奥井禮喜:日本メディアは「by the people」を覚えるべき

japanese.china.org.cn, November 28, 2011
 

文=奥井禮喜

日刊紙を読まないと精神衛生に大変よろしい。とはいえ、腹が立つ材料がないのは考えものでもある。そもそも人間社会は不満があるのが尋常であり、尋常から遁走していることにもなるのであって。

野田首相がAPECで、TPP協議に参加すると発言するまでの新聞論調は、TPPに参加しなければ、あたかも一巻の終わりみたいな論調が圧していたが、参加表明すると、今度はおおいに指導性発揮せよとのご託宣である。

能天気というか、国論がまだまだまとまったとは言えない事情において、いかに言論の自由とはいえ、自己中心的論調だという懸念を払拭しがたい。以前食糧安全保障論を語っていた新聞が、今回まったく触れないのも奇妙だ。

「聞疑始」(荘子)という言葉がある。これ、疑始(ぎし)に聞けり。本当の道を知ろうと思えば、疑いをもつことから始めなければならないという。声の大きい奴に従うのはよほど要注意である。

新聞は途上国に追い上げられて苛々しているようだが、少し回顧すれば、かつてわが国が先進国を追いかけて、今日の地位を占めたのであり、いずこの国も豊かさを求めて粒粒辛苦するのだから、それを忘れてはいけない。

インドのタタ自動車が20万円のナノを発売した。当初いまにもわが国の自動車業界が転覆するような論調が登場した。ナノの部品の2/3は日本製だという。秋葉原で部品を買い集めてパソコンを組み立てるみたいなものだ。こういう思考法には学ぶべきことがあるが、世界の自動車がすべて20万円になるわけではない。妙なナショナリズムにはおおいに警戒せにゃならない。

日本でしか売れない商品(たとえば携帯電話)を作る。ガラパゴス化だと厳しく批判した。しかし、国内で日本製の携帯が席巻しているのは、日本製品の優秀性ゆえであって、もし他国のと同じものなら、それこそ他国商品に席巻されているかもしれない。市場は内外とも同じである。

日本でしか売れないのはなるほどさびしいであろう。では、わが国の新聞は世界市場において高級紙としての評価をかたじけなく頂戴しているのであろうか。新聞の奇妙な国士ぶりは社会をミスリードする危惧がある。

イタリヤの新しいモンティ政権が16閣僚すべてを学識経験者などで固めて政治家をゼロとした。大統領制だからわが国とはもちろん違うので、単純には解釈できないのだが、いわば小泉時代の経済財政諮問会議がそのまま内閣になったようなものだとすると、民主主義の理屈からすれば疑問がある。

内閣がまったく立法が決定したことについて政治をおこなうだけであれば問題はないが、実際は議会へ法案を提出するのだから、内閣がまったく国民の直接的信任をえずに存在する。国民の代表たる議会が果たして対等の力を保持できるのかどうか、いささか考え込まざるをえないのである。

もちろん、コトは緊急時というわけだ。国債利率が7%にまで上昇した。ソブリンリスクをなんとしても解決せにゃならない。そのためには、いろいろな紐つきの議員なんてのは除外するという。かつて「しがらみを断つ」といった政治家がいたが、あれと同じだ。財政再建と構造改革を進めるためだ。

わが国においても大正時代から行政改革とか構造改革というものは、しばしば政治の舞台に掲げられたが、看板倒れの芝居を見せられ続けている。だから、こういう記事はじっくりと詳しい内容を知りたいものだ。

かつてリンカーンが「of the people、by the people、for the people」と言った。ヒトラーのナチスはfor the peopleの名目を掲げて派手に登場したのである。なにごとも政治はその社会において、of the peopleである。とすれば民主主義における最大の鍵は「by the people」でなければならない。

新聞は事実を報道するというが、しばしば勝手な予測・予断で記事を書く。人々の思考をどこかへ引っ張っていくことに関してはよほど慎重にやってもらわなくてはならない。

新聞が自己の主張を開陳するのは当然だが、場当たり的に刺激的な言葉で煽ったりすることがあっては民主主義の建前からよろしくない。国士的な人は少なくないが、本当に国を憂える人は多くはないのでもある。

垂れ流すニュースを常にきちんとフォローして論調を維持することが第一に問われるのであって、それがなければ一流紙とはとてもいえない。

 

奥井禮喜氏のプロフィール

有限会社ライフビジョン代表取締役

経営労働評論家

日本労働ペンクラブ会員

OnLineJournalライフビジョン発行人

週刊RO通信発行人

ライフビジョン学会顧問  ユニオンアカデミー事務局

1976年 三菱電機労組中執時代に日本初の人生設計セミナー開催。

1982年 独立し、人と組織の元気を開発するライフビジョン理論で、個人の老後問題から余暇、自由時間、政治、社会を論ずる。

1985年 月刊ライフビジョン(現在のOnLineJournalライフビジョン)創刊。

1993年 『連帯する自我』をキーワードにライフビジョン学会を組織。

2002年 大衆運動の理論的拠点としてのユニオンアカデミー旗上げ。

講演、執筆、コンサルテーション、インターネットを使った「メール通信教育」などでオピニオンを展開し、現在に至る。

高齢・障害者雇用支援機構の「エルダー」にコラム連載中。

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年11月28日