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蘇州の古典庭園の美しさ(3)怡園
怡園は人民路43号に位置し、1963年に蘇州市の文化財保護指定を受け、1982年に江蘇省の文化財保護指定を受けた。

怡園は清朝末期の同治、光緒の頃に建てられたものである。浙江省寧紹台道の顧文彬という人が明代の尚書であった呉寛という人の旧邸宅跡に、20万両の白銀を費やして九年間で完成した庭園である。『論語』の「兄弟が喜んでいる」という句を借りて、怡園と名づけた。

この庭園は顧文彬の子息顧承の主宰のもとで築造されたものであり、画家の任阜長、顧芸、王雲、範印泉、程庭鷺が設計に参与し、園内の配置はいずれも顧文彬と相談して決めたものである。庭園の完成後、長江以南の名士がここに集うことが多く、一時期にこの庭園は有名になった。光緒21年(1895年) 顧承の子息である顧鶴逸が呉大、陸廉夫、鄭文 、呉昌碩と園内で画集画業に没頭した。顧鶴逸の没後、庭園はだんだんと荒れはててしまった。日本の侵略の時期や偽満州国期にははなはだしい破壊をこうむった。園内の骨董品や書画はすべて略奪された。40年代になると、怡園は芝居を演じる遊楽場となり、「蘇州大世界」と呼ばれた。1949年9月、華東軍政大学の第二本隊第九団本部が一時にここに設置されたことがある。1950年『新蘇州新聞』社がここで設立された。1953年12月、顧鶴逸の子息の顧公碩がこの庭園を国に献納した。ここを占用していた部門が全部移出して、市政府の割当金によって補修がすすめられ、一般公開された。

怡園の面積は6270平方キロメートルであり、それほど大きくではないが、いろいろな庭園の長所を取り入れ、山や池を巧みに配置し、独特なスタイルを成している。庭園は東側と西側の二つの部分に分かれ、真中は復廊で隔てられている。東側は建築物を主とし、石が置かれ、花や木が植えられている。西側は真中に池があり、その周りに築山、花と木、建築物がある。怡園は多くの庭園をモデルとしたものである。例えば、復廊は滄浪亭をモデルとしたもので、池は網師園をモデルとしたもので、築山は環秀山荘をモデルとしたものである。配置は自然の雰囲気を保つもので、あずまや、回廊が精巧で、山、池、花と木が心地よく点在し、庭園の中の逸品と称することができる。

怡園の主な建築物としては玉延亭、四時瀟洒亭、坂仙琴管、拝石軒、石舫、鎖緑軒、金栗亭、南雪亭、藕香榭、碧梧栖風、面壁亭、画舫斎、湛露堂、小滄浪などがある。

「チャイナネット」2001年9月27日

 

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