清の咸豊年間に、道台であった安徽省出身の陸解眉によって築造され、半園と呼ばれた。(倉米巷という路地の史氏半園の北側にあるので、いまでは北半園と呼ばれている)1949年の新中国成立以後、木器盆桶製造協同組合、帯織工場、東呉絹織工場、第三紡績機械工場などがここを使用したことがある。
庭園は住宅の東側にある。庭園の真中は池であり、池の周りには舟の形の広間、あずまや、曲がりくねった長廊、半亭が建てられ、建築物の多くは半分ということを特色としたものである。庭園の北東にはひさしの重なった二階半の楼閣があり、蘇州庭園特有のものである。庭園には白松、ツゲ、シナフジなどの花きと木が植えられている。
北半園の住宅はすでに取り壊れてしまった。現存の庭園面積は1130平方㍍で、1992年に修繕されて、一般公開されている。
「チャイナネット」2002年2月26日