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世界文化遺産・福建省の土楼

 

◆文武の重視・外剛と内柔

福建省西部の土楼を初めて目にしての驚きは、その膨大な建築の姿でしょう。形態はシンプルでも、幾何学的な感じが比較的強く、円形や方形が一般的ですが、楕円形や八卦、半月、多辺形で平面的なものもあります。このほか、屋根の庇の高低が異なる多層的な「五鳳」楼もあります。

古代、幾何学的な形象が際立った建築物の多くは記念または祭祀的な機能を備えていました。例えば、ギリシアのパルテノン、エジプトのピラミッド、中国の天壇などです。いずれも神秘的なものを感じさせます。防衛の必要性から、土楼の外観はまるで砦のようであり、形態が独特であるがゆえに、一種の神秘感があり、その奥ゆきの深さを知りたいという思いに駆られます。

土楼は一般に2-6階に分かれています。1階には基本的に窓はなく、2階以上に小窓が多少開かれているなど、軍事防衛的な色彩が濃厚です。建築上の機能的配置を見ますと、通常は1階が厨房に食事する場所、2階が倉庫、3階以上が寝室。外壁の基礎の厚さは通常3メートル。底層の厚さは1.5メートルで、高くなればなるほど薄くなっています。外壁の内部は木板で幾つかの部屋に仕切られており、さらに中に進むと回廊があり、中心部は宗祠、私塾あるいは舞台となっています。土楼は外部に対して極めて閉鎖的ですが、内部に入るとまったく別天地です。すべての部屋は連なる廊下を通して内側に開かれており、非常に人情味に溢れた「中庭」となっています。土楼内をゆっくり歩くと、対聯や文字、絵画がよく目に飛び込んできます。ですから、土楼を「文武重視・外剛内柔」という言葉で形容しても、その名に恥じることはないでしょう。

福建省西部の土楼は実に千状万態です。なかでも数量が多く、面積が大きいのが、方楼に円楼そして五鳳楼でしょう。

方楼は永定県で最も広く見られます。構造は簡単で、平面あるいは正方形、あるいは長方形、あるいは「目」の字の形をしています。現在知られている最大の方楼は、永定県高陂鎮の「遺経楼」。清代咸豊元年(1851)に造られ、建築面積は約4000平方メートル。3代、70年以上の歳月をかけて建設され、地元の人は「大楼厦」と呼んでいます。

園楼は福建省西部の土楼のなかで最も有名です。山中深く数世紀にもわたり埋もれていた土楼は世に知られるや、大きな反響を呼びました。円楼の形態は一重、多重、正方形の土楼を円形で包んだ形のものなど様々です。多く見られるのが多重楼。中心軸に沿って円形が伸びていき、楼自体は外部が高くなっても内部は低く、楼内に楼があり、楼そのものが積み重なっているようです。中心部には一般に祠堂があり、すべての民族の人が重大な活動を行ったりする公共の場となっています。永定県に現存する円楼はおよそ360。そのなかで年代が最も古く、階層の最も多いのが「承起楼」。直径が最大なのは「深遠楼」、最小は「如昇楼」。

五鳳楼は福建省西部の土楼のなかでも特殊な存在です。中原の住宅形態に最も近いものは、ハッカ文化の中心をなしている地域に数多く見られます。中原の礼儀・道徳文化の影響をかなりの程度反映しており、中原の民居である四合院(庭をはさんで4つの棟が並ぶ家)が福建省という特殊な環境の下で変遷した産物と言えるでしょう。イメージ的には、威厳があって整然とし、高低の落差があり、正面から受ける迫力は北京故宮の午門を彷彿させます。五鳳楼のあるところでは、礼儀・道徳がことのほか重視されており、民族の大半が子どもたちに学問で功名を立て、民族に栄誉をもたらすよう大きな期待を寄せています。楼の大門によく「大夫第」の3文字の扁額が掲げられていることから、五鳳楼は「大夫梯(階段)式」土楼と呼ばれるようになりました。こうした扁額は彼らの身分を鮮明に示しているだけでなく、土楼に住む主人たちの期待が暗に込められているのです。子どもたちがこの「大夫梯」を通して一歩、一歩向上して人に抜きん出る存在になるように――。永定県湖坑鎮洪坑村にある「富裕楼」はまさにその典型的な五鳳楼です。

その他の形態の土楼は、楕円形楼や半月形、多辺形など、平面の配置は同じように豊富多彩です。なかでも「八卦楼」は特筆する価値があるでしょう。これは簡単な8辺形をなしているのではなく、奥の深い中国伝統文化の符号とも言っていいでしょう。福建省西部では、土楼の設置場所や位置づけ、厄除けなどで八卦と深いかかわりがありますが、八卦そのものの形を直接採り入れた土楼も見られ、これらが「八卦楼」の由来です。その典型が永定県湖坑鎮洪坑村にある「振成楼」です。

 

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