李栄霞
中国は農業人口の大国であり、12億6000万の人口のうち農民では9億である。農業と農村の持続的な安定した発展は、国の政治と社会の安定と経済の発展に対し、重要な戦略的意義を持っている。農業と農村の問題を解決する根本的な活路は、科学技術の進歩に頼り、科学技術の知識と技能を身につけた多くの農業勤労者に頼ることにある。農業人口は分散し居住し、科学文化資質がわりに低いため、農民の科学文化の水準を高めるには、在来の教育方式に頼るだけではもはや必要を満たすのが難しく、遠隔教育はこの面の不足をカバーしている。中央農業放送学校は放送、テレビ、録音、ビデオ、VCD、コンピューター・ネットワークなどの手段を利用して、農民に対し遠隔教育を行い、地域、時間の制限を受けず、普通の農業関係の大学や学校が担い得ない任務を引き受け、農業人材の育成と科学技術の伝播を推し進めている。
120万の学生を擁する学校
農村で生活する農民の多くはこれまで故里の土地から離れたことがなく、大部分の人が中等と高等教育を受けたことがなく、これらの教育を受けるのは彼らにとってほとんど不可能なことであった。逐次村、村落や農家に進出している農業放送学校の設けるクラスはこれらの土地と故里から離れない農民には中等と高等教育を受けるチャンスをもたらし、不可能なことが可能なことに変わった。
農業放送学校は国の農業部、教育部など10部門が1980年12月に共同で設立したものであるが。20年の発展を経て、いまは農業部が中心となって教育部など17部門が共同で運営し、広大な農村をカバーし、多形式、多段階、多機能の農業教育トレーニングを展開する、農村で最も名の知れた農業学校である。
農村放送学校は4万6000名人が運営に参加し、中央クラスの学校が1校、省クラスの学校が38校、地区(市)クラスの学校が330校、県クラスの学校が2408校、鎮に設ける教学クラスが2万3000クラスがある。
同校の遠隔教育の教学資源と教学メディア建設は急速に発展しており、現在はすでに100余の専門科目を開設し、300余種の書面教材を出版し、230種3017時間のAV番組を制作し、中央人民放送局、中央テレビ局、中国教育テレビ局には年間に1000余時間放送、放映する遠隔教育資源を擁している。2000年には「中国農村遠隔教育ネットワーク」をも開通し、コンピューターネットワークによる教育を試行し始めた。
現在、農業放送学校は在校生120万人を擁する、中国ひいては世界でも最大の学校である。1999年現在、中等と高等専門技術と管理人材を300万人育成し、グリーン証明書などの形式で展開した農民一年制初級教育は245万人を育成し、農民実用技術のトレーニングを受けた人は延べ一億人近くに達した。
農業放送学校の学生の果たす役割
農業放送学校が育成した多くの実用人材は、次のいくつかの方面で著しい役割を果たしている。
一は末端の農業技術普及陣の建設を強化し、先進的、実用的な農業科学技術を積極的に推し広めた。現在、農村の農民技術者はほとんど農業放送学校の卒業生かあるいは農業放送学校の在校生である。全国の鎮にいる農業技術普及者のうち、三分の一は農業放送学校の卒業生であり、一部地区ではその比率はさらに高いものである。例えば、遼寧省鉄嶺市の109鎮の農業技術所の所長のうち、90%は農業放送学校の卒業生である。農業放送学校の卒業生は末端の農業技術普及陣を充実させ、末端の農業技術普及レベルを高めた。
安徽省の農業放送学校の学生朱永詳さんは「農業技術総合サービス・ステーション」を創設し、技術生産量連動請負制の形で8600余戸の農家に新たな品種と新技術を大面積に推し広め、使用させた。
