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狼山――岩画の神秘
勅勒の川 陰山の下

 天は穹廬に似て、四野を籠蓋す

 天は蒼々として、野は茫々たり

 風吹き草低れて牛羊を見る

(勅勒の川、陰山山脈のふもとは天が天幕のように地を覆う。空は青く、野は果てしなく広がる。丈なす草が風になびき、放牧の牛や羊の姿が見え隠れする)

 中国の南北朝時代(420〜589年)から伝わる古い民謡「勅勒の歌」に歌われた陰山周辺のモンゴルの草原には、今もその歌詞にある通りの情景が広がっている。わたしは高校を卒業した時にちょうど文革にぶつかり、北京から陰山の下郷(中高生らが農村に住みついて労働に従事する)して、山中で六年ほど生活した。この思い出深い陰山に三十年ぶりに、舞い戻ってきた。

 内蒙古中部を横切る陰山山脈は全長1200キロ、西から狼山、烏拉山、大青山などの山々が連なる。山脈の南側に黄河流域の豊かな土地オルドスが800キロにわたって続き、北側には大草原が広まる。この陰山山脈を巡る旅を、西の狼山から始めることにしよう。

 陰山山脈には広い範囲にわたって、山中の岩肌に古代に刻まれた「岩画」が残っている。数の多さ、分布地域の広さは世界でも例がない。旧石器時代末期のものから連綿と清時代のものまでが残っている。画題は人物、野生動物、家畜から狩猟、放牧、戦争、舞踏の情景、日月星雲、生殖崇拝、天地八百万の神に至るまで、また仮面、足跡など非常に豊富だ。合わせて十万点を超えるといわれる岩画は、中国北方民族文化の歴史そのものだと言えよう。

 狼山の哈隆格乃峠は古代交通の要所だ。モンゴル語の「哈隆格乃」と言うのは、ゴビ砂漠に生えるとげの多い草の名である。とげが多いので、らくだは食べるが、家畜は食べられない。峠には秦・漢時代には鶏鹿塞と呼ばれた北方の匈奴の侵入に備える要さいがあった。谷の西側に石で築かれた城の跡が残っている。70メートル四方の方形の城壁が残っていて往事を忍ばせる。漢時代の美女王昭君が匈奴に嫁ぐ時に通ったのは、この鶏鹿塞か、もっと東寄りの光禄塞かだったということだ。

 わたしたちは鶏鹿塞からさらに10キロほどの格爾敖包谷に向かった。格爾敖包谷には、岩画が集中している所が三ヵ所あるという。それがなかなか見つからず、とうとう谷の北側で10メートルほど上方の岩壁に人面が刻まれているのを発見した時は、思わず歓声を上げた。それから次から次へと馬に乗った人物、羊、太陽、神像や文字のような記号が岩に刻まれているのが見つかった。岩画はどうやら北向きの岩壁にあることが多く、神像、人面、太陽、トーテムはかなり高い位置に、動物や生活の情景を描写したものは、比較的低い位置に刻まれていることが多いようだ。

 後二つの場所を探してずいぶん歩き回ったが、とうとう見つからず、あきらめて帰ろうとした時、谷の南岸、地上20メートルほどの所の岩壁に百以上あると思われる岩画が、太陽に照らされ浮かんで見えた。これがなんと陰山岩画を代表する「聖像壁」と呼ばれる岩画群だった。

 

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