雨の降りしきる南京大虐殺紀念館は4月27日、デンマークのマルグレーテ2世女王という特別な追悼者を迎えた。
午前10時頃、マルグレーテ2世女王とヘンリク公の一行は南京大虐殺紀念館にゆっくりと足を踏み入れた。静かで厳かな記念館の中では灯が瞬き、追悼の音楽が低く流されていた。南京大虐殺の犠牲者の魂はここで安らぎ、人々から追悼されている。
デンマーク人のシンドボルグが当時、中国の難民を救助した貴重な写真が、記念館の通路の壁に飾られていた。この人目を引く写真は人々を、暗闇に包まれた血なまぐさい時代に連れ戻したかのようだった。
女王は足を止め、歴史をとどめている写真を注視した。同記念館の朱成山館長は女王に、シンドボルグが南京で中国の難民を救助した歴史について語った。「シンドボルグは日本軍の南京大虐殺の目撃者であり、当時南京で中国の難民を救助した世界の友人の一人だ。日本軍のこの世のものとは思えない悲惨な虐殺はおぞましいことで、シンドボルグの善行は賞賛されるべきことだ」
1937年12月から1938年3月にかけて、26歳のシンドボルグは南京江南セメント工場で勤務し、日本軍の狂気じみた虐殺を目にしながらも怖気づくことなく、外国人の身分を利用して約2万人の中国の難民を保護した。彼はさらに写真と手紙により、当時の日本軍の戦争犯罪の事実を記録し、国際社会に対して日本軍の南京大虐殺の真相を伝えた。同記念館の歴史資料陳列ホールの特別欄には、この歴史が展示されている。
黄色く濁った歴史の写真を見ながら、女王は重苦しい表情になり、ゆっくりと歩き、しばらく沈思黙考した。女王は南京市に到着した際に、「南京大虐殺紀念館は、77年前にこの美しい都市で発生した、最も暗い歴史を記録した。我々は残酷な歴史を変えられないが、そこから経験と教訓を学び取れる。我々は今日これを記念する上で、過去を振り返るだけではなく、未来を見据えなければならない」と語った。
通路の外で、記念館の職員はピアノを引き、「永遠の南京――シンドボルグのバラ」を歌った。起伏の激しいそのメロディーは、中国人が日本軍の大虐殺を、シンドボルグへの心からの感謝を忘れていないことを訴えている。
南京市は2011年2月に、シンドボルグの生誕100周年の記念イベントを開催した。また戴袁支氏がシンドボルグを研究した著書『1937−1938:人道と暴行の目撃者――南京の血風を経たデンマーク人』が出版された。
シンドボルグの故郷であるオーフスは2004年12月17日、現地の黄色いバラに「永遠の南京・シンドボルグのバラ」という名を付けた。デンマーク駐中国大使館は南京大虐殺紀念館に、このバラを贈呈した。
和平広場には現在も、この黄色いバラが力強く咲き誇っている。女王は黄色いバラの前で足を止めて鑑賞し、何か思うところがあったようだ。
女王はここで、南京大虐殺の生存者の蘇国宝さんに出会った。今年87歳になる蘇さんは震える声で、「日本軍が南京で大虐殺を実行した際、私はわずか10歳だった。私や家族を含む多くの難民が、シンドボルグが建設に参与した難民キャンプで生活していた。シンドボルグが自ら私にお金と米を渡してくれ、一家は生き延びることができた。この恩を私はずっと心に留めている。シンドボルグに、デンマークに感謝する」と語った。蘇さんとシンドボルグの親族は、現在も交流を続けている。シンドボルグのめいのマリアンナさんも女王と共に南京を訪問し、蘇さんと旧交を温めた。
女王とヘンリク公は和平広場で、和平の木に土を盛り水をやった。また自ら黄色いバラをさし、中国とデンマークの国民の永遠に消えることのない友好を象徴した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2014年4月28日