二は農村の末端幹部陣を充実させ、農村の経営管理レベルを高めた。現在、134万の農業放送学校卒業生が農村の末端幹部となり、一部地区の卒業生は地元で農村末端幹部の主体となっている。例えば、貴州省余慶県は人口27万の山間県であり、同県の農業放送学校の卒業生のうち、鎮以上の幹部になった人が100人、村の幹部になった人が171人いる。農業放送学校の卒業生周修平さんは学校で学んだ知識を応用して、貧しい山村を水は水道水を使い、90%の農家に閉回路テレビがあり、一人当たりの収入が 2500元以上に達するやや裕福な村につくり上げた。
三は農民の科学技術で富裕になる能力を高めた。農業放送学校の卒業生は学んだ技術を利用して真っ先に富裕になって、さらに垂範作用を通じて、あるいは農民たちに科学技術を学ばせ、利用させて、科学技術で富裕になる能力を高めるようにしている。一部の卒業生はすでに専門化生産と産業化経営の道を歩んで、農業の産業化経営と現代化農業の発展を推し進めるために有益な模索を行い、積極的な貢献をした。例えば、遼寧省海城市農業放送学校牧畜獣医科の卒業生満書躍さんは、産卵鶏のスケール化養殖を積極的に発展させ、年間に10万余元の利潤額をあげ、また技術サービスを通じて、所在の周小村の70%の農家を養鶏専門農家にならせた。河南省夏邑県の調査によると、「グリーン証明書」トレーニングを受けた100人の学生は、1997年に一人当たり2007元の純収入をあげた。それは同県のその年の一人当たり純収入より387元多く、23・7%高いものである。
富裕になるリーダー
黒竜江省樺楠県梨樹郷の孫斌副郷長は、「1982年中学校を卒業した後、家が貧しかったため、進学の希望がなくなった。そのとき、私は、農民になるにしても農業技術を身につけた農民にならなければならないとひそかに決意を固めた」と語った。
孫さんはさらに、「1991年の春、私は切実な気持ちで黒竜江省農業放送学校樺楠分校に入って勉強した。在校の三年間に、農業の基礎理論と専門技術を系統的に学んだので、視野が広くなった。系統的な学習と度重なる実践を通じて、私は全村の農民を引率いて科学的耕作を実施し、5ヘクタールの水稲試験地を請け負って、20余項目の試験プロジェクトを完成し、また交雑育種試験を始めて、農民たちの日に水稲の科学的栽培の専門家のように映るようになった」と語った。
毎年の農閑期に、孫さんは水稲を植えている村でそれぞれ一、二回のトレーニングを行い、水稲栽培技術と農業関係の技術と知識を教えた。場所がないときは、村民たちを自分の家に呼んで授業した。農民たちは問題を解決していもらうため、毎日数十の回も電話がかかってきた。
孫さんは水稲研究を踏まえて、樺楠県水稲良質米研究会を発足させ、水稲の良質化研究に志がある約100人の農民を入会させた。毎年、孫さんは会員に種子、苗、化学肥料、機械など面から4万元近くの援助とサービスを提供する。
産業化経営の道を歩むために、孫さんは鴻源米業有限責任公司を設立した。1999年9月、孫さんは同公司を代表して前後4回香港のある企業と「孫斌1号」米4500トン、価値2150万元の販売購買契約を結んだ。孫さんの研究した「孫斌1号」米は黒竜江から各地に進出して、同郷人が富裕になる門を大きく開いた。
周修平さんは貴州省余慶県羅家坡という有名な貧しい村の共産党支部書記であり、農業放送学校の学生でもある。周さんは1987年に農業放送学校貴州省余慶県分校に入学し、卒業後、学校で学んだ果樹栽培技術を利用して、柑橘類の栽培して成功した。周さんは、「農業放送学校のおかげで、私は村で最初に貧困から脱却した者となった」と語った。
周さんの引率の下で、羅家坡は47・7ヘクタールの柑橘畑をもつ柑橘専業村となり、収入も年々倍増した。周さんと村民たちは悪い環境を整備し、同村の80%の山林と4キロの川を総合的に利用した。羅家坡村は数年の奮闘を通じて、「やや裕福な村」になった。
そのため、周さんは農業部から「科学を学び、応用する模範」という称号を授けられ、省人民政府から「労働模範」という称号を授与された。
いま中国の広大な農村に、孫さんや周さんのような農業放送学校出身の農業科学技術人材が約500万人いる。
「北京週報」2001年N0.4より