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端午の節句に、ちまきについて語る
端午の節句にちまきをつくるのは北京の伝統的習わしであり、わが国では南北の区別なく伝統的な祝日でもある。どうしてちまきをつくるのか。伝統的な言い方ではわが国の古代の偉大な詩人屈原を偲ぶためである。

紀元前278年、屈原が汨羅江に身投げした後、楚国の人びとは毎年旧暦5月5日の日、舟をこいでご飯を竹筒の中に詰めて、川の中に投じて屈原を偲び、これは後漢の光武帝劉秀建武年間までつづいた。長沙に欧回という人がおり、この人は昼間屈原と自称する人に会い、「あなたたちは毎年わたしを偲ぶための竹筒の米がみずちに飲み込まれているので、今後あなたたちはヨモギの葉に竹筒の米を詰め、さまざまな色の絹糸で縛ってよい、みずちはアシの葉とさまざまな色の絹糸を恐れるからです」と語った。言い終えるとその人は姿を消した。その後、欧回はこのことをみんなに伝え、ちまきをつくることはこの時から始まった。

ちまきはもち米を使うほか、ナツメ、栗などの材料も使うことがある。唐代においてはちまきは市で買うことのできるおいしい食べ物だけでなく、宮廷の食品もなっていた。唐の明皇には「四時に花が咲きほこり、9子のちまきが新しさを争う」という句がある。

宋代の『武林旧事』の記載によると、宋の宮廷では糖蜜の赤いちまきがよろこばれ、きわめて精緻なつくりで、形がそれぞれ異なり、「艾香粽子(ちまき)」は「ヨモギの葉に浸したもち米を包む」ちまきであった。

陸嗄は「皿には新鮮なマコモでくるんだちまき、古くなればかんざしを挿すように」という詩がある。これは特別な香りのある艾香ちまきのことを指している。時代の発展と進歩につれ、歴代の更新と発展を通じて、ちまきの品種はますます多くなっている。現在はアズキあん、ブタ肉、マツの実、クルミなどをあんとするちまきがあり、乾隆の頃にはハム入りのちまきが現れた。甘いちまきがあるだけでなく、しょっぱい味のものもあった。ちまきは端午の節句の食品だけでなく、平日も食用に供された。

北京のちまきには長年来大きな変化がないようで、各軽食店はもち米、小さいナツメを、アシの葉で包み、ネジアヤメの葉でくるんでいる。端午の節句の前後でも、一部の軽食店はそれを売ることに興味がなく、更にちまきの種類を豊かにし、発展させるなどなおさらもってのほかである。

 改革・開放の年代に、生活水準が向上したため、種類の多様化が求められ、北京で軽食を取り扱っているレストランはこうした世の中の動きに適応し、新しい「潮流」を追うことは、必要であると見られる。

「チャイナネット」2002年6月13日

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