1987年、中国で最初のモバイル通信システムが出来上がった。それから20年が立った今、中国のモバイル通信網の規模と利用者数は世界一となった。
始まりの1980年代末から90年代初期
1987年、広東省では中国で初めてのTACSのアナログ式携帯電話のサービスが始まった。以前、深圳でアパレル工場を経営していた王国慶さんは、「大哥大」と呼ばれていたこの携帯電話を使っていた1人だ。その時の携帯電話はアナログ式のモトローラー8800だった。
1980年代末から90年代の初め、広州や深圳などの東南の沿海都市では、大きな携帯電話「大哥大」を提げたビジネスマンを見かけた。その当時、「大哥大」の値段は3万元ととても高く、加入費も含めると4万元もした。そのため企業のトップやハイクラスのホワイトカラーなど、富裕層のステータスシンボルでもあった。高価な「大哥大」だったが利用者はどんどん増え、1993年には利用者は2倍増になり、1994年には100万人を超えた。
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2005年6月18日、第4回国際情報通信技術展覧会が南京市の国際展覧センターで開かれた。会場には、かつての「大哥大」と呼ばれたモトローラー8800の携帯が展示された。 | |
発展段階の1990年代中期
携帯電話の利用者が増えるにつれて、アナログ式の携帯電話では利用効率が悪く、いかにデジタル化するかが中国のモバイル通信の課題になった。その後、通信技術の発展で、1994年12月末、広東省は他の省に先駆けてGSM方式のネットワークサービスを始めた。
1995年7月、中国聯通(チャイナユニコム)は、GSM方式のデジタル携帯電話ネットワークを北京、天津、上海、広州で始め、1996年には全国そして海外でも利用できるサービスを始めた。ネットワークのグレードアップと利用効率が拡大されたことで、利用者の数は増えていく。
1997年7月17日、中国で1千万件目の利用者が江蘇省で誕生した。携帯電話もポケットにしまうことが出来るほど小型化し、従来の大きな「大哥大」は、徐々に私たちの前から姿を消した。
発展の90年代後期
90年代後期、技術の発展や通信料金の引き下げにより、携帯電話が庶民にも持てるようになった。1998年8月、中国での携帯利用者は2千万人を超え、1千万人から倍の2千万人になるまでにはわずか1年しかかからなかった。
この時期に多くの携帯電話利用者が初めて携帯を手にしている。1998年、就職活動をしていた大学生の呉冰さんは、父母に頼んで携帯電話を買ってもらった。「その時の携帯は4000元を超え、ショートメールも出すことが出来ず、ただ通話できるだけでした」と呉さんはその時を振り返るが、そんな簡単な機能の携帯ですら、ポケットベルを使っていた同級生には羨望の的だった。
携帯利用者の増加と消費者の様々なニーズにより、モバイル通信の企業は更に専門的なサービスを始める。そしてモバイル通信部門は従来の電信から独立。そして1999年4月下旬、国務院の批准した『中国電信再編法案』によって、中国電信は新しく中国電信(チャイナテレコム)、中国移動(チャイナモバイル)、中国網通(チャイナネットコム)の3つに分かれて営業を始めた。
飛躍の21世紀初期
21世紀に入り携帯電話は中国の農村にも普及した。現在、中国の携帯利用者の数は4億5千万人を超え、携帯電話の機能や様々なサービスを望む声が多くなる中、中国のモバイル通信業は第3世代(3G)の時代を迎える。
2000年5月5日、中国が知的財産権を有する3Gの「TD-SCDMA」は、国際電気通信連合(ITU)の3つの3Gモバイル通信の1つになった。第2世代の通信と比べ第3世代のネットワークは、テレビ電話や携帯でテレビが見られるといった様々なサービスがある。今「TD-SCDMA」ネットワークは、北京、上海、青島などのいくつかの都市で、商用サービスに向けた試験が行われている。
「ほんの数年前、多くの人は携帯電話が私たちの生活にこんなに大きな変化をもたらすとは考えもしませんでした。何カ月かしたら携帯を使っている人たちは、3Gがもたらす変化を身にしみて感じるでしょう」と、今後のライフスタイルを描くのは、現在、「TD-SCDMA」の試験を行っているある技術員だ。
人の多い北京の地下鉄や、上海の黄浦江のほとりを歩いている時、または広州の新白雲空港でフライトを待っていてもオリンピック中継を見ることが出来る。そして携帯電話を通して、いつでも遠くにいる両親の安否を知ることができ、家の冷蔵庫に入れてある食品の状況さえ知ることが出来るのだ。
『中国画報』より2007年9月4日 |