このような荘重な四角形で、主と従が明らかで、高低入り乱れ、大いに宮殿の趣きをもつものであるため、地元の人々はそれを五鳳楼と称している。表門の上の額に「大夫第」という3字が書いてあるため、建築業界では「大夫第式」の土楼民居とよく称している。その建築物の特徴から言うと、堂横式、つまり3つの母屋としての主体楼の横に2つの付属楼がある建物は、山に向かって、水を背にし、山と川の霊気を十分に利用し、これらすべては中国の中部平原地域の文化的伝統を反映している。

「チャイナネット」2008年11月7日