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エン河の南岸にある殷墟の宮殿宗廟区(写真提供・安陽市政府新聞弁公室)
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商代の殷墟文化は、都市、文字、青銅器という三つの要素を有する、輝かしい文明である。――中国の著名な考古学者・夏ダイ
殷墟の由来
殷墟は、河南省安陽市北西部のエン河の両岸に位置している。中国商代後期(紀元前1300年~同1046年)の都城所在地であり、当時の政治、経済、軍事、文化の中心であった。紀元前14世紀の末期に商王の盤庚がここに遷都して以来、商の紂王の時代に国が滅びるまで、8世12人の王を経て273年間続いた。
商王朝が周王朝によって滅ぼされたのち、都城はすっかり荒れ果ててしまった。この地はもともと「北蒙」という地名であったが、又の名を「殷」というため、後世の人によって「殷墟」と名付けられた。
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