日本のヘンな若者ファッション集

japanese.china.org.cn, May 8, 2012
 

 

 

日本紹介サイト「日本通」の記事によると、清新な日本ファッションに魅了される少女が少なくない昨今だが、日本のファッション史をひもとけば、外国人には理解できない奇妙なものが散見される。

スケバン

1970年代から90年代にかけて、不良少女は「スケバン」と呼ばれた。スケバンといえば、長いスカートとパーマ、破けたカバンなどが特徴である。1985年に放映されたドラマ「スケバン刑事」のヒットで、スケバンは世代を超えて知られるようになった。しかし平成になると、この言葉はすっかり死語となった。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年5月8日

竹の子族

1980年代前半、原宿代々木公園の歩行者天国で、ショルダー式のテープレコーダーを持った竹の子族が踊っていた。このブームは1970年代後半、東京新宿のディスコで流行していたダンスが由来だという。竹の子族は奇抜な服を着て、屋外でディスコミュージックに合わせてタップダンスのような踊りをする若者のことである。当時の原宿の「ホコ天」は竹の子族の若者であふれ、ピーク時には2千人を超えたという。踊るときに彼らが着ていた服は「ハーレムスーツ」と呼ばれた。この服は、赤やピンク、紫といった原色のナイロン生地を使い、和服や中国服のようなデザインをしており、暴走族の特攻服のようなふくらみのあるアウトライン、足首部分のプリーツ加工が特徴である。

不良少年と暴走族

リーゼントと太いズボン。そして紫色の派手なシャツを着ている若者のこと。日本の不良少年はその後、多様化していき、ヒップホップ系、B系、ギャル男などに分かれた。

コギャル

コギャルとは、1990年代によく見られたミニスカートとルーズソックスをはいている女子高生のこと。中には顔を日焼けさせて、茶髪にする子もいた。彼女たちの奇抜なファッションと独特の言い回しが注目され、流行の先端となった。この時期最大の変化は、日本人にとってなじみのなかった茶髪に対する抵抗感が消えていったことだ。ちなみに安室奈美恵が「元祖コギャル」と言われている。

ガングロ

2000年前後に日本の若い女性の間で流行した流行したガングロは、頭を黄色やオレンジ色に染め、肌を黒く日焼けさせたもので、ある種オルタナティブなファッションである。渋谷と池袋がガングロの本拠地だった。総じていえばガングロとは、濃い化粧をして髪をオレンジや金色に染めたファッションといえる。アイシャドウを濃くしたり、口紅やアイシャドウがわりに白いコンシーラーを使ったりしていた。つけまつげを付けたり、ダイヤモンドパウダーやパールパウダーを使ったりするのもガングロの特徴だ。さらに厚底靴を履いて派手な服を着れば、完璧なガングロの出来上がりだ。他にも、ミニスカート、顔にシールを貼る、ネックレス、指輪、大量のブレスレットといった特徴もある。

マンバ

マンバは2003年から現在まで続くギャル系ファッションのひとつ。マンバはヤマンバの深化系だ。ヤマンバ以上に黒くなりたいという想いから誕生した。ヤマンバを継承しているため、白い口紅やアイラインはヤマンバと違いはない。しかし彼女たちの白いアイラインは目の周囲に拡大し、フェイスペインティングのようなものになっている。そのため普通の人にとっては受け入れがたいファッションである。服装は、ホットパンツより短いミニスカートを中心としたものとなっている。

着ぐるみギャル

2004年より、ギャルの間で着ぐるみを着る「着ぐるみギャル」が流行し出した。ピカチュウの着ぐるみを着て、手にはビニールの買い物袋を持ちながら渋谷のセンター街を歩き回った。しかしその後は徐々に廃れ、今では一部を除いて見られなくなった。

ナゴムギャル

1980年代後半、インディ専門のレコード会社「ナゴムレコード」に所属するアーティストのライブにやって来るファンの中に、奇抜なファッションの女性たちがたくさんいた。これをナゴムギャルと言う。一方、男性の場合はナゴム少年と呼ばれていた。1990年代後半、篠原ともえは奇抜なファッションで人気を集めたが、当時「平成のナゴムギャル」と言われた。

ロリータ

ロリータはファッションを中心とする日本独特のムーブメントで、少女の天真爛漫なかわいさと、小悪魔的な美意識を表現するものである。欧米文化を基礎としつつ、復古調の風格に日本独自のアレンジを加えている。十代の少女を中心とするポップなファッションである。最近では日本のみならず海外諸国でも注目されている。ロリータ少女は世間の眼や流行を気にすることはない。ただ自分の着たい服を着ているのだ。しかしこのような少女趣味は、欧米では日本のような支持を得ていない。ある人の分析によると、欧米の思春期の少女は背が高くなって大人になりたいと願うものであり、可愛くなりたいとは思わないという。

 

変装少女

1998年ごろ、原宿あたりでは篠原ともえ風ファッションが現れた。安い装飾が好きな女性のファッションで、FRUiTS、KERAなど雑誌で紹介された。デコレイティブにすることで少女の雰囲気を作るポップなファッションで、1998年の春に注目され始めた。レースのついた赤いシャツ、水玉模様のスカート、イチゴ柄のゲートル風タイツ、ピンク色の安っぽい髪飾りなどが特徴で、いずれにせよ少女っぽさが特徴である。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年5月8日