泰山は中国山東省の中部に長さ500kmにも及ぶ大きな山脈で、東に滄海を威圧し西に大河(黄河)を鎮め、その峰々は地を抜いて天を突き破り、日を捧げる勢いを持ち、中国では最初に世界自然遺産に登録された。
中国5名岳とは、泰山を筆頭に華山、衡山、蒿山、恒山を指し示すらしい。それぞれに特徴もあり素晴らしいもののようだが、中国ではなんでも、番号を付けて誇張するような習慣も見受けれるようだが。でも泰山は、その最高峰・玉皇峰がわずか1545mと比較的低いにも関わらず、麓の街、泰安より6666段を越す、階段でほぼ直線的につながっており、数時間(健脚家で5ー6時間)でほぼ登り切れるという。中天門(700m)までは、小型バスも通じており、ここから南天門までケーブルも出来ている。ほんの7.5分で南天門まで上れるわけだ。南天門付近の階段は急峻を極め65度に達し、先行者の足先が自分の鼻先に位置するという。登るのはともかく、下りは足がすくみ、大変勇気が居るようだ。南天門から山頂まで500段ぐらいの階段もあるが、途中に道教の寺院もありぶらぶら見学がてら歩けば、快適な散歩道と言うところだ。
山頂に見られる巨大な建築物ならびに岱廟(東岳廟・泰山行宮)といい、独特の様相を見せている。西天門の手前にある碧霞祠は道教寺院で道家の祖神であるという。ここら辺りからの、南天門に至る直前の一八盤の急峻な階段はとても壮大のものだ。
唐摩崖は丁度碧霞祠の真上に位置し、岩壁が切り開かれ沢山の碑が見られる。紀泰山銘の碑は唐の玄宗皇帝の御書で、封禅の儀式を行った時の様子が1008文字で記されていた。他にも沢山の碑文がみられたが、どれもこれも現在書家の垂涎の的らしい。
孔子も「登泰山而小天下」(泰山に登ってみれば、なんと
天下は小さいことか良く分かる)と言っているように、何とも言えない雄大なものだ。詩人の杜甫も、泰山は天下一の名山である公言しているようだ。もちろん、今のようなケーブルカーは勿論、整備された階段もない時代、徒歩で登ったので、よけいそのように感じたのだろうが、山の雄大さと高さはあまり関係ないようだ。山々の稜線に、光さすご来光のシーンはいつ見ても、生涯の忘れ得ぬ光景の一つに違いない。どこへいっても、規模の大きさに圧倒され驚かされてしまうようだ。何回と訪れても、新しい感動と感激がある。
泰山は東方文化の宝庫であり、大ブン(サンズイヘンに文)口文化と竜山文化の発祥の土地で、中国文明はここら辺りから発祥したようだ。泰山はまた中華民族心理と民族精神の成立に深い関わりを持って居る。泰山が群山の祖、五岳の宗と称えられるのも全く天地真ん中に住むことを求めた古代人の地理に対する認識から出たもので、泰山にたいする崇拝は国家の統一と発展、民族の団結に重大な役割を果たしてきた。このように泰山は民族精神の発揚に、中国歴史文化の凝縮として(郭沫若)、中国伝統文化の精髄を包含したものである。
【封禅の儀式】 封禅とは何を意味するのか、判らないが、皇帝が即位したとき、それを知らせるために天地を奉る儀式で、皇帝の権威を誇示するためのもののようである。歴史上では72人の皇帝がここで封禅を行っているようだ。
岱廟は、南北405m,東西は237mあり総面積は68.265坪に達するという。多年にわたりよく修復されており、全部の建物は左右対称に造られ、入り乱れた中に規律性があり、気勢が雄大であり、かつ華麗である。この中の天キョウ(貝兄)殿は故宮の太和殿と曲阜の孔廟大成殿にならび、中国古代の3大宮殿式建物と呼ばれている程大規模なのだ。これらの、恭しく厳かな、華麗な建物ばかりでなく、歴代朝廷のご光臨、政府高官や知識人の朝拝等により多くの貴重な文物を見ることが出来る。優美な詩章、素朴な石碑、風雪を得た古木等は岱廟の悠久な歴史を刻み込んでいる。漢柏樹(5株のみ現存)は漢の武皇帝が泰山を奉ったとき植えられたと言うから、樹齢2000年を超える勘定になるが、枝葉が生い茂り活気に溢れている。
CRIより 2004年10月25日