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福裕楼――屋敷風の土楼

  

 

福裕楼は湖坑鎮(町)洪坑村に位置し、永定の屋敷風の土楼の傑出した代表格で、立派で堂々としている。1880年から建立を始め、10数万元の銀貨を費やし、3年間をかけて築き上げた。敷地面積は7000数平方メートル。その構造の特徴は主体楼の中軸線において前の建物が低く、後ろの建物が高く、両側にそれぞれ1つの横の家屋があり、高低は秩序正しく、主と従は明らかであるというものである。土楼の前側に3つの表門があり、主体楼と横の家屋の間は小さな入口で隔てられ、外観は一体につながるようになっており、内側は三つの部分に分かれている。表門の空き地と垣は地元の川の中のたま石が敷きつめられ、建造技術が非常に精緻で大自然の環境と渾然一体となり、非常に調和がとれている。外形は3つの山のようで、土楼のあるじの兄弟三人は「3つの山」であるという意味が含まれている。

 

清代(1616-1911)の末期、土楼のあるじの林氏兄弟三人は、細長い刻み葉タバコと葉タバコを刻む生業を営み、製品は日本、東南アジア諸国へ輸出され、大儲けをし、永定の大金持ちとなった。そして巨額の資本を寄付して「日新学堂」という学校を開設した。この学校もその兄弟三人の1人張星炳さんが設計したものであり、優雅かつ華麗で、中国と西洋の建築の風格を結び付けた学校の建物である。この学校が開設した後、多くの人材を育成し、評判は遠くまで伝わり、たくさんの他の地の人たちが「日新学堂」に来て就学した。「数百年も続いている人家は善行を積み上げたからだが、何よりものすばらしいことは読書である」、福裕楼の中からは人材が輩出した。

 

「チャイナネット」2008年11月10日