張家界市から南へ向うと、10㌔離れたところに標高1500㍍の山が聳える。この山は凸凹がはっきりしており、山の上部に大きな玄関のような洞窟があり、これはここ数年来よく知られるようになった天門洞である。
この山は嵩梁山と言う。史書の記載によると、三国期の呉永安六年(紀元263年)にこの一帯では強い地震があった。地震のあと、嵩梁山の頂上に大きな洞窟ができた。呉の景帝孫休はこれは吉祥の兆しだと思い、この洞窟を天門洞と呼び、嵩梁山を天門山と改称した。
天門洞は高さは131・5㍍、幅は37㍍、奥行きは30余㍍で、遠くから眺めると大きな天門が空にかかっているようで、非常に壮観であり、内外の観光客を驚嘆させている。
天門洞には三つの絶景がある。一つは素晴らしい展望台である。洞の中から下を見下ろすと、朝日が紅山に昇り、日が沈むのを目にすることができるだけでなく、周辺の馬頭山、七星山、嵩山、張家界の主な景観がすべて目に入ってくる。二つは天門洞の頂上にはまた小さな洞窟があり、一年を通じて泉の水が洞窟から垂れ落ちている。ひでりになる日であればあるほど水の流れが大きくなり、紅色を呈するようになる。垂れ落ちている水は最初は柱のようであるが、まもなく梅のような形を呈して落ちるので梅花泉と名づけられた。言い伝えでは、48滴の梅花泉を手に受け取ることができた人は誰もが試験で一番になれると言われている。観光客はみんなこの吉祥を象徴する水滴を口を開けて受けている。霊験あらたかどうかは別として、のどを潤すことは確かである。三つは洞窟の中全体が景観でいっぱいになる。天門洞は大地震の産物であるから、その中の景観は人工的なものに限られるのでもなく、鍾乳石のようにまったく変化のないものでもなく、変幻きわまりないものとなっている。
1999年末に、外国のパイロット7人が飛行機を操縦して、天門洞を通り抜けたことがある。この7人の成功は海外で一大センセーションを巻き起こし、天門洞もそれで世に知られるようになった。
「チャイナネット」2001年8月13